龍ヶ渕・龍渕寺由縁起

原文

成田家時は仏法に帰依し、成田家の墳墓の地として一寺を建立したいと、かねがね考えていた。ある夜夢をみて、成田館より東南三キロぐらいのところで、東南を向いている阿弥陀の尊像があった。時ならないのに白蓮が満開で、いい香りがただよっていた。立ち寄って礼拝すると、とても爽快になったところで目がさめた。

不思議な夢なので、家来にわけを話し、東南三キロぐらいの所に、仏道の道場があるかどうかをさがさせたところ、皿尾(行田市)に阿弥陀像を安置した小庵があった。ひとりの僧が法華経をあげていた。近所の農夫の人に尋ねると、近ごろこの庵に来た方で、昼は一日中お経を読み、夜になると坐禅をしていて、どんな方か知らないという。

家時はその報告を聞き、白蓮の花は法華経であり、方角といい、距離といい夢枕と同じであると、使者を出して丁重に成田の館に来てもらった。和庵清順和尚である。

家時は大いによろこび、仏法を受け感激して、寺を造ってもらうことを和尚に頼んだ。館の北の地に“龍ヶ渕”といって龍の棲家といわれているところがあった。人は、その渕の水が清浄なので身を清めるが、魚などはとらない。時には水中より雲気がわき、夜には火の玉が空に上るという渕である。

清順和尚はその渕に行き坐禅をし、七日の間龍神に祈った。願が終った夜、和尚の夢枕に白髪の翁が出て「師は郡主の命によって、寺を建立する由、師の法徳に応じ、すみかをかえることにした。跡を霊場とするがよい」と。

和尚は次朝早く、かの渕に行き、坐禅していると、猛風が起り、すごい波が立った。和尚は龍に向かって、そのままの姿で出て来ると人々が恐怖するから、姿を変えて出てこい、というと波は穏やかになった。やがて水中より六寸ぐらい(二四センチぐらい)の蛇が浮かび出て来て、和尚の前で静かにしていたので血脈(師から弟子に授ける法統)で頭をなであたえると、蛇はおとなしく水中に入って行った。

不思議にもその日から大雨洪水となり、大渕の水は干あがり、陸地となった。

家時は大いによろこび、和尚の高徳をたたえ、ただちに寺の建立に着手した。応永一八年(一四一一)春、精舎(寺)は完成した。太平山天釣院龍渕禅寺と号す。

大澤俊吉『行田の伝説と史話』
(国書刊行会)より