ベオウルフ・前

門部:世界の竜蛇:スウェーデン:2012.04.03

場所:スウェーデン/イングランド
収録されているシリーズ:
『世界神話伝説大系38』(名著普及会):「ベオウルフ」
タグ:王と竜蛇/宝を守る竜蛇


伝説の場所
ロード:Googleマップ

『ベオウルフ(ベーオウルフ)』はイングランドにおいて十世紀の古英語で記されたアングロ・サクソンの「中世イギリス英雄叙事詩」である。普通分類したら「イギリスの伝承」であり、これから参照する『世界神話伝説大系38』も『イングランド』編である。

「ベーオウルフ」最古写本
「ベオウルフ」最古写本
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しかし、吟遊詩人達がこの叙事詩を語り歌っていたのはスカンジナビア半島の南部に相違なく(後述)、ドルイド・バルド達の伝えたアーサー王の伝説よりもシグルズの物語や『エッダ』に近いゲルマンの伝説なのだ。そのようなわけでちょうど分量的に前・後編となることもあって、スウェーデン南部とイングランドの双方を「伝説の地」として指定し、マップ上もその二点をポイントした。

ベオウルフはスウェーデン南部に住むイェーアト(ウェデル)族にあって人並みはずれた力を持った英雄。若い頃には海の南のデネ人の国(デンマーク)の新宮殿ヘオロットに出没した怪物・グレンデルとその母を、請われ単身討ち取った(これが叙事詩の前半部)。

その後、イェーアトの王となり、五十年の平和をその地にもたらした。そして、老王となったベオウルフの王国に竜が出現し暴れ出すところから叙事詩の後半は始まる。今回はこの竜との戦いに絞って見ていこう。もっとも原典は時系列の整った物語とはなっていないので少し注意。叙事詩は、竜と戦う間にも王に加勢するウィグラフ(ウィーイラーフ)が伝来の剣を振えば、「この剣こそは……」とその剣の過去の話が始まるという具合なのだ。『世界神話伝説大系』がそのあたり整理して一連のストーリーとしてまとめているので、主にこれを参考に要約した。

太古この土地にあった王国が、山中の洞に宝物を隠して滅んだ。その後、一頭の竜が、この宝を見つけ、この洞を住処として宝を守りつづけていた。宝を好むのは竜の習慣である。そして三百年がたち、ベオウルフが老王となったその時、この宝が人の目に触れてしまった。とある下人が悪事を働き、国から逃げ出そうとした際山中に迷い、洞に至ったのだった。たまたま竜は眠っており、下人は金の坏を一つ持ち出してしまった。目覚めた竜はこれに気がつくと怒り狂い、その日から王国の空を舞い、火を吐いて国中を滅ぼそうかという大暴れを始めた。
ベオウルフ王はたまりかね、十一人の手下をつれて竜退治に洞へと赴いた。しかし、手下達は竜を恐れ、洞へ入ることが出来なかった。ベオウルフ王は単身竜に挑むことになる。しかし、若き日の力は既になく、鉄の楯をもって竜の吐く火焔を防ぐのが精一杯という苦戦となった。
この時、王の手下の内ただ一人ウィグラフが加勢に飛び込んだ。しかし、勢いを得てベオウルフが渾身の力を込めて竜の頭に打ち込んだ宝剣ネグリングは折れ、飛び散ってしまう。竜は怒りを増し、ついにベオウルフの楯を溶かすと、王の首にその牙を突き立てた。いよいよ王が危ないと見たウィグラフは火炎に包まれながらも飛び込み、伝来の名剣で下から竜の喉を突き刺した。これに怯み顎門を離した竜に、ベオウルフも短剣をふるいその腹を抉った。ここにさしもの竜も地に倒れ、ベオウルフとウィグラフはその上にのしかかると、とどめを刺した。
竜は倒れたが、既に竜の毒がベオウルフを蝕み、王の命は残り僅かとなっていた。息も絶え絶えに竜の残した宝を確認し、ウィグラフにあとのことを託すと、一代の英雄王は息を引きとった。

名著普及会『世界神話伝説大系38』より要約

ベオウルフ王と竜
ベオウルフ王と竜
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まず、舞台の土地について今少し詳しく述べておこう。イェーアト族はスウェーデン南部にいた古い部族(話の想定は有史以前である)で、大まかにはヴァイキング達がその偉大な祖先を語った物語、ということ。そして、ヴァイキング達が好んだ話だったが故に、海を渡ったイングランドで最終的に文字として記録されることにもなるわけだ。これは所謂デーン(デネ)人のイングランド侵入で、詳しい紹介は後半になるが、イングランド・サフォーク州のサットン・フー遺跡がベオウルフ伝説の引き合いによく出される。

サットン・フー出土の兜(復元模型)
サットン・フー出土の兜(復元模型)
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これから見ていくように『ベオウルフ』の様々なモチーフはゲルマン的な伝説のそれであり、イングランドのアーサー王伝説などのドルイド的なそれとは異なるのもこの次第による。

では、目玉となる「竜」に関して見ていこう。重要な問題として、翻訳では「龍・竜」とみなひとくくりに訳されているのだが、本来はいくつかの名の書き分けがある。特に「ウュルム(wyrm)」と「ドラカ(draca)」の両方が使われているという点を覚えておく必要がある。

wyrmは下ってのワーム(worm)のことであり、すなわち「長虫(蛇)」である。dracaはギリシアのドラコーン(δρακων)に由来する語で、下ればこれすなわちドラゴンである。単純に古英語の原典を検索すると「wyrm-26:draca-14」という使用頻度だ。数字だけ見ればどちらかと言ったら長虫なのだということになる(ここ一番でドラカなのかもしれないが)。このあたりはtoroia氏の「ワームとドラゴン」に詳しいので参照されたい。

「ワームとドラゴン」
 (webサイト「幻想動物の事典:竜とドラゴン」)

ベオウルフの竜というのも国土の空を飛び、そこから火焔を吐いて街を焼いて廻っているのであるから、現代思う〝所謂ドラゴン〟のようではあるのだが、「とぐろを巻いて」という表現が多用されていることもあり、まだまだワーム(長虫・蛇)という色合いが濃い存在なのかもしれない。そういえば『ベオウフル』の研究家だったトールキンはよく「長虫」という表現を用いていた(邦訳で読む限りはだが)。

所謂ドラゴン
所謂ドラゴン
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実際のところ邦訳(忍足訳)原典上でこの竜に翼があると書いたところはない。「横たわったその体は、長さにして/五十尺に及んだ。これまで夜中/楽しき宙空に遊んでは、巣を求めて/舞い降りたものであった。」などと表現されるので、空を飛んでいるのは間違いないのだが。

気になる点と言えば『ドラゴン神話図鑑』(柊風舎)の著者であるジョナサン・エヴァンズ(この『ベオウルフ』およびゲルマン・サガを専門とする研究者)が、同書中「ベーオウルフ」の稿に「巨大な蝙蝠のような翼をもつ、あれが来たのだ」と書いている、という問題がある。単なる脚色かもしれないが。また、後半にも見るが、先のサットン・フー遺跡出土の遺物には翼のある竜とされるものがいくつかある。上の兜にしても、眉間・鼻部が竜体で、眉の部分は翼なのだと見る向きもある(H・R・エリス・デイヴィッドソン:著『北欧神話』青土社)。

とは言っても、そもそもドラコーンの名を生んだギリシアといっても実際出て来るのは大蛇・怪蛇なのだし、スウェーデン中部・セーデルマンランドのシグルズと竜を描いたルーン石などを見ても、まぁ、蛇ではある。少なくとも現代人が単純に想起する「ドラゴン」よりは余程蛇に近いものが想像されていたのは間違いないだろう。

セーデルマンランドのルーン石
セーデルマンランドのルーン石
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さて、そのような竜なのだが、この「倒され方」にゲルマン系独特の共通性があるのでそれも覚えておきたい。基本的にゲルマンの竜は頭や背が堅く武器を通さないので、白い腹の方を攻撃するのだ、とされる。どこでもそうだろうという感じもするが、伝説上のこのモチーフの共有具合が高い。これは岩波文庫『ベーオウルフ』(忍足欣四郎:訳)の註に端的にまとめられているのでそれを引こう。

竜の頭(と背)は硬い鱗に覆われて刃をはね返すが、腹には刃を通す箇所がある。『詩のエッダ』中の「ファーヴニルの歌」や『ヴォルスンガサガ』第十八節では、シグルズは道に穴を掘って潜み、通り過ぎようとするファーヴニルの心臓を下から刺して殺すことが語られており、十三世紀のデンマークの歴史家サクソ・グラマティクスの『ゲスタ・ダノールム』第二巻にもフロゾが竜の腹を刺して殺すというくだりがある。

岩波文庫『ベーオウルフ』(忍足欣四郎:訳)より引用

『ベオウルフ』原典では手下(身内だが)のウィグラフが「勇士は竜の頭には目もくれず」下からの攻撃をしているので、ウィグラフの方が竜の弱点を知っていた、ということだろう。いずれにしても、『ベオウルフ』においてもこの様にゲルマン伝来の「竜殺し」の方法が語られているわけである(もっとも文書記録としては『ベオウルフ』が最古なのだが)。

そして、さらに「宝を守る竜」「王(英雄)と竜」という点に関してゲルマンの伝承に顕著な特徴があるのだが、このあたりをより突っ込んで後編で見ていくことにしたい。

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ベオウルフ・前 2012.04.03

世界の竜蛇

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