ザッハーク・後

門部:世界の竜蛇:イラン:2012.04.16

場所:イラン:シャー・ナーメ
収録されているシリーズ:
『世界神話伝説大系4』(名著普及会):「奇怪な接吻」など
タグ:王と竜蛇/怪物化する王

▶「ザッハーク・前」へ……


伝説の場所
ロード:Googleマップ

プリミティブな他界観にあっては、死んだ先に行く世界とは〝こちら(現世)〟とあまり違うことのない〝あちら(他界)〟の世界であり、こちらで何かが死んだらあちらで何かが生まれ、あちらで何かが死んだらこちらで何かが生まれる、そのようなものだったと考えられる。

この魂の交換の感覚は、狩猟・採取の文化に色濃く、ところによっては現代にも生きている。猟師・漁師たちは、大物を狩った際、大きな漁を上げた際、必ず共同体の皆で山分けにする。それは、共同体の円滑な運営を行うための知恵というばかりではない。獲物とはあちらからやって来る魂であり、贈与された富である。しかし、その富の分こちらからあちらに何かが贈られなければバランスは保たれない。そしてそうであるならば、大き過ぎる狩りの成果は、それを得たものを「あちらへ引きかねない」。山分けはこの交換の仕組みへの恐れでもあるはずだ。

ともかく、このようなある意味等価交換的な対称性を維持させようという他界観が狩猟・採取の時代には支配的だったと思われるのだが、その対称性は新石器革命によって破られることになる。農耕・牧畜により人は富を「生産」することが出来るようになってしまった。この意図的な「富の引き出し」に際し、その妥当性を保証するための職能が発生する。彼・彼女は富の引き出しが一定の規範を逸脱しないことをあちらへ示す人々の代表であり、かつ、あちらの意志を人々に告げる他界の(神の)代弁者であった。すなわち「王」の誕生である。

ところで、この交換の次第において、特異なイメージで見られた生き物がいた。蛇である。あらゆる生き物が魂としてのみ(つまり死ぬことによってのみ)行き来できるとされたあちらとこちらの境を蛇は生きたまま行き来できると考えられた。脱皮することで新生すると思われたのだ。故に、蛇の能力を得ることができれば、あちらの富を過剰に引き出すことが可能なのではないか、と人々は考えた。これを「蛇の知恵」と呼ぼう。優れた王は、バランスを崩すことなくより多くの富を人々にもたらすことを期待される。つまり、王とは蛇の知恵に長けたものなのだ。

これが世界各地で王の誕生に竜蛇が関わる伝説が語られる理由だと私は考えている。しかし、ここには大きな落とし穴がある、と考えた人々がいた。王が蛇の知恵に長けており、富を過剰に引き出し強大になる。しかし、その際自然はそれにあわせて強大になったりはしない。富の引き出しを行い、王は「蛇の知恵」によって祭祀を執り行ない、あちらとこちらとのバランスをヴァーチャルにとってしまう。しかし、これは空手形ではないのか。ことに王が神であるという地点まで行くと、王の「空手形の乱発」には事実上リミッターが無くなってしまう。

それは「怪物化する王」の出現に他ならず、事実そうなった。そこに気付いた人々とはおそらくヘブライの民だと私は考える。彼らは目の当たりにしたのだ。ラムセス二世の膨張を、ネブカドネザルの膨張を、アレクサンドロス大王を、そしてローマの怪物化を。

『ヨハネの黙示録』の赤い龍
『ヨハネの黙示録』の赤い龍
レンタル:Wikipedia画像使用

だから彼らはエジプトを「ラハブ(怪蛇)」と呼んだのだ。そして、キリスト教に至ってもエデンの蛇と同一だとされる黙示録の竜は「王冠をかぶっている」。これは歴代ローマ皇帝の隠喩だとされるが、実態は怪物化する王への警戒に他ならない。ユダヤ教やキリスト教の竜蛇に関して詳しくは別途稿を立てるが、以上が「龍学」が世界の竜蛇伝説を追う上で指針としている作業仮説のうちの「王と竜蛇」「怪物化する王」のあらましである。極めて重要度の高いラインの一つだ。荒野のイエスに悪魔が「王にしてやろう」と囁いたのも、つまりは「蛇の知恵」を使え、という囁きであり、だから悪魔は蛇なのだ。そして同様にザッハーク王子も囁かれ、ついに蛇は囁きを受け入れる人物を手にすることになる。

さて、こうして見てくると、ザッハーク王=「怪物化した王」の重要性がどれだけ高いかが分かるだろう。聖典レベルでのほぼ唯一具体的な個人の「怪物化した王」の記述だと言える。しかし、彼は難しい出自を持ってもいる。ザッハーク王がイスラーム的な翻案であり、ゾロアスター教の神話内では「アジ・ダハーグ」という三首の竜蛇であったことは前編で述べた。このうち「アジ」はヴェーダにいう「アヒ(ヴリトラ・インドラに討たれる大蛇)」に同じであり、「蛇」の意である。インドとイランに分かれる前からアーリア人はそういう蛇を畏れてきたのだろう。しかし、「ダハーグ」が何の意かは分かっていない。これが既に「魔王・魔人」の意を示していたら、話が難しくなってくる。

Wikipedia「アジ・ダハーカ」の稿には「図像表現に限るならば紀元前2100~1800年のバクトリアにさかのぼる」とあるが「人-蛇」の図像であるならば大変古くから蛇の魔王がいたことになる。ただし、この時代のバクトリアはバクトリア・マルギアナ複合文化という四大文明に匹敵する規模の都市文明を持っていたとされるが、BC16Cごろに南下したアーリア系民族との関係は明らかではない(青木健『アーリア人』講談社メチエ)。

先の話から行くと、怪物化する王はヘブライの民によって指摘され、イスラーム→イランと入ってきてアジ・ダハーグはザッハーク王となった、となるのが綺麗なのだが、事と次第によっては世界の終末やメシアの思想と同じくヘブライがゾロアスター教から取り入れたのか、ということにもなるのだ。アヒ(ヴリトラ)や西方系の印欧語族にはこのような形での王と竜蛇の結びつきはあまり感じられないため、やはり大きくクローズアップしたのはヘブライなのだとは思う。しかし、その切っ掛けがすでにアーリア的な信仰の体系の中にあったか否かというのは大きい。

私は一神教という史上もっともユニークな思想の核心に、この「怪物化する王」への警鐘があると考えている。そしてそれは王と竜蛇の関係の行き着いた一つの極限でもある。ダマーヴァント山に幽閉され、今も怒りに燃えているという魔王ザッハークは、実にこのような問題の象徴であるのだ。そのことをより明らかに論じるには、ヘブライの、メソポタミアの、インドの、アラブの、トルコからギリシアへの、そしてエジプトへの多くの話を俯瞰してみる必要があるだろう。今回は、ここにそのようなひとつの「萃点」が存在することを指摘してひとまず幕としたい。

memo

地図上のポイントについて。ザッハーク王の宮殿が「もともと」どこに想像されていたのかはよく分からない(下ってはイスラエルだと言う)。ザラスシュトラの出身地も活躍した場所も難しい。そこで、第一ポイント(前編で表示されるポイント)はイランの人々が「タフテ・ジャムジード(ジャムシードの玉座)」と呼ぶペルセポリスに象徴的に置いた。もっともアケメネス朝の頃にゾロアスター教がどのようなまとまりを見せていたのかはよく分からない。

ペルセポリス(タフテ・ジャムジード)
ペルセポリス(タフテ・ジャムジード)
レンタル:PHOTO PIN画像使用

今回の後編で表示されているポイントは「ダマーヴァント山」である。タイトルバックの写真がその山。実に「いかにも」な山容である。

ザッハーク・後 2012.04.16

世界の竜蛇

世界の竜蛇: