明治の末のこと、末広町の稲荷川のほとりにある蟬が渕稲荷神社に白蛇が現れ、近隣は騒然となった。三、四尺のその白蛇は、川べりの大杉の下枝から悠然と人々を見下ろし、午前の決まった時間に現れ、昼近くになるとその杉の洞に消えるのだった。
凶事を告げているのか、大水の予兆かと人々は怖れたが、何事もないまま白蛇のうわさだけが広がり、一日がかりで県内各地から見物に来る人まで現れ、相手をする出店なども並んで毎日毎日がお祭りのようになったという。お供えも、設えた棚からあふれるほどになったそうな。
そのようにして、怖れられた凶事も起らぬまま半年を過ぎたが、急に白蛇が姿を見せなくなった。血気盛んな若い衆が身を清めて白さらしに身を包んで杉の木に登ってみると、白蛇は洞の中でとぐろを巻いて死んでいた。町内の人たちはこれをアルコールにつけて、守り神として稲荷の奥に祀った。
そして次の年の初午の日、白蛇を出してみると、その頭に金色の星の模様がくっきりと浮き出ていた。これは奇瑞と涙を流す人もいたが、その模様は年を追うごとに増えていき、星が増えるたびに白蛇の体はやせ細っていくのだった。
町内の人たちは巫子をたのんで拝んでもらった。すると、巫子に乗り移った白蛇が、自分は笠間稲荷の使いで来たが、悪者のせいで帰れなくなり蟬が渕に世話になっていたのだ、と告げた。そして、このお礼に町を火と水の災いから守ってあげよう、とも告げた。
それから十数年たったある年、また初午の日に白蛇を出してみると、その姿は消えてなくなっていた。人々は故郷に戻ったのかもしれないと思ったが、それからも変わりなく拝み続けた。そのせいか、末広町は水の害も火の害も受けていないのだそうな。