見沼の竜神

埼玉県さいたま市大宮区

見沼干拓の命を受けた井沢八惣兵衛は、天沼の大日堂に泊って準備を進めていた。するとある夜、美しい女が訪ねてきて、自分は見沼の竜神であるが、新しい棲みかを探す間、九十九日間仕事を止めてもらえないか、と言った。ふと気がついた八惣兵衛があたりを見回したが、女の姿はなかった。

八惣兵衛は気に留めず工事を進めたが、災難が続いて一向にはかどらなかった。そのうちには、八惣兵衛本人も病の床についてしまった。そこへまた前の女が現れ、病を癒すから、願いをきいてくれ、と言う。その夜からきまった時刻に現れ、夜明けには消えていくのだった。

これより八惣兵衛の病気は剝ぎとるように良くなった。ところが、家来のものが夜、何気なく様子を伺ってみると、眠っている八惣兵衛を、恐ろしい蛇身の女が舐めまわしているのだった。家来は気を失って倒れ、朝介抱され息を吹き返し、目にした一部始終を報告した。

これには八惣兵衛も肝を冷やし、翌日からは片柳の万年寺に詰所を移した。それよりは何事もなく干拓の工事は順調に進んだという。しかし、葬列の棺桶が万年寺山門前で暴風にさらわれる怪異などがあり、人々は見沼の竜神の怨みだろうと噂した。

『大宮市史 第五巻』より要約

見沼干拓にかかわる有名な伝説の大筋はこのようなもの。干拓以前の見沼の竜蛇の話、その後の話、関係話等々、周辺数多くの伝説がまつわり、その全体を概観するのも一苦労というもの。それをまとめるのは本編となるが、それぞれの話などは以下から追われたい。

見沼の竜蛇神は見沼の四本竹といわれるところに棲むと考えられていた。この場所の祭祀を執り行っていたのが氷川女體神社。干拓後は四本竹も神社前に移され(映され)ている。