蟬が渕の白蛇

原文

「しろへびだあ、しろへびだあ。」

蟬が渕稲荷におまいりに来た人のけたたましいさけび声に、近くの田でしろかき(田植え前に田を平らにする仕事)をしていた人たちがかけつけてきました。

白蛇は、稲荷のそばを流れる川べりにそそり立つ、大きな杉の木の下枝にたのです。

「白蛇はむかしから、神様のお使いだといわれている。これは何かわざわいのおこるのを知らせにきたのかもしれない。」

「蛇が木に登ると、大水が出るという。ことによると、その前ぶれでは……。」

蟬が渕稲荷に集まってきた人たちは、はじめて見る白蛇を見上げながら、おどろきおびえていました。

三、四尺(九〇~一二〇センチメートル)はあろうかと思われる白蛇は、赤い舌をチョロッ、チョロッと出しながら、さわぐ人たちをゆうぜんと見下ろしていましたが、やがて、枝元にある洞(立木にできたあな)の中に、すいこまれるように姿を消していきました。

時は明治も末、今から八十年近く前のことでした。

稲荷神社は、土地の人たちが、稲荷川とよんでいる川のほとりにあって、そのころは、うっそうとした木立にかこまれ、川岸の近くは水のどんよりよどむ渕になっていました。夏もさかりのころになると、たくさんの蟬がその木立にむらがり寄ってきて、話す声も聞きとれなくなるほど、さわがしく鳴いていました。このことから人びとは、この稲荷を、蟬が渕稲荷とよぶようになりました。

この蟬が渕稲荷は、鹿沼市末広町にあって、今から六百数十年前に建てられたと伝えられています。

そのころ、この地方に悪い病気がはやり、人びとをなやませていました。その上、天候も不順で作物もみのらないため、人びとは生活に苦しんでいました。土地の人たちは、「これは何かのたたりにちがいない」と、ここに稲荷神社をまつり、心をこめておいのりしたところ、悪い病気もなくなり、作物もゆたかにみのるようになったといわれています。

それからは、

「お稲荷さまにおいのりすれば、願いごとがかなえられる。」

と、人びとの信仰をあつめてきました。

その蟬が渕稲荷に、白蛇があらわれたのです。白蛇はその日から毎日、同じところに出るようになりました。すがたをあらわす時間も、それが日課であるように、朝の九時ごろから、二時間ぐらいときまっていました。

「蟬が渕に白蛇が出る。」

その話は、人びとの口から口へと、たちまちのうちに町中へ広まっていきました。白蛇を一目見ようと集まる人の数は、日をますごとにふえてきました。その中には、

「白蛇に願いごとをすればかなえられる。」

と、夜も明けないうちにきて、白蛇があらわれるのを今か今かと待ちうける人も出てきました。そして、白蛇の話は町から村へ、村から町へと伝えられ、近くの村の人びとはもちろん、県内各地から弁当を持って、一日がかりで見にくる人もたくさんいました。

蟬が渕に通じる参道の両がわには、集まってくる人たちを相手にする出店などものきをつらね、毎日毎日お祭りのような日が続きました。

白蛇の出る杉の木の根元には、

「ありがたいことじゃ、ありがたいことじゃ。」

と、米やたまごや酒などをそなえる人もたくさんいました。地元の人たちは、

「神様にそなえたものを、地べたにおくのはもったいない。」

と、手のとどく高さのところに、大きなたなをこしらえましたが、そのたなもおそなえ物でいっぱいになってしまったということです。

しかし、一日一回これもまたきまったように根元におりてくる白蛇は、好物のはずのたまごには目もくれません。下を流れる稲荷川に首をたらし、なめるように水をのんでは、そのままからだをくねらせながら、下枝までゆっくりと登っていくのです。

白蛇のかすかな動きも見のがすまいと、かたずをのんで見守っている人たちは、そのたびごとにどよめきの声を上げました。だが、白蛇はそのどよめきをよそに、何ごともなかったように、枝にからだをのばしたまま、動こうともしないでいます。そして、ころあいを見はからうように、洞の中にすがたをかくしていくのでした。

ひと月たち、ふた月たっても、人びとが内心おそれていたわざわいは何もおこりません。そのため、はじめのころはものめずらしく見にきた人の中には、

「これはまちがいなく神様のお使いにちがいない。」

と、毎日のように願をかけにくる人も多くなってきました。

しかし、毎日あらわれ続けてきた白蛇が、半年ほどたったある日、急にすがたを見せなくなりました。三日待ち、五日待ち、いく日待っても白蛇は出てきません。

「どこかへ行ってしまったのだろうか。それとも、もしかしたら、死んでしまったのかもしれない。調べてみようではないか。」

と、血気さかんな町内の若い者たちが、からだを清め、白さらしに身をつつんで、杉の木に登ってみると、白蛇は洞の中でとぐろをまいて死んでいました。

町内の人たちは、この白蛇を町の守り神としてまつることにし、アルコールにつけて、稲荷神社の奥の院におさめました。そして、毎年初午の日、とびらの前にかざって、おまいりに来る人たちにおがんでもらうことにしました。

次の年の初午の日、出してみると、ふしぎなことに、白蛇の頭に金色の星のもようが一つ、くっきりとうきでていたのでした。おまいりにきた人たちも、白蛇の頭にかがやく金色の星もようを見て、

「ありがたい、ありがたいことじゃ。」

と、なみだを流しておがみました。

その星もようは、次の年には二つになり、年ごとに一つずつふえていきました。そのかわりに、星もようがふえるたびに、白蛇のからだはやせ細っていくのです。町内の人たちは

「これには何かわけがあるにちがいない。」

と、巫子(神様につかえ、神のおつげをきく少女)をまねいておがんでもらったところ、巫子にのりうつった白蛇は、

「わたしは笠間稲荷の使いで、ここに来ましたが、悪者にねらわれて帰れなくなり、蟬が渕にお世話になっております。いずれそのうちに帰らなければなりませんが、お世話になったお礼に、町の人たちを、火と水のわざわいから守ってあげましょう。」

と、つげました。

それから十数年たったある年の初午の日、例年のように白蛇を出そうとしたところ、白蛇は消えてなくなっていたのです。おどろいた町の人たちが、八方手をつくしてさがしましたが、そのゆくえはどうしてもわかりませんでした。

町の人たちは、

「もしかしたら、自分のふるさとにもどったのかもしれない。」

と、白蛇がいなくなっても、いままでとかわりなく蟬が渕稲荷をおがみ続けました。

そして、白蛇が守っていてくれるせいでしょうか、その後の末広町は、水の害も火の害も受けていないということです。

栃木県連合教育会『しもつけの伝説 第8集』より