死の由来

門部:世界の竜蛇:インドネシア:2012.04.01

場所:インドネシア:ニアス島など
収録されているシリーズ:
『世界神話伝説大系15』(名著普及会):「死の由来」
タグ:バナナ・タイプ/不死を横取りする蛇


伝説の場所
ロード:Googleマップ

インドネシアのニアス島はスマトラ島の西側にあり、2004年─2005年の大地震でよく知られるようになった。もっともそれ以前より(以降も)四六時中地震に襲われている地域であり、その建築様式には独特な免震構造が施されているともされる。

北部・シワヒリ村の民家
北部・シワヒリ村の民家
リファレンス:環境デザインマニアック 地震と民家(多摩美)画像使用

オランダの植民地としての歴史から殆どの人々がプロテスタントであるというのだが、ニアス古来の宗教観も保存されていると言う。Wikipediaには「1935年12月28日、バトゥ諸島テロ島を中心とする大地震が起きた際には、人々は地下に住む蛇神ラトーレ・ダノを畏怖して祈ったとの記録も残っている」とあり、興味深い。インド以東にはアンダーグラウンドに竜蛇(ナーガ)の王国があるという世界観が根強いが、そこと続くものがあるかもしれない。また、日本も同じ地震国であり、そのような土地に住む者どおしの通じる大地への感覚もあるかもしれない。

そのようなニアス島に所謂「バナナ・タイプ」と呼ばれる古い神話構造を持つ話の類型が伝わっている。あとに解説するように複数の系統の混ざった話と言われるのだが、その混じり方が象徴的だ。蛇の持つ神性の第一が何か。この話はそれをよく伝えるものである。

ニアス島では、大昔ある神が、小さい土の魂(かたまり)を四方に押し伸ばして大地を造った。その幾日もの作業の間、神は断食をしていた。仕事が片付くと、召使いたちが、色々な異なった食物を九つの皿に盛って、神の前に差し出した。
神は、熟したバナナの入っている皿を取り上げて、小海老の入っている皿を投げ捨てた。すると、蛇が小海老を食べてしまった。こうして神がすぐに腐るようなバナナを食べたために、その子孫である人間の命が永続きしないようになってしまった。
一方の蛇は、幾度でも皮を脱いで若くなる海老を食べたおかげで、いつまでも生きていられるようになった。

名著普及会『世界神話伝説大系15』より要約

ニアスの人々:映像で見る東南アジア
ニアスの人々:映像で見る東南アジア
リファレンス:京都大学東南アジア研究所画像使用

なんと蛇が脱皮を繰り返す海老を食べたのでその脱皮の力を得、不死となったのだと語っている。広く世界で蛇が脱皮をする不死の者であることが語られ、その理由としてその力をもたらす海草を食べたためだ、人に贈られるはずだった不死の(若返りの)水を蛇が飲んだためだ、などと語られるのだが、甲殻類を食べたからだという話はありそうでなかった。まず第一にこの点に注目しておきたい。

さて、ではひとつずつこの神話に語られるモチーフを解説していこう。まず、「バナナ・タイプ」と呼ばれる「美味しいけれどすぐに腐るバナナを食べた(選んだ)ために人に寿命がもたらされる」という話の型がインドネシアからニューギニアに見られる。代表的な話としては同インドネシアの東の方、スラウェシ(セレベス)島に伝わったものが有名だ。

初め天と地の間は近く、人間は、創造神が縄に結んで天空から垂し下してくれる贈物によって命をつないでいたが、ある日、創造神は石を下した。われわれの最初の父母は、「この石をどうしたらよいのか?何か他のものを下さい」と神に叫んだ。神は石を引き上げてバナナを代りに下して来た。われわれの最初の父母は走りよってバナナを食べた。すると天から声があって、「お前たちはバナナをえらんだから、お前たちの生命はバナナの生命のようになるだろう。バナナの木が子供をもつときには、親の木は死んでしまう。そのようにお前たちは死に、お前たちの子供たちがその地位を占めるだろう。もしもお前たちが石をえらんだならば、お前たちの生命は石の生命のように不変不死であったろうに。

大林太良 :角川選書『日本神話の起源』より引用

これが「バナナ・タイプ」と呼ばれる話だ。もともとはジェームズ・フレイザーが指摘・命名したと大林太良の『日本神話の起源』で紹介されているが、日本では同書によってコノハナサクヤヒメ神話の源流とされて一躍有名になったと言えるだろう。

トラジャの村
トラジャの村
レンタル:PHOTO PIN画像使用

ところで、『日本神話の起源』ではこの話はスラウェシ島のアルフール族の伝えたものとして紹介されている。しかし、アルフール族というのは外から見てイスラムでない人、という(「森の人」を意味する)意味合いなので、個別の族名ではない。ここでは同スラウェシ島のトラジャ族が同様の神話を伝えているので、彼らに注目しておきたい。

タウタウという木像群
タウタウという木像群
レンタル:PHOTO PIN画像使用

なんとなればトラジャの人々はきわめて独特な葬儀を行っており、まるで死後の世界をこちらに現出させているかのような岩窟を持つ。ここではこれ以上言及しないが、死者と一定期間生活をともにするという殯の風習は日本の島嶼にも近年まで見られたもので、バナナ・タイプ神話の広がりと重ねて覚えておきたい。遠方の神話伝説はとかく「実際の世界観」まで踏み込むことが難しいものだが、こうした人生の節目にあたる風習がリンクされてくると、大きな手がかりになる。

トラジャの祭礼衣装
トラジャの祭礼衣装
レンタル:PHOTO PIN画像使用

話を戻すと、ニアス島では「石」というモチーフに代り「脱皮」のモチーフで神話が進行していた。これは同地域からオーストロネシア語族の分布域によく見られる、「人は昔脱皮して若返っていたので不死だった」という神話との混淆だと大林は言う。『日本神話の起源』にもニアス島のものが簡単に紹介されているので引いておこう。

大地が創造されたとき、神によって、創造事業の仕上げをするために、ある存在が天から下された。彼は一ヶ月断食をしなければならなかったのだが、空腹に耐えかねて、いくらかバナナを食べた。しかし、この食物の選択は最も不幸であった。なぜならば、バナナのかわりに河蟹だけを食べたならば、人々は蟹のように皮を脱ぎ捨てて、死ななかったであろう。

大林太良 :角川選書『日本神話の起源』より引用

大林は「人間はかつてその皮を蛇やトカゲのように脱いだために死ななかったというモチーフの神話との混合がみられる」と見解している。そして、この話の顛末は蛇が不死になっていたというわけなのだが、話はそう簡単ではないかもしれない。

フレイザーは先のバナナ・タイプの神話や蛇・脱皮・不死という神話を通観した結果、エデンの蛇もまた「不死を横取りした蛇」だったのだろうと推論した。エデンには死をもたらすかわりに知恵を授ける林檎とともに、もう一本、不死を授ける林檎の木があったのだろうと。エデンの蛇がエヴァをそそのかしたかわりに自分はその不死の林檎を食べて脱皮する不死の存在となった……それがエデンの原型ではないかとフレイザーは言う。

すなわち、果実のモチーフに古くから蛇のモチーフが連絡していたのだろうと見ているのだ。そうであれば、ニアス島の神話は混淆かもしれないが、必然的な混淆であり、場合によってはその話型が自発していてもおかしくない、というほどのものであるだろう。いずれにしても蟹・海老という脱皮する「スデムン」と蛇の脱皮による新生というモチーフは台湾から沖縄、日本本土にまで連絡しており、このニアス島の海老を食べて脱皮する不死の存在となった蛇の神話は日本と世界の竜蛇譚を繋げる上でもきわめて象徴的な話である。蛇の持つ第一の神性、脱皮による新生を語る際には、このニアス島の神話が繰り返し参照されることになるだろう。

ニアスの蟹
ニアスの蟹
リファレンス:Double H Surfcamp Nias画像使用

memo

死の由来 2012.04.01

世界の竜蛇

世界の竜蛇: