親鸞聖人が越後から関東へ来られた際、利根川を下り百戸で上がった時、聖人が葦を一本とって念仏を唱えてさしたところ、これより岸辺の葦が片葉になったという。それから聖人は、鵠戸沼(戦後干拓され、今には鵠戸橋などに名が残る)を渡る舟に乗った。
すると、沼から一匹の竜が現れたので、聖人がどうしたのかと尋ねると、竜は過去の罪でこのような姿となり、救いを求めても皆この姿を見て逃げてしまうのだ、と嘆いた。そこで聖人は「なみあみだぶつ」と唱え、そう書いた石を竜に渡した。
時に暴れ人の命も奪ってきた竜だが、罪が深いほどに救われると聖人に説かれ、静かに沼に沈んでいった。やがて竜は死体となって浮き、五色の雲がたなびく中、一人の女の姿が現れ、聖人に礼を述べ天に昇って行った。聖人は竜の死体を長須(旧岩井市)の阿弥陀寺の裏山に埋め、八竜神と祭った。竜のひげも阿弥陀寺に納められたという。
阿弥陀寺(親鸞の弟子により中興)は坂東市長須に今もあり、山というほどではないが、北側畑中に八龍神社が祀られている。この伝説も長須阿弥陀寺に「悪龍済度」の絵掛け軸としてある。
寺伝によると、龍は百姓の娘と生まれ、飢饉で苦しみいっそ殺してくれ、と頼む老父を手に掛けたのだという。龍の髭なるものも今に伝わり、親鸞が名号を刻んだという石(石斧)もある。そのようなことで、境町の伝説資料からだが、坂東市の伝説とした。
このような親鸞の大蛇済度の話は、野州「花見ヶ丘」を中心に分布するものだが、真宗の寺が開かれていくにつれ、その寺の伝として、土着化した筋が生まれていったものかと思う。
この長須の話は、他の話が概ね女の嫉妬の罪に端を発するものであるのに対し、飢饉にあって止むに止まれず父に手をかけた娘の罪、という異色のものになっており、筋の振幅が拡大することを感じさせる事例となっている。