岩井に勝田屋敷跡があるが、勝田家は毛呂氏に仕え、後この地に住んだ長者であった。しかし寛文の頃、何不自由なかったこの長者家に一つの悩みが起こった。夫婦の間に子ができなかったのだ。そこで、夫婦は日頃信仰する榛名山へ子を授けたまえと心願をかけた。
すると願叶って女子が生まれ、夫婦は喜び、平和な幾年かが過ぎた。その娘が七歳になったとき、夫婦と娘は大願成就のお礼参りに榛名山を訪れた。ところが、榛名湖のほとりでその眺めを堪能していた時、晴衣姿の娘がにわかに駆け出し、榛名湖に飛び込んでしまったのである。
驚愕し震える夫婦の眼前に現れたのは、竜神と化した娘だった。娘は、夫婦の心願にうたれて榛名の神の子として化生したが、自分は榛名湖の竜神であり、いずれ帰るさだめだった、とこれまでの礼を言い、これより毛呂郷には雹は降らせない、と約束し湖に沈んだ。
夫婦は神の計らいだったのかとさとり、せめてもと入水の場所に標を立てて冥福を祈った。それより、毛呂郷では榛名山にあやかり「勝殿領分、毛呂七分」と唱えて雹乱を免れているという。