見沼の竜神

原文

見沼を干拓した井沢弥惣兵衛は、八代将軍吉宗が紀州(和歌山県)から連れてきた治水土木家であるが、見沼干拓には次のような話が語り継がれている。

命をうけると弥惣兵衛は、天沼の大日堂(天沼一の四一七)に泊って工事にかかる準備をすすめていった。

ある夜のこと美しい女が弥惣兵衛を訪ねてきていうには、私は見沼の竜神であるが、この沼を干されてしまっては棲む所がなくなってしまう。お願いだから九十九日間、仕事をやめて貰えないだろうか。その間に私は新しい棲みかを見つけて移りますから、という。

ふと気付いて弥惣兵衛はあたりを見まわしたが、行灯の火がかすかにゆれているばかりで、女の姿はどこにもなかった。はてうたた寝の夢であったか、と気丈な彼は意にもとめず、人にも語らず工事にかかると待ち構えていたかのように思わぬ災難につきあたり、仕事は一向にはかどらぬのであった。

そうこうしている内に一か月ばかりの日がたち、その間の無理がたたったものか、ふとした風邪がもとで、弥惣兵衛はどっと病いの床に倒れてしまった。人々の手厚い看病にも埒があかず、病勢は一進一退で、彼は寝ていながらも仕事のことを考えて心はいらだつばかりであった。

するとまた前の女が弥惣兵衛の枕辺に現われて、あなたの病気は私が知っている。きっと癒して進ぜましょう。そのかわり先日の私の願いを聞き届けて戴きたい、といい、その夜から女はきまった時刻になると現われ、夜明け近くになると何処へともなく消えていった。

不思議にも弥惣兵衛の病気は、剥ぎとるようによくなっていった。ある晩、家来の者が何げなく弥惣兵衛の様子を襖の隙からのぞくと、弥惣兵衛はよく眠っているようであったが、そばに見るも恐ろしい蛇身の女がおり、爛々たる眼をかがやかし、耳まで裂けた口から真紅の炎を吐きながら弥惣兵衛の体をなめまわしているではないか。男はあまりの恐ろしさに仰天してそのまま失心してしまった。

物音に目覚めた弥惣兵衛が起き上がって見ると、襖の外に男が気を失って倒れている。介抱されて漸く息を吹きかえした男は、今見たことをしかじかと弥惣兵衛に語った。

気丈な弥惣兵衛も流石に胆を冷やし、翌日そうそうに片柳の万年寺に詰所を移してしまった。万年寺では何事もない日が続き、開拓の仕事も順調にすすんだが、ある日村人の葬式があって、その葬列が山門を通ろうとすると、にわかに黒雲がたちこめ、突然恐ろしい暴風が起って、アッという間に棺桶だけが宙に舞い上がり、何者とも知れぬものがさらって行ってしまった。恐れおののいた村人達は、その後葬式の行列は山門を通らぬようにしてしまい、誰いうとなくその門を「あかずの門」と呼んだ。

享保十三年(一七二八)見沼干拓のことが終わって、弥惣兵衛が万年寺を立ち去ると、何も変わったことが起こらなくなったので、人々は見沼の竜神が弥惣兵衛の仕打ちを怨んでの仕業にちがいないといい合ったという。

『大宮市史 第五巻』より