龍ヶ渕・龍渕寺由縁起

埼玉県行田市

成田家時が成田家の菩提寺を建立しようと考えていた時、夢を見た。館の東南三キロほどのところに阿弥陀の尊像があり、時ならぬ白蓮が咲いている夢だった。家時が家臣にそのあたりを探らせると、皿尾に阿弥陀像を安置した小庵があって、一人の僧がいた。和庵清順和尚であった。

家時は夢の通りと喜び、和尚を招いて寺の造営を頼んだ。館の北に龍ヶ渕という龍の棲みかがあり、和尚はその霊地で座禅をし、七日にわたり龍神に祈った。すると夢に白髪の翁が出て、師の法徳に応じ、住処を変えることにした、跡を霊場とするがよい、と告げた。

和尚が次朝早くから渕で座禅をしていると、猛風がおこり、波が立った。和尚は龍に、そのままの姿では人々が恐れるゆえ、姿を変えて出てくるよう言った。すると、六寸ばかりの蛇が出てきて和尚の前で静かにした。和尚は血脈で蛇の頭をなで与え、蛇は水中に戻った。

その日から大雨洪水となり、大渕の水は干上がり、陸地となった。家時は大いに喜び、和尚の高徳をたたえ、ただちに寺を建立した。応永十八年、太平山天釣院龍渕禅寺と号す。

大澤俊吉『行田の伝説と史話』
(国書刊行会)より要約

ちなみに伝は成田氏が行田に移ってからのもので、行田の伝説になっているが、龍渕寺があるのは熊谷市成田になる。地名の通り、成田氏はもともとそちらのほうに住んでいたという。

この話は「龍が譲った」「龍を討伐(教化)した」という筋書きがすぐ入れ替わるものであり、龍渕寺でもまた「竜渕寺開山の和庵清順和尚が、竜渕寺をたてるとき、この竜は和庵をひと呑みにしようと襲いかかってきたが、和庵の法力によって、六寸ばかりの白蛇となった」ともなる(『埼玉県伝説集成』)。

どこから「六寸」が出てきてこだわることになったのかわからないが、気にはしておきたい。