エレンスゲ

門部:世界の竜蛇:スペイン:2012.07.05

場所:スペイン:バスク
収録されているシリーズ:
『世界の龍の話』(三弥井書店):「エレンスゲ」など
タグ:バスクの竜蛇/竜蛇の卵/蛇巫女


伝説の場所
ロード:Googleマップ

イベリア半島の付け根、ピレネー山脈の西端にスペインとフランスの国境を跨いでバスク人たちが暮らしている。ゲルマン民族など現在に連なるヨーロッパ各地に文化を築いた人々が移動して来る以前からこの地に住んでいたヨーロッパ最古の民族ではないかと言われ、人種(系統不明)的にも言語(孤立語)的にも周辺と隔絶している人々だ(無論各時代で周辺との交雑はある)。

サンティマミーニェ洞窟壁画
サンティマミーニェ洞窟壁画
リファレンス:Bizkaimedia画像使用

バスクにはフランスのラスコーやアルタミラの洞窟壁画と同系と思われるサンティマミーニェ洞窟壁画があるが、これらを描いたのはクロマニヨン人とされ、バスクはクロマニヨン人の性質を濃く伝えている民族ではないかと見る向きもある。事の正否は今でも議論が継続中ではあるが、アングロサクソン種のゲルマン民族の大移動以前からこの地に住んでいた人々であり、インド・ヨーロッパ語ではない言葉を話す人々である、という点は間違いないだろう。

もっともバスクの人々は隠れ住むようにその古風を伝えて来た訳ではない。各時代で大いに活躍し、周辺との交流も持ってきたのであり、また、バスクの気風を伝えるために独裁の圧政とも闘って来たのであった。

ゲルニカ
ゲルニカ
レンタル:Wikipedia画像使用

彼らの歴史を通観するのは別の機会としたいが、例えば先のサンティマミーニェ洞窟へ行くためのベースとなる町はかのゲルニカである。ゲルニカは、バスクのビスカヤ地方の人々が聖木とする樫「ゲルニカのオーク」を擁する聖地だった。フランコの独裁時にはこのように圧され、バスク語の使用も禁じられていたのだが、今ではスペインでは自治を獲得している。最近まではこれより逆に先鋭化してしまった民族独立運動のテロ等が有名になってしまったが、現在は武力闘争も一応の落ち着きを見せている。

このような「ヨーロッパ最古の民族」バスク人たちの神話伝説に「エレンスゲ」という何とも不思議な響きの竜蛇が登場する。エレンスゲ、という固有名の竜蛇がいるように紹介している向きもあるが、バスク語でドラゴンにあたる言葉がエレンスゲであり、各地に沢山現われ、性質形状も様々である。まずは、その代表的な説話を見てみよう。

エレンスゲ:
ある王様が住んでいる美しい村の近郊に、大きな洞窟があり、エレンスゲという七つの頭を持つ恐ろしい龍が住みついていた。龍はたくさんの人を貪り食うので、村は一年に一人娘を差出す代りに残りの者には手をださないよう龍と契約をした。
差出される娘はくじで決めたが、ある時、王様の娘に当たってしまった。そこで王様は龍から娘を助けてくれた者は、娘と結婚させ、王国を継がせようと国中に触れた。
約束の日が来て、王女は木に縛り付けられた。すると、一人の羊飼いが犬を従えてやって来て、何をしているのかと娘に問うた。そして、事の次第を聞いた羊飼いは木の後ろに座った。やがて龍が現れると、羊飼いは犬に命じて龍と闘わせた。犬は龍をズタズタに引き裂き、羊飼いは娘を解き放った。
そこに木の上で見物していた王の家来が降りて来て、王女に七つのスカートをはかせ、龍の七つの頭を切ると袋に入れ持ち帰った。羊飼いは王の家来が龍の頭を切る前に、龍の舌を引抜き、王女のスカートの切れ端とともに持ち帰った。
盛大なパーティーが催されたが、王女の婚約者となったのは龍の頭を切り取って帰った男で、羊飼いは招待もされなかった。羊飼いはこっそり犬にパーティーの料理を取ってこさせたが、犬が見つかり、捕えられそうになると、自分こそが龍を倒したのだと名乗り出た。婚約者は七つの龍の頭を並べ、自分が殺したのだと言い張ったが、羊飼いは「それらの頭には、あるものが足りないはずです」と言って、王女のスカートの切れ端に包んだ龍の七つの舌を出した。彼こそが王女の夫であり、王の後継ぎの婿であったのだ。

三弥井書店『世界の龍の話』より要約

同系の話は良く語られるようで、toroia氏は次のような話を紹介されている。

「南欧/エレンスゲ」(web wiki「幻想動物の事典」)

全般的にペルセウス・アンドロメダ型の伝説ではあるが、勇者が竜蛇を討ち倒すというよりも「とんち」を効かせた展開がバスクのお好みのようだ。

先に、よく分からないところに関して触れておこう。手柄を横取りしようとする家来の男が「王女に七つのスカートをはかせ」ているのが分からない。分からないのだが、北欧・ゲルマンに伝わるリンドヴルム王子の伝説のことが連想される。リンドヴルムの蛇王子伝説では、竜蛇として生まれてしまった王子を人に戻すために、七つ重ね着した服を順に脱いで行き、同時に竜蛇に七回脱皮させ、竜蛇の皮を脱ぎ捨てさせて人に戻すという方法が語られるが、このモチーフが何か伝わりそこねて混入しているのかとも思える。バスクは基本的には内陸の民だったが、中世期にはビスケー湾に乗り出し(海バスクと言う)後の大航海時代には大活躍したような人々でもあり、北欧のバイキングたちと海を通した交流があったかもしれない。

海バスク
海バスク
レンタル:Panoramio画像使用

さて、それはともかく、エレンスゲの特徴として「七頭の竜蛇」であるところがまず目をひくところである。後に見るように必ずしもエレンスゲは多頭ではないのだが、王家が絡むような伝説に出て来るのは概ね七頭であるようだ。ここで気になるのは孤立語とされるバスク語だけれど、コーカサス諸語と関係のある言葉ではないかと見る向きがある事だ。Wikipediaではあまり支持されていないとあるが、ジャック・アリエール『バスク人』(白水社文庫クセジュ)では何度か指摘されている。もしバスク人がコーカサスからやって来た人々であったら、途中トルコ・シリアを経由している可能性は高く、そこには旧約聖書よりずっと以前から七頭の竜蛇(リタン)を語っていたウガリッドもある。

また、そこまで遡らなくとも、バスクではギリシアに由来すると思われる竜女ラミアの話も良く語られる。J・アリエールによれば「もっと身近なレベルに位置しているのが、最後になるが、ラミナ Laminak である。田野に出没する女性の妖精であり、その魔法の力でかわるがわる農民を助けたり、かれらに悪戯をはたらいたりするのである」(ラミナはラミアに同じ)と、竜女に限らず野の妖精でもあるようだが、例えばエレンスゲ伝説を伝えその名も(ラテン系の言葉では)〝Mondragón〟であったアラサーテの街には写真のようなラミア像もあるそうな。竜女だろう(この像があとで問題になる)。

アラサーテのラミア像
アラサーテのラミア像
レンタル:Wikipedia画像使用

「まともに」考えたらバスクの人々は敬虔なクリスチャンであり、七頭の龍も聖書の黙示録のレッドドラゴンの影響で生まれたイメージだろうということになるのだが、万が一キリスト教化(十世紀以降と考えられる)以前に遡る七頭のエレンスゲがいるようであれば、これらの問題が重要となるだろう。

ところで代表的な説話は以上のようなエレンスゲ伝説であり、早い話がお姫さまを竜蛇から奪還する「良くある話」なのだけれど、同じくエレンスゲの登場するよりローカルな説話の中に大変注目すべき話型がある。バスクはまた独特な「竜蛇の卵」に関するイメージを伝えていたようなのだ。

ウルディアインのエレンスゲ:
ある龍(エレンスゲ)が、ウルバサのメンダルテの洞窟に住んでいた。そして夜毎、村で一番美しい娘を貪り食うために、村に出かけて行った。毎夜一人づつ食べるため。あるところに、犠牲になる順番がやって来た娘が、洞窟の入り口のところで髪をすいていた。そこへ、龍と闘う準備をした一人の若者が、その娘に近づいた。その怪物は非常に力があったので、彼らの間ですさまじい戦いが始まった。「ああ、もし今、娘のキスと三クワルティージョのワインがあれば、勝てるのに」と若者は言った。「私に勝てるものはいないさ、額に卵をぶつけられる者は」と龍は答えた。それを聞いた娘は、卵を持ってきて、若者と一緒に龍に卵を食らわせて、殺してしまった。

三弥井書店『世界の龍の話』より引用

「娘のキスと三クワルティージョのワインがあれば」と勇者がいうのは決まり文句のようだ。クワルティージョというのは量の事で1クワルティージョ(クアルティージョ)が0.5リットルくらいだそうな。ちなみに今回マップ上はこの地方にポイントしてある。ウルディアイン地方は写真のようなところであり、それはそれはエレンスゲでも何でもいそうな山並みだという感じだ。

ウルディアイン周辺
ウルディアイン周辺
レンタル:Panoramio画像使用

ともかく「額に卵をぶつけられる」とエレンスゲは死ぬのである。何という話だろうか。同系話では先に魔女のような老女が登場して娘に「小さな卵を一個持って行きなさい。そしてそれで龍の額を五回叩きなさい」と入れ知恵するものもある。この点同書『世界の龍の話』の解説では、

龍退治には、「卵」が武器になることが多い。たいていその卵は小さく、黄身がなく、特別の卵であるという。よく道の十字路で、その卵を割るという儀式を続けているということだ。これは、その卵の中から、エレンスゲが産まれたという伝承があるためだと思われる。

三弥井書店『世界の龍の話』より引用

とある。これは大変に注目すべきことだ。

私は何らかの災厄(疫病であれ、洪水であれ)を竜蛇が暴走した結果と見、その竜蛇を「卵の状態に戻してしまう」ことにより事態を収束させようとする式次第が世界に広くあったのではないかと考えている。

ドルイドの「蛇の卵」で見たような蛇の卵・蛇石に見る呪術性の背後にもそういった理があるのだろうと考えているし、それは日本の丸石・磐座・要石の話や(「温泉寺の無縫塔」など)、祇園の瓜の話までをも繋げていく可能性があると考えている。

しかし、実際に卵でもって竜蛇を封じるという話は一向に見なかった。それが、ここバスクの地で語られていたのである。その卵の意味はエレンスゲが生まれた卵であるから、というところまではっきり語られているのだ(ちなみに「黄身のない卵」という点はドルイドの蛇の卵が中空の水に浮くようなものであったというモチーフと繋がるように思う)。

こうなってくると、ではそれを伝えたのはどのような人々であったのかというところを詳細に追って行きたくなるわけだが、先に述べたようにバスクの人たちというのも謎な人たちなのである。気になるところとして、先の話の中でも「魔女のような老女」が出ているが、このような存在がヨーロッパ各地でキリスト教化する以前の土地の呪術師たちのイメージを継いでいる、ということがまずある。J・アリエールは次のように言う。

バスク地方の伝承にはしばしばジェンティル Jentil(ジェンティリャック Jentilak)《異教徒》が現われている。かれらは、キリスト教伝播に先立つ世界に住みついていた異教徒であり、異様で不気味な人間の格好をして、薄気味悪い商売に従事し、ドルメンの地下に埋められていると、しばしば信じられている。

J・アリエール『バスク人』(白水社)より引用

そして、話の中で生贄に差出された娘は「洞窟の入り口のところで髪をすいていた」のだが、老婆の出て来る話でも同じように「娘は洞窟の前で、髪の毛をとかしていた」と語られ、これは定型的なモチーフであるようだ。ここで先のラミアの像を思い出していただきたいのだが、ラミアというのは大概水場で髪をとかしているのである。

アラサーテのラミア像
アラサーテのラミア像
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このように怪としての竜女と、竜蛇に捧げられる娘が同じような行為を行なっている土地では、その根底に竜蛇神に使える蛇巫女の存在があったことを疑って良いと思う。同じくスペインの「生命の泉」を護っていた巫女たちのことも思い出されたい。

もっとも例えばお隣フランスでは水場でメリュジーヌという有名な竜女が髪を梳いているし、広くドラゴンメイドの類は似たようなものではあるので、そこだけでバスク特有ということではない。しかし、魔女にしても竜女にしてもキリスト教以前の古い流れがこの話(竜蛇の卵の話)に大きくかかわっている可能性がある点はこの地に特有であるだろう。これ以上のことはバスクの伝承を詳細に追ってみないことには何とも言えないが、その甲斐はあるかもしれない(邦訳されたものは少ない。海外文献の一覧は先のJ・アリエール『バスク人』の巻末にある)。

いずれにしても、妙に惹かれる響きを持つバスクの竜蛇エレンスゲの伝説は、この卵で封じられる次第という一点において大変重要なポジションを占めることになる。現状唯一の実例として、そこはよくよく覚えておいていただきたい。

memo

アラサーテ
アラサーテ
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エレンスゲ 2012.07.05

世界の竜蛇

世界の竜蛇: