ウィツィロポチトリ

門部:世界の竜蛇:メキシコ:2012.04.01

場所:メキシコ:アステカ
収録されているシリーズ:
『世界神話伝説大系13』(名著普及会):「フイチロポクトリ」
タグ:王と竜蛇/アステカの羽蛇


伝説の場所
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主に参照する『世界神話伝説大系』では「フイチロポクトリ」とカナ表記されているが、今では「ウィツィロポチトリ」と表記する方が一般的なようなので、要約・引用以外はそうする。ウィツィロポチトリ(Huitzilopochtli)とはアステカ族の太陽神・軍神である。アステカの最高神はテスカトリポカだが、軍事に秀でた人々だった彼らの間では、軍神であるウィツィロポチトリの方が重く祀られた観がある。基本的には蜂鳥をその表象とする神であり、単純に竜蛇神ではない。

ウィツィロポチトリ
ウィツィロポチトリ
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もっとも本質的には蛇ではないかと見る向きもありややこしいのだが(後述)、今回はウィツィロポチトリが蛇神かそうでないかというよりも、この神が「人のように」描かれるところに注目し、いずれ扱うメソアメリカの偉大な蛇神ケツァルコアトルを考える前段としたいのだ。

何となれば、ケツァルコアトル神というのも神霊として、創世の神に連なる古い蛇神としての性格を持つ一方で、アステカに具体的に語り伝えられた伝承の多くは「ケツァルコアトル王」としての事跡なのだ。そのギャップは甚だ大きいのである。ケツァルコアトル一稿でその辺りをすべて語るのは難しいと思われるので、先んじてウィツィロポチトリの神を紹介する事で、このようなギャップがなぜ生れて来たのかに関し私見を述べておきたい。では、まずこの神の誕生の模様を見てみよう。

トルテック族のトランの町の近くにコアトリクェと呼ばれる寡婦が住んでいた。コアトリクェにはコヨルシャウクィという一人娘と、何人かの息子が居た。コアトリクェは信心深い女で、毎日丘に登り、神々への祈りを捧げていた。
ある日のこと、コアトリクェがお祈りをしていると、空から美しい色の小さな珠が落ちて来た。彼女は気に入り、いつか太陽の神に捧げようと思って懐に珠をしまった。それから暫くして、コアトリクェは身重になった。
夫を失ってから全く身に覚えのなかった彼女は混乱し恥じた。そして、これを知った子どもたちは母を憎み、面と向かって罵り、ついには母を殺すことに決めてしまった。一人、母殺しの罪に脅えた息子のクァウイトリカックがこのことを母に告げ、コアトリクェは絶望する。
しかしその時、二人に腹の中の子が声をかけて来た。自分はフイチロポクトリといって天なる神の子であること。五色の羽の珠となって母に宿ったのだということ。必ず助けるから言うことをよく聞いて欲しいと言い、驚き恐れた二人は従うことを誓った。
やがて姉のコヨルシャウクィを先頭に子どもたちが攻めて来た。コアトリクェとクァウイトリカックはまだ腹の中のフイチロポクトリの言葉に従って山上に逃げ、迎え撃った。そして、コヨルシャウクィが目前に現われたその時、フイチロポクトリが鳥の羽飾りを頭につけ、左足に様々の羽をまとってコアトリクェの体から飛び出して来た。襲い掛かるコヨルシャウクィに向け、フイチロポクトリから蛇のような稲妻が放たれ、打たれた彼女は微塵に砕けた。
怖れをなした他の兄弟たちは一散に逃げたが、フイチロポクトリはまっしぐらにその後を追いかけた。彼らは山のまわりを四度巡ったが、最後にフイチロポクトリは湖に飛び込んだ兄弟たちに投槍を飛ばして、みな殺してしまった。

名著普及会『世界神話伝説大系13』より要約

さて、このいささか哀れな母コアトリクエは女神である。メソアメリカで最重要と言っていい大地母神だ。そのお姿がこうである。

大地母神:コアトリクエ
大地母神:コアトリクエ
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どれだけの生贄の血を吸ったかという、かの有名な蛇を纏う大地母神・コアトリクエの像。既にここに途方もないギャップがあることが見て取れるだろう。長女の母殺しの急先鋒コヨルシャウクィ(コヨルシャウキ)にしてもアステカの「月の女神」なのである。ウィツィロポチトリにしてもいかにも軍神の誕生のようで超常の力を振るうが、人の姿で描かれている。実際これはアステカ族が周辺諸部族を従えた過程を語った物語だと考えられてもいる。無論下ってキリスト教化して以降の変節という面が大きいのだと思われるが、それにしてもその「神」としてのイメージと伝承のギャップが大き過ぎる。

この後、〝アステカ族の〟ウィツィロポチトリはテスカトリポカらと組んで、〝トルテカ族の王〟ケツァルコアトルを追い込むのだが、ケツァルコアトル王を酔っぱらわせたり、将軍の娘をたらし込んで嫁にしてしまったり、道化となってトルテックたちを小馬鹿にしたりとおよそ神戦という感じではない。

私はこれはアステカの人々が(その初期において)基本的にあまり「神秘家」ではなかったことを意味するのだろうと考えている。大まかにはテオティワカン崩壊後その衣鉢を継いでいた(と思われる)きわめて高度に象徴的・宗教的な文化を持ち、ケツァルコアトル神を祀っていたトルテカ族を14世紀に移動して来たアステカ族が従えた、という実際の歴史がある。

テオティワカン:月の神殿
テオティワカン:月の神殿
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これがウィツィロポチトリとテスカトリポカによって国をめちゃくちゃにされたケツァルコアトル王が東の地へ去った(帰った)という伝説になっていると思われるのだが、この時のトルテカとアステカの神祀りに対するギャップが今の神話伝説と神のイメージのギャップとなっていると思うのだ。

すなわちこういうことと思う。アズテックはわりと現実的で英雄王のような神を信仰する戦闘に長けた人々だった。トルテックはメソアメリカの太古からの神々を祀る宗教的な人々だった。まさに軍神ウィツィロポチトリと老賢者のイメージのあるケツァルコアトル王である。アズテックがトルテックを支配下に置き、双方の性質の混淆が始まる。アズテックは神的要素を取り込み宗教的になって行き、逆にトルテックの伝えた神話は人の歴史のように語りなおされることになる。おそらくアステカ以前はケツァルコアトル〝王〟という伝承はなかったのではないか。

この過程がアステカ神話に見る太古の神の像と実際の伝承の人間模様のような話とのギャップの原因ではないか思うのだ。ケツァルコアトル〝王〟の話はスペイン人の到来時既に語られていたので、この発生が私の思うようならキリスト教文化の影響だけでは片は付かない。

ともかくアステカにはこのような特性があるのだということを今回は覚えておきたい。それはきっとアステカ周辺のすべての神のイメージと伝承に見られるギャップだ。いずれにしてもそこに何らかの指針を持っていないとこの土地は進み難いと思うのだ。

アステカの双頭の蛇像
アステカの双頭の蛇像
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言いたいことは今回以上なのだが、今少しウィツィロポチトリそのものについて述べておこう。まずこの神の表象が何なのかということなのだが、先に引いた誕生話に「左足に様々の羽をまとって」とあるように、「左の蜂鳥」という意味の名である。神官がその姿を模す際も蜂鳥のように着飾るので、基本は蜂鳥(アステカでもっとも高貴とされる鳥)なのだろう。が、軍神としては鷲で現される。現代のメキシコの国旗を見てみよう。

メキシコの国旗
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鷲が蛇をくわえている。この図案がアステカが首都テノチティトランを造営した際の神話そのものなのだ。移動を開始したアズテックたちにウィツィロポチトリが託宣をする。

まさしく、わしは、なんじらの行かねばならぬところへなんじらを連れて行く。わしは白い鷲となって現れるだろう。(中略)なんじらの好適の居住地とわしが思うところになんじらが着いたら、わしはそこに降り立つから、なんじらはそこでわしを見るだろう……(後略)

アイリーン・ニコルソン『マヤ・アステカの神話』(青土社)より引用

こう言った神に従って、アズテックたちはサボテンの上で蛇をくわえている鷲を見つけ、そこを都と定めたと言うのだから、ウィツィロポチトリが鷲なのだ。トルテックが蛇の神ケツァルコアトルを戴く蛇の王国であったことを思えば、その蛇をくわえる鷲がアステカの軍神ウィツィロポチトリということで歴史そのままである。そうなるとウィツィロポチトリは「蛇を従える鳥」なのだろうかと思える。

しかし、その母コアトリクェが蛇を纏う大地母神であること、軍神であり、矢・雷を結びつくこと、多くウィツィロポチトリの座る台座が蛇に象られることなどから、もともとは蛇神だったのではないかと見る向きもあることが『世界神話伝説大系』でも解説されている。

ケツァルコアトル自体「羽毛の生えた蛇」であり、そもそも鳥と蛇の境は薄いと思われるのだが、さらに、アイリーン・ニコルソン『マヤ・アステカの神話』(青土社)にいたっては「ケツァルコアトル=ウィツィロポチトリ」という見解さえ出している(これはどうかと思うが)。結果としてはアステカの都テノチティトランもご多分に漏れず蛇だらけなのであり、実質的に蛇神の持つ要素は受け継いでいると見て良いとは思う。大体今回の思惑が当りなら、初め鳥だったにせよだんだん「ケツァルコアトル化」していったという線で決着のつきそうな話でもある。

テノチティトランの神殿の蛇
テノチティトランの神殿の蛇
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ウィツィロポチトリ 2012.04.01

世界の竜蛇

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