ママ・コタ

門部:世界の竜蛇:ペルー:2012.05.05

場所:ペルー:チチカカ湖など
収録されているシリーズ:
『世界神話伝説大系17』(名著普及会):「湖の女神の怒り」など
タグ:南米の竜蛇


伝説の場所
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マチュ・ピチュ
マチュ・ピチュ
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ペルーと言ったらインカ帝国だが、ここは中々難しいところである。もともとわれわれの知るような文字を使ってなかった(文書記録がない)上に、スペインの征服時に人間はほぼ絶滅状態になってしまった。紀元前から相当高度な建築文化を持っていた地域なのだが、プレ・インカのことに関してはそれらの遺跡を通して推測するよりない。今回扱うチチカカ湖の方だとティワナク遺跡が紀元前からインカ帝国の前身であるクスコ王国の進展期少し前まで続いていた都市と考えられている。

このような地方地方のセンターとその周辺という単位の歴史が長かったのだと思われる。インカの遺民をケチュア語を話すケチュア族というが、インカ帝国で公用語とされる以前の単一のケチュア語というのは本来なく、ケチュア諸語族とでもいうべき広がりのある地域だったようだ。

ケチュアの暮らし
ケチュアの暮らし
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そういったところなので、ペルー・インカの神話・伝説といっても様々な系があったと思われ、かつ、すでにその多くは知り難くなっている。例えば、インカ帝国の王の祖を語る神話では、太陽神(父)と月神(母)の息子マンコ・カパックを人々の祖神・英雄神とする。彼は妹のママ・オクリョと夫婦となり、彼らが地に下って人々に文明を教える。しかし、チチカカ湖の方ではマンコ・カパックはチチカカ湖から現われ、同様に文明を人々に教えたビラコチャ(男神)の息子だとされる。水神であろう。このような全然別の祖神の話が同名となり混淆しているわけだ。

要するに「よく分からない世界」なのだと言い訳をしているのだが(笑)、その中からもなんとか「これは?」と思うところを見つけて行こう。大雑把に見るとこの地の神々は概ね人格神の人の形をした神々であり、精霊的な動物神の影は薄い。しかし、これがもともとそうなのか、比較的下った時代のインカ帝国の統合作業によるものなのかというと後者だろう。少なからずより古い時代の神々の姿が透けて見える例もある。その中から、今回は「蛇神」であったかもしれない女神を紹介したい。場所はかのチチカカ湖であり、その神はチチカカ湖の女神である。名を「ママ・コタ」という。先に説明の方を見ておこう。

チチカカ湖
チチカカ湖
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ママ・コタ女神
ペルーの民衆は、チチカカ湖に自分たちの食養品を仰ぐことが多かった。この湖はいわば彼らの生命の支持者であった。だから彼らはこれをママ・コタ(Mama Cota)とよんで心から崇拝した。ママ・コタとは「母なる水」の義である。この女神は主として魚類の賦与者として尊び敬われた。二つの像がママ・コタに捧げられた。一つはコパカファナ(Copacahuana)とよばれて、人間の頭と魚の体をした姿に刻まれた青緑色の石像で、チチカカ湖の畔の小高い丘の上に建てられていた。(中略)もう一つの像はコパカチ(copacati─「蛇石」)とよばれ、多くの蛇に取り囲まれた神の姿をしていた。これはチチカカ湖そのものに具現化せられた「水」を表すものであった。

名著普及会『世界神話伝説大系17』より引用

コパカファナ/コパカチという像は今のところ分からない。この実際の像を見ることが出来ると「これは?」が「これはっ!」になるかもしれないのだけれど。ともかくこのチチカカ湖の女神に関する伝説というのが面白いのだ。特に、日本人にとっては。

チチカカ湖 浮島の上に暮らすウル族
チチカカ湖 浮島の上に暮らすウル族
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湖の女神の怒り
あるとき、ファイナ・クカパックという男が、チチカカ湖の中の一つの島の上にヤチリという神の社を建てようと決心した。そして、ママ・コタ女神に旨を伺うと、「チチカカ湖は私のものじゃ。他の神の社など建ててはならぬ」という答えであった。クカパックは、人々に命じて、ではその島は止めにしてアピングェラ島に建てようと言い、また人々は女神に伺った。しかし「それもならぬ」という答えであった。
どうしても神の社を建てたいクカパックは焦り、女神の考えなど聞くから駄目なのだ、とパアピチ島に神殿を建ててしまった。これにママ・コタ女神が火のように怒り出し、我慢がならぬと凄まじい暴風を起した。湖の水が一面に踊り起こって、瞬く間にパアピチ島の神殿は水の底に沈んでしまった。

名著普及会『世界神話伝説大系17』より引用

まるで弁天さんである。さて、このような「母なる水」の女神ママ・コタが、果たして日本でそうであるような水神格の蛇神なのか、ないしより古くそうだったのか、という点が問題なのだが、この女神によく似た「ママ・コチャ」という女神がいる。次のような女神だ。

ママ・コチャ女神
ママ・コチャ(Mama Cocha)は、海の女神である。そして、あらゆる人類の母であると信ぜられた。(中略)古代のペルー人は、大地を崇拝したと同じように、また海洋を崇拝したのであるが、しかし崇拝の心理は、その住土によって異なっている。ペルーの内地に住んでいた民衆は、海洋に慣れないために、強くこれを恐れて、海の神を目して人の子を脅す恐るべき霊物とした。これに反して沿海地に住んでいた民衆は、海洋に親しみが深く、かつ、そこから大切な食料を得たのであるから、これをママ・コチャと呼び、恵み深い神として尊び敬った。ママ・コチャとは「母なる海」の義である。

名著普及会『世界神話伝説大系17』より引用

この女神が問題で、引いた解説を読む限りは海洋、太平洋の神であるように見えるのだが、一方でチチカカ湖の神だとするものもある。先にチチカカ湖から出現して人々に文明を教えたビラコチャ神がいると述べたが、このビラコチャ神の后神がママ・コチャ女神なのだともいう。

ママ・コタとママ・コチャの両女神がどういう関係で、どう混淆しているのかよく分からないのだが、さらに、「ママ・コチャ」という語が固有名というよりもあちこちの池沼のそれぞれの女神というように使われている節もある。例えば琵琶湖なら「ビワ・ママ・コチャ(ないし、ビワ・コチャ・ママ)」となるような。そして、この例として大変興味深い話があるのだ。チチカカ湖やインカの中心クスコからは北西、リマの手前のヤウヨス地方のお話。

ヤウヨス地方の水辺
ヤウヨス地方の水辺
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ウインソ・コチャ・ママ
ヤウヨスのシンチ・マルカの住民たちは、長い年月裕福に暮らしていた。村人たちによって急な坂を登ったり下ったりして運ばれた収穫物の大きな荷物が村まで届いた。コルカ、すなわち穀倉はたくさんの蓄えでいっぱいになっていた。たくさんの収穫を得るために、シンチ・マルカの農夫たちは毎年、ウインソ・コチャ・ママに生まれたばかりの子どもを差し出した。しかし、ある年、この沼に捧げる子どもがなくなる時がやって来てしまった。その時、村にムアンカ出身の一人の男がやって来た。
男はトウモロコシ酒で酔っていたので、沼まで連れて行かれ、子どもの代りに石の丸い机の上で沼がむさぼりくらうのに身を任されることになった。昼過ぎ、巨大な蛇が沼のざわめく波の間に現われた。蛇が男を食べようとすぐ近くまでやって来た時、突然男がベルトにつけていたイタチの皮の袋が鱗のある蛇と凄まじく戦って命を取り戻してくれた。しばらく蛇は暴風と稲妻を伴いながら暴れたが、その怪我で死んだ。最後に赤い氷が畑に降り、シンチ・マルカの家々を破壊した。逃げ得た住民たちは附近の山峡に向かって移住し、そこで、ララオスとワンタンの地区を形成した。(一九三〇・ララオス区で採集)

新世界社『インカの民話』より要約

「イタチの皮の袋が鱗のある蛇と凄まじく戦って」というのがどういうことだかよく分からないが、「ウインソ・コチャ・ママ」が沼のこと、沼の蛇のことであり、ママは女神だからウインソの水(沼)の女神ということだろう。ママ・コタ/ママ・コチャ女神の名はこういう展開をしているようなのであり、そしてこの話では直裁に蛇だと言っているわけだ。というよりまるで日本の水神の蛇神のようである。

ヤウヨス地方の山間の耕作地
ヤウヨス地方の山間の耕作地
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ともかくペルー・インカの竜蛇神などと言っても、そのようなテーマで何か書いたものも見えず、空白地帯の観があるのだが、どうも一転して日本からすると妙に親しみの湧く蛇どもとのかかわり方をしていたようである。そしてもう一点。

最初のママ・コタの解説のところでコパカファナと呼ばれる、人間の頭と魚の体をした姿に刻まれた青緑色の石像のことが紹介されていたが、ペルーには人魚譚が多い。しかし、その姿は白い肌で金髪で……と、どうもスペイン征服後にヨーロッパから入ってきた人魚像のように語られる。これは実際ヨーロッパからなのだろうと考えられているようなのだが、一方であまりにも広く好んで語られるという分布が不思議だともされている。人魚のイメージそのものはヨーロッパからの借用としても、これが広く根づく下地があったのではないか、とも思われるのだ。そして、次のような話がある。

水中の人(ヤクルナ)
ファビアン・サンガマは、息子をつれてサンタ・ロサの土地に帰った。ワリャガの小川を小さなカヌーで下っていくと、突然裸で美しい女がカヌーの舳先をつかんでいるのに気付いた。カヌーは沈みはじめ、たちまち乗っていたものは川底のある家の中にいた。その家の屋根は砂でできていて、柱、はりやその他の用材は色々な大きさ太さのマムシだった。そして座る椅子はチャラパ(川亀)だった。裸で目のくらむような美しいたくさんの娘たちが家の中にいて、寝床に一人の老人が横になっていた。
老人は客に気がつくと立ち「ミクシャラ(食べよう)」と叫んだ。だが、女たちが寝床に老人を横たわらせた。息子は泣き、サンガマはタバコの葉をかんでいた。突然、どうしたことかサンガマと息子は再び自分の舟にいて、荷物は何もなくなっていなかった。カヌーは乾いていて、短い間にヤクルナの客になったとはいえ、何事も起こらなかったように、サンタ・ロサへ進んでいった。(ロレト州で採集)

新世界社『インカの民話』より要約

サンタ・ロサはリマの北隣である。この話の註に次のようにある。

この地方では、川や湖の底に人が住み、美しくて、豪華な宮殿があると信じられている。それらの人は「ヤクルナ」と呼ばれる。それはケチュア語の「ヤク(水)」と「ルナ(人、インディオ)」の合成語で「水の人」または「水中に住む人」を意味する。

新世界社『インカの民話』より引用

やはり、もとから「水中に住む人」の伝承があったのだと感じる。そして、先に見てきたママ・コタ女神などと連絡しているような感触も受ける。

アメリカは北アメリカ・メソアメリカともに竜蛇神の話・信仰は大変盛んだが、「水神格」という方向に際立った接続は見られない(メソアメリカのトラロック神が蛇なら大物だが)。これがペルーに下ると水神=竜蛇神があったかもしれない、というのは興味深いことだろう。おまけで竜宮まであったかもといったらなおさらである。「世界の竜蛇」でも空白地帯になるのかと心配していた南アメリカの地が、日本から見て実はとても共通項のある竜蛇信仰があった地かもしれない、ということになったわけだ。先行研究が見えないのが難しいところだが、このことは強く強調しておきたい。

プレ・インカ 北部クエラップ遺跡の蛇
プレ・インカ 北部クエラップ遺跡の蛇
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memo

ママ・コタ 2012.05.05

世界の竜蛇

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