横山台の蛇塚

福島県いわき市

磐城平藩に干ばつが多く、郡奉行の沢村勘兵衛勝為は承応元年より小川江筋の開削工事を始めた。ところが、横山地内までは順調に掘り進んだが、夏井川の分岐点にきて築堤してもすぐ崩れるという有様となり、工事は進まず、勝為は切腹を覚悟するほどであった。

そこに日頃信心していた大日如来が夢に告げて曰く、岩を切り通せば成就する、とのことであり、早速勝為は横山地内の岩山を掘り始めた。ところがここには無数の蛇がとぐろを巻いており、人夫は作業に手をつけられず、またもや工事は止まってしまった。

勝為はそこで蛇を残らず捕えて、横山台に埋め蛇塚を築き、上に大日堂を建立し、さらに利安寺を建て手厚く葬った。これより江筋工事は順調に進み、明暦元年に四倉までの難工事を完成した。

いわき地方史研究会『いわきの伝説と民話』より要約

蛇塚の大日堂は上平窪に現存する。この事業の成功をねたまれた勝為は讒言により切腹、その慰霊のために始まったのがいわきのじゃんがら念仏踊りだという。平下神谷のほうには、勝為を祀った澤村神社もある。

小川江筋の開削に関しては「人夫をして岩をうがたしむに蛇あり、数万 盤結人夫恐怖掘る能はず」と必ず出てくるほど、この蛇の害が甚大であったようだ。しかし、尋常ならざる数ではあるが、大蛇怪蛇の話というのではなく、一応現実的な蛇供養の話ではある。