ザッハーク・前

門部:世界の竜蛇:イラン:2012.04.09

場所:イラン:シャー・ナーメ
収録されているシリーズ:
『世界神話伝説大系4』(名著普及会):「奇怪な接吻」など
タグ:王と竜蛇/怪物化する王


伝説の場所
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今回ははじめに少し歴史の流れを把握しておく必要がある。イランはその名のごとく「アーリア人の国」の意味である。ペルシアというのはギリシア・ローマ人がそう呼んだのだ。紀元前三〇〇〇年頃、中央アジアにいたと思われる古印欧語族が東西に移動をはじめる。ヨーロッパ方面のゲルマンなどが西方系、イラン・インドへ向かったのが東方系。実はこのうち「アーリア」を自称したのは東方系なので、アーリア人とは狭義にはイラン高原とインド亜大陸の印欧語族をさす。

そのインドに入ったアーリア人がバラモンを組織し、イラン高原に入ったアーリア人の中からゾロアスター教が生まれてくる。だからこの両者の神話には(名が共通するという具体的なレベルでの)似たモチーフがまま見られる。ゾロアスター教はザラスシュトラ・スピターマ(ゾロアスター)が開祖だが、実態としてはアーリア人にそれ以前から伝わった神話・伝承をザラスシュトラが組織立ったものとして再構築したもの、と見て良いだろう。これはBC12〜9世紀頃と思われるがよく分からない。アケメネス朝時代にはかなりしっかりとした教義があり、聖典もあったと思われる(実際「バビロン捕囚」時にヘブライの人々はゾロアスター教に影響されたと考えられる)のだけれど、アレクサンドロス大王がペルセポリスを落とした際に灰燼に帰してしまったとされ、このあたりの詳細もよく分からない。

ベヒストゥン碑文のザラスシュトラ
ベヒストゥン碑文のザラスシュトラ
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はっきりし出すのはAD224にサーサーン朝ペルシアが確立し、ここでゾロアスター教が国教とされ、聖典『アベスターグ(アベスター)』が編纂されて以降である。しかし『アベスターグ』も完全な形では後世に伝わらなかった。アラブに起こったイスラームの勢力にサーサーン朝が粉砕された際に散逸してしまったのだ。そうした中で、アーリア的であった神話伝説群はイスラーム的な再解釈を交え再構成されることになる。こうしてイランの神話伝説は11C初頭にフェルドウスィーにより一大叙事詩『王書(シャー・ナーメ)』としてまとめられることになり、今回の紹介はこの中に語られる魔王・ザッハークについての話である。以上の大雑把な流れを踏まえつつ、その伝説を見ていこう。

奇怪な接吻:
昔、アラビアにザーハークという王子があった。素晴らしいアラビア馬を一万頭も持っていたので皆から「万場」と呼ばれていた。イブリースという妖精が、ザーハークの幸福を嫉んで、王子を誘惑して悪いことをさせようと決心した。イブリースは正直な男に化け、ザーハークの館に訪れると色々なおもしろい話を聞かせて王子をとりこにした。そして、老いた王を殺して王者の位につくように王子をそそのかした。ザーハークは真っ青になり考え込んだが、言う通りに落とし穴を掘り、王を殺してしまった。
王となったザーハークにイブリースはますます取り入った。ある時、ザーハークはイブリースに何なりと褒美をとらせようと申し出る。イブリースは王の裸の肩に接吻することを許されたい、と申し出た。王は奇妙に思ったが、これを許した。イブリースは王の両肩に接吻すると、そのままふっと消え失せた。すると、その唇の触れた所から二匹の真っ黒い蛇が生え出した。蛇たちは日ごとに王の体にまとわりつき、舐めたり咬んだりするので、王は苦しみ、大勢の学者や魔術師を召して払おうとしたが、駄目であった。
そこへ今度は医者に変装したイブリースがあらわれ、毎日人間の脳髄を蛇に食べさせれば王の苦しみは無くなると告げた。ザーハーク王は喜び、それから毎日幾人かの男女を殺しては、その頭を切り裂いて脳みそを蛇に喰わせることにした。
この魔王の出現は瞬く間にペルシアにも知れ渡り、皆偉大な国王ジャムジードを棄てて、逃げ去ってしまった。こうなってはジャムジードもどうすることも出来ず、攻め入ってきたザーハークに国を奪われ、追放されてしまった。

名著普及会『世界神話伝説大系4』より要約

ゾロアスター教の説く世界ははよく知られるように善悪二元の争いが世界の流れであり、光・善の神アフラ・マズダーに対抗するのが闇・悪の神アンラ・マンユである。引いた話し中イブリースというのはイスラームでいう悪魔であり、彼がゾロアスター教神話としてはアンラ・マンユの化身ということになる。ジャムジード王とはイラン神話としてはイマ王。ホーシャングが築いた伝説のアーリア王朝ペーシュダートに続いた光・善の勢力の聖なる王だが、彼が闇・悪の勢力となったザッハークに追われ、以降千年の間は闇の魔王ザッハークの支配により、イランの人々は苦しみぬくこととなる。

宮殿に入るザッハーク王
宮殿に入るザッハーク王
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しかし、闇のあとには光が来るのがゾロアスター教の世界の定めである。いつしかザッハークは自分が牡牛の頭をした矛で殴り倒される夢にうなされるようになる。魔術師たちにただすと、いずれ出現する英雄がザッハークを討ち倒すことを示す夢だ、と予言された。そして、そうなった。

予言の実現:
ザーハーク王は相変わらず人々を殺し、その脳みそを二匹の蛇に喰わせていた。ある時、鍛冶屋のカーワという男の二人の子が蛇の餌食となる日が来た。カーワは魔王を恐れず、宮殿に駆けつけると怒れる牛のようにザーハークの非道を詰り、子を連れ悠々と帰った。ザーハークの力は既に弱まり、カーワの力強い言葉を前に動くことが出来なくなっていたのだ。カーワはそのまま正義を掲げ、暴君ザーハークを討ち倒すべく人々を組織し、予言された英雄ファリーズーンを探した。ファリーズーンは魔王に見つからぬよう慎重に山中の仙人の元で育てられていた。
山を下り、来たるべき日に備えていたファリーズーンをカーワは見つけた。そして、カーワの軍勢はファリーズーンを戴き、一気にザーハークの館に攻め入った。しかし、主はいなかった。ファリーズーンに対抗できる魔術師を得るためにインドへと出かけていたのだ。ファリーズーンは館に幽閉されていたジャムジード王の妹たちを救い出し、英雄を恐れてザーハークの部下たちは逃げ出した。ファリーズーンは館の新たな主となった。ザーハークはインドで報せを聞き、既に部下たちも散り散りになってしまったことも知った。
ザーハークはそれでも単身帰り、ファリーズーンを討とうと夜陰にまぎれて館へ忍び入ったが、見つかってしまった。ファリーズーンは牡牛の頭をした矛を取り上げ、ザーハークの頭を殴りつけた。予言は成就されたのだ。しかし、その時どこからか「今殺してはいけない。ザーハーク王に対する罰は、もう少し延ばしておかねばならぬ。重い鎖で縛り上げ、山上の暗い洞穴に閉じ込めておくがいい」という声が聞こえ、ファリーズーンはそうした。

名著普及会『世界神話伝説大系4』より要約

ザッハークを討つファリーズーン
ザッハークを討つファリーズーン
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こうしてファリーズーン(フレードーン・イラン神話的にはスラエータオナ)にはじまる新しい光・善の王国が続き、これを継いだカイ王朝の五代カイ・ウィシュタースプがザラスシュトラと同時代の王とされる。

さて、ここからが本題なのだが、ファリーズーンがザッハークを幽閉したのがダマーヴァンド山。休火山だが、火山活動があり、この山から流れ出る温泉はザーハーク王の尿だとされる。『シャー・ナーメ』ではこのようにダマーヴァンド山には魔王・ザッハークが幽閉されているのだが、これがイラン神話的には世界を滅ぼす力を持つ竜蛇「アジ・ダハーグ(アジ・ダハーカ)」が封じられている、ということになっている。つまりザッハーク≒アジ・ダハーグということだ。

ダマーヴァンド山
ダマーヴァンド山
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このあたりが、アーリア的なゾロアスター教の神話のイスラーム的な表現への翻案という所である。この「感じ」は重要なので、『アベスターグ』内の神話パートだった『チフルダード』について、少し専門家の文章で神話全体の流れの要約を見ておこう。

アフラ・マズダーの第六創造で造られた最初の人間ガヨーマルトは、暗黒の勢力によってあっさりと打倒されて死んだ(ちなみに、ガヨーマルトは、人間の姿ではなく、球形をしていたと伝わる)。しかし、彼の精液は大地に染み込み、三〇年後にそこから植物が生えてきて、やがて現在あるような人間の男女の姿をとった。これが、マシュヤグとマリュヤーナグ兄妹である。この兄妹は、当然予想されるように最近親婚を行い、息子スヤーマグをもうけた。その子がホーシャングで、七州の天下を支配し、アーリア人最初の王朝ペーシュダード王朝の祖となった。この王朝はタフムーラス、ジャムシードと続き、いったんは悪の勢力を地上から駆逐して至福の王国を築いたものの、ジャムシードが次第に傲慢になり、王権の象徴フワルナフ(光輪)を失って、悪龍アジ・ダハーグに討たれた。
その後、この悪龍は、七州を一〇〇〇年間にわたって支配し、アーリア民族は塗炭の苦しみを味わった。だが、一〇〇〇年間が満了する日にジャムシードの末裔でペーシュダード王朝の正統後継者であるフレードーンが登場して、彼を討った。


青木健『ゾロアスター教』(講談社選書メチエ)より引用

ここからのイスラーム的な翻案に関して、青木は次のように述べている。

同様の古代アーリア人の歴史は、イスラーム時代に成立した近世ペルシア語叙事詩『シャー・ナーメ』にも見られ、両者は大筋で一致するが、また、顕著な相違も見出せる。例えば、最初の人間ガヨーマルト(近世ペルシア語ではカユーマルス)は、球形の異様な物体という設定では違和感があったのか、普通の王に書き換えられている。また、マシュヤグとマシュヤーナグ兄妹の最近親婚は、イスラーム的には受け入れられなかったのか、『シャー・ナーメ』では言及さえされず、スヤーマグがカユーマルスの子とされ、世代が一つずつ繰り上げられている。


青木健『ゾロアスター教』(講談社選書メチエ)より引用

かくして同様に、『アベスターグ』で「三口あり、三頭あり、六眼あり、千術あり」とされた竜蛇アジ・ダハーグは、『シャー・ナーメ』では両肩に蛇を生やした魔王・ザッハーク王となったわけである。

アジ・ダハーグに関してはまた別に独立した稿を設けるが、ともかくここに「竜蛇と怪物化した王」というモチーフが見えることが重要だ。この変遷の内には、おそらく「龍学」の根本にある作業仮説と密接に関係する問題が潜んでいる。前半はそれを語るための舞台の紹介に終始したが、後半「ザッハーク・後」でその「怪物化する王」の問題について述べていこうと思う。

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memo

ザッハーク・前 2012.04.09

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