関下(渋川)の吾妻川原にあったが洪水で埋まって今はない。直径七尺ばかり(約二一二センチ)の丸い石で、真中に縦二尺(約六十センチ)、横一尺二、三寸(四十センチ)、深さ三尺(約九十センチ)もある穴のある自然石である。昔、竜が雲を起して昇天する時、尾の先を入れてえぐったのだと伝えられている。別の説によると剣のすりあとがあるので、剣磨(けんずり)石と名付けられたともいわれた。
東町関下のことと思われ、吾妻川が利根川と合流するあたりのこととなる。信州のほうで、凹みのある石を竜磨石・剣磨石とよくいうが(「玄江院の龍磨り石」など)、こうして上州渋川のほうまでもその風はあったらしい。
別の説によると、とあるが、竜がその尾の剣を磨く・その尾の剣で抉るという話なので、いっている内容も大体同じである。もう埋まってないというのでわからないが、これらは信州では甌穴のことであり、吾妻川・利根川流域にもそういうものを意識する感覚があったのかどうかと注目される。
東町あたりから利根川を下った半田には、明治三年に法螺貝が海に出た大水があったという「午年の貝水」の伝があるが、そういった「法螺抜け」の穴もまた甌穴を指すことがあり、同じ線に乗る可能性もある。
実際、逆に吾妻川を少し遡った川島地域には、「ジアナ」の小地名があり、それは蛇が抜けた穴の意だが、法螺貝がうなって先に出、そのあと蛇が抜けたという(これは甌穴ではなく湧水を石で囲った穴だが)。