横山台の蛇塚

原文

磐城平藩の郡奉行沢村勘兵衛勝為は毎年のように干ばつに悩んでいる領内の田畑を救うために、農民を総動員して承応元年(一六五二)に小川江筋の開さくの大工事を始めました。

平上平窪の横山地内までは順調に掘り進むことができましたが、この地が夏井川の分岐点にあたるため、築堤してもすぐに崩れてしまい工事は一向に進まなくなりました。そのため工事費はかさみ、その非難は郡奉行の勝為に集り、切腹を覚悟したほどでした。

勝為が日ごろ信仰していた大日如来が、ある日夢の中に現れ「岩を切り通せば成就する」とお告げになりました。早速横山地内の岩山を掘り始めたところ、岩山の中に無数の蛇がトグロを巻いており、これを恐れた人夫は作業に手がつけられず、またも止んでしまいました。

そこで勝為は蛇を残らず捕えて、横山台に埋め蛇塚を築き、この上に大日堂を建立して大日如来をまつり、かたわらに利安寺を建て手厚く葬りました。以来、江筋工事は順調に進んで、明暦元年(一六五五)に四倉までの難工事を完成することができたといわれています。

いわき地方史研究会『いわきの伝説と民話』より