新潟県十日町市中条乙背戸
中条の背戸に龍王さまというお宮がある。境内の杉は皆片枝であり、池の鯉は片目だという。このお宮は、六百六十余年前にできた。その頃、南朝の重臣新田氏の一族である大井田遠江守が、この地を領していた。
元弘三年の新田義貞の鎌倉攻めに大井田氏も参戦していた。この際、守りの堅い鎌倉に攻め入るべく、義貞は稲村ケ崎で黄金造りの太刀を海に投じて龍神に祈願した。すると不思議なことに一夜にして海が干上がり、新田軍は鎌倉に攻め入ることができた。
この龍神の霊験に深く心を打たれ、凱旋後大井田遠江守が背戸に御霊をお迎え総鎮守としたのが龍王さまであるという。龍王さまは日照りに雨乞いをすればたちどころに雨を降らせてくれ、農の神としても崇敬されている。
また、ある年の祭のときに、大夕立の後で灯籠に龍の姿が現われたことがあったので、今でもその絵姿は大切に保存されている。
新田義貞が黄金の太刀を海に投じて龍王に祈り、稲村ケ崎の潮をひかせて鎌倉に攻め入ったというのは『太平記』の名場面の一つでもあり、よく知られた伝説だ(実際この日この時引き潮だった、という研究もある)。その伝説に連なる龍王のお宮が遠く越後に祀られているわけだ。
この「龍王さま」というのは十日町市中条乙背戸の「高靇(高龍)神社」のこと。ここに見た伝説が、現在も境内に由緒として掲示されている。
稲村ケ崎というのは相州江の島の東なので、その海の龍王といったらこの江の島の弁天さんと五頭竜であって、鎌倉の守護神なんじゃないのかという気もするが、ともかくこういう話になっている。龍神の加護により鎌倉を率いた北条の崩壊がこのようであった、という因縁を思うには象徴的なお社だろう。