蛇の友

門部:世界の竜蛇:ハンガリー:2013.02.12

場所:ハンガリー:マジャル
収録されているシリーズ:
『世界の民話4 東欧 I』(小澤俊夫:編/ぎょうせい)
「へびの友とタタールの暴れん坊」
タグ:蛇の冠/蛇の王/王と竜蛇/蛇の薬草


伝説の場所
ロード:Googleマップ

今回の話はハンガリーのものだが、時と所を定めた伝説ではなく、「昔々あるところに」の昔話として採取されている(昔があって、昔がなくて、七の七倍の国々の向こうに……とはじまる)。つまり、特にハンガリーのどこの話、ということではないので地図上は便宜的にブダペストにポイントした。もっとも「昔話」はみんな首都、とするわけにもいかないので、いずれこのポイント位置は変わるかもしれない。また、後半で少し話すが、マジャルの中でも生粋とされるセーケイ民族の伝える話に構造のよく似たものがあり、あえて地域というならば、トランシルヴァニア(隣国ルーマニアになる)の方で語られてきたものが骨子となっているかもしれない。

トランシルヴァニアの風景
トランシルヴァニアの風景
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ハンガリー平原というのもさまざまな民族がやって来ては去り、攻め入っては潰れを繰り返した土地であり、その歴史から説き起こすと大変なことになってしまうのだが、今回は大雑把に東からのウラル・アルタイ語族の侵入とヨーロッパのせめぎ合う地であったことを知っていたらよい。

古代はローマの辺境としてパンノニアといったが、フン族に追われたゴートが分裂して東ゴートの流入があり、次いでフン族そのものがなだれ込んでアッティラ王が君臨した(ただし「ハンガリー」が「フン族の国」の意だというのは誤りである)。その後よく分からないアヴァールという遊牧民が東から侵入したが、これは西からのフランク王国に圧され衰退した。そして、その次にまた東から進出してきたのがマジャル人である(九世紀)。

マジャルのフォークダンス
マジャルのフォークダンス
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以降ハンガリーはマジャル人の国を自認し、現在もほとんどがマジャル人によって構成されるとしている(ただし、やって来て居住した人々がマジャル人だと自称していったのでそうなったのであり、実際の来歴はさまざまな多民族文化である)。このようにしてハンガリー王国が成立し、中欧の強国として盛んとなった。ハンガリー王国はローマから聖別を受けて戴冠したカトリックの国であり、東方教会ではない。ドイツの冒険商人たちが次々とやってきて集住したりもし、ドイツ文化との連絡が強いことも重要となる。

しかし、すんなりヨーロッパの一部として定着というわけにはいかず、引き続いて十三世紀にはモンゴル帝国とヨーロッパの対立する最前線となり、十五世紀からはオスマントルコに直轄され、トルコとハプスブルグとの睨み合いの地となる。オスマントルコが衰退して後はハプスブルグ帝国からの独立を果たし、近代化していく歴史となるのだが、今回重要となる西から東からという民族の行き来というのはこのあたりまでの流れを知っておいたらよいだろう。

特にやはりモンゴル帝国の襲来・タタールの軛ははるか後の現代にまでイメージの尾を引いており、ハンガリーの昔話には「犬頭のタタールの暴れん坊」という怪物があちこちに登場する。ワーウルフの伝承は別に古くからある土地だが、タタール人は犬頭人の怪物だという印象も強く出来上がったのだ。もっともアッティラのことも犬頭人の王といったりするので、ともかく東から侵入してきた遊牧民一般の記憶となっているのかもしれない(まぁ、マジャルもそうなんだが)。そして、今回の昔話も、この犬頭のタタールの暴れん坊と対決する少年の話なのだ。

へびの友とタタールの暴れん坊(前半):
大きな森の小屋に住む泥棒の父が死に、名もない男の子と母親が残された。男の子は父の泥棒業を継ごうとしたが勝手も分からず食べるものもなくなってしまい、母に言われて運試しの旅に出ることにした。
すると森の木を伐った跡地にダイヤモンドの冠をかぶった小さなへびがいた。へびは牛の群れに踏まれてボロボロだったので男の子は小川でへびの体を洗ってやり、助けてやった。小さなへびは自分の父はへびの王であると告げ、御殿に案内した。
へびの王は喜び、男の子を飲み込むと吐き出した。すると男の子は七つの国境のうちでもかなうもののない堂々とした若者になった。さらに、へびの王は男の子に「へびの友」という名前もつけてくれ、たくさんのお金をくれた。
へびの友はそれから勉学に励んだが、便りが来たので家に戻った。母は瀕死の床にあり、へびの友に魔法の剣と、それを着れば敵はないという襤褸のシャツとズボンの入った振り分け鞍袋と世界の果てからでも家に届けてくれる老いぼれの馬を残して死んでしまった。
母の墓を作ると、へびの友はまた運試しの旅に出た。すると黒い喪の布で包まれている町に入った。わけを訊くと、犬頭のタタールの暴れん坊が王の姫に言い寄り、防ごうとする九十九人もの勇士が敗れてきたのだという。へびの友は名乗りを上げ、王は勝ったら姫と国の半分をやろうと誓った。
対決の日が来ると、十分な腹ごしらえをしたへびの友は、剣を取ることもなく、雲をつくようなタタールの暴れん坊をあっさり鞠のように門の外に放り出してしまった。タタールの暴れん坊はそれ以上向かってこず、すごすごと退散した。みなは驚き、へびの友は姫と結婚した。

ぎょうせい『世界の民話4 東欧 I』(小澤俊夫:編)より要約

先に書いておくが(と、もとの話にもある)、実は姫さまはこともあろうに犬頭のタタールの暴れん坊に恋してしまっていたのであり、これは不承不承のへびの友との結婚なのだ。というわけで話はここでめでたしめでたしではなく後半に続くのだが、すでにここまでに大変重要なモチーフが出ているので一旦切って詳しく見ていこう。

まず、名もない泥棒の息子であった男の子に力と名を授けたのが「蛇の王」なのだが、この子どもの小蛇が「冠をつけた蛇」なのだ。この話はロートリンゲンの方に有名なものがある。ロートリンゲンはドイツとフランスの境のドイツ側。フランスからいえばロレーヌ地方となる。『世界の民話14 ロートリンゲン』に「へびの王冠」として紹介されているが、グリム兄弟の仕事に触発されて南ドイツのフォークロアを収集したルートヴィヒ・ベヒシュタインが紹介した事によりおそらく広く語られる話になったものだろう。これは働き者の女の子が可愛がっていた白蛇に冠をもらい、その幸運を招く力で幸せになるお話だが、このような特別な蛇は特殊な力を持つ冠を持っているというモチーフがあり、マジャルにも流入しているのだと思われる。ドイツとの繋がりが濃い、という歴史を思い出されたい。

さらに、この「蛇の冠」に関して少しその根のいくつかも見ておきたい。バルトルシャイティスがいう「ロマネスク美術の龍は翼も足もない蛇か、さもなくば蜥蜴の尻尾を持つ鳥であった」という蜥蜴の尻尾を持つ鳥をコカトリスとかバジリスクなどという。
(バルトルシャイティスとドラゴンの図像に関しては「ファリーズーンの龍」の稿など参照)

バジリスク
バジリスク
レンタル:Wikipedia画像使用

バジリスクとは上図のようなものだが、これらは雄鶏がベースとなっているので「冠(鶏冠)」がある。バジリスクはまた「蛇の王」の異名で呼ばれる。これが「蛇の王は冠を被っている」という話のひとつの根だ。

十七世紀のイギリスにエドワード・トプセルという化物好きの牧師さんがいて色々アヤシゲな図像をのこしているが(〝Edward Topsell〟で検索するとあれこれ出てくる)、そこでは下図のように「蛇」であることが強調されている。

冠の蛇
冠の蛇
リファレンス:画像使用

また、ヘブライの思想に悪魔である竜蛇と王権を密接に繋げる思考があるとは指摘した。『ヨハネの黙示録』のレッド・ドラゴンは王冠をかぶっている。後述するがわれらが「へびの友」も後半王となる。もちろんこのコードも編み込まれているのだろう。

そしてもう一点。蛇の冠は「蛇石」とも密接に関係する。蛇の卵、蛇石というマジックアイテムに中空の殻状のものと蛇の唾液が固まってできるという鉱石状のものがあることは紹介した。

「蛇の卵」(フランス:ブルターニュ)

この後者が蛇の冠と同一視され、現代でも流通している(snake pearl・snake crown pearlなどで検索するとたくさん出てくる)。多分本来はとぐろを巻いているように見える形の石(巻貝の化石のようなものもある)が珍重されたのだろう。

このような「蛇の冠」を持つ蛇の王の子を助け、名もなかった泥棒の息子は(王たる資質を持った)「へびの友」として新生するのだ。そう、まさに蛇の王によって「生み直される」のである。ここが極めて重要なポイントになる。英雄や王は竜蛇の関与によって誕生するのだ、という話は繰り返ししてはいるが、これほど端的にその様子が描かれているものは今の所知らない。しかも、マジャルの昔話にはこれだけでなく、他でも竜に飲まれ吐き出されて英雄となる話がある。

それは「勇者ヤーノシュと黒龍フェルニゲシュ」(『ハンガリーの民話』池田雅之他:編訳・恒文社版)というマジャルの正統派のドラゴンクエストな話なのだが、黒龍フェルニゲシュと対立する三兄弟の龍の助けを得るヤーノシュはいきなり龍に三度呑まれ、そして吐き出される。それが龍の「親愛の証」なんだそうな。この話ではヤーノシュが極めて強い英雄として「生み直される」のは、ずっと後で黒龍フェルニゲシュにバラバラに切り裂かれたヤーノシュを三兄弟の龍が復活させる段となるが、このモチーフは後半の「へびの友」の話にも出てくる。
(ちなみにヤーノシュ、英語ならジョン、というのは日本の昔話ならなんとか「太郎」にあたる名前で、ハンガリーの昔話にはたくさんの色々なヤーノシュが登場する)

ここに繋げて見ておきたいものとしては、非常に古いこのモチーフの生き残りとして、アボリジニの虹の蛇であるエインガナやタイパンが、さかんに命を呑んだり吐いたり、「口で骨を吸い出して吐き出」して病人を癒している光景を見た。

「エインガナ」(虹の蛇 I)
「タイパン」(虹の蛇 II)

へびの友や勇者ヤーノシュのこの場面はマジャルのイニシエーションを反映しているのだと思われるが、アボリジニたちから遠く離れたハンガリーで蛇に英雄として生み直されるという形でこの太古のモチーフが語りつがれてきたというのは感動的とすら言える。

しかし予告したように、われらがへびの友はお姫さまと結婚してめでたし、王になりました、とはすんなりいかない。まだもう一波乱あるのだ。そちらでも龍学の追う重要なモチーフがまた登場するので、それを後半に見ていこう。

へびの友とタタールの暴れん坊(後半):
ところで犬頭のタタールの暴れん坊は、故郷には帰らず王国内をうろつき、へびの友への復讐の機会をうかがっていた。そして、その魔法の剣とシャツとズボンのことを聞きだすと盗み出し、またへびの友に挑むと、今度はその魔法の剣の力でへびの友を細切れに切り刻んでしまった。
変わり果てたへびの友は振り分け鞍袋に詰められ、駄馬はわが家へと向かった。途中へびの国を通ると、へびの王子が出てきて事の次第を聞いて驚き、笛を吹いて国中のへびたちを呼び集めた。へびの王子はありったけの薬草を集めてくるように皆に命じた。集まった薬草を切り刻まれたへびの友に塗りつけると、驚いたことに体全体が組み立てられくっついていき、最後にへびの王子が息を吹き込むと、へびの友は生き返って、前よりももっと気品のある若者になった。へびの友は今度は馬に変身できる水をへびの王子にもらい、王の国へと戻って行った。
王の国では王さまは死んでしまい、姫さまはタタールの暴れん坊と一緒になって暮らしていた。姫さまはもともとタタールの暴れん坊を好いていたのだ。そこに現れた一頭の馬を姫さまはへびの友の変身した姿だと見抜き、殺してしまうように頼む。しかし、へびの友を慕う小さな娘の手を借りながら、次々と変身を繰り返し、ついにへびの友はタタールの暴れん坊から魔法の剣とシャツとズボンを取り返し、暴れん坊をバラバラに切り刻んでしまった。
姫さまはショックのあまり死んでしまい、へびの友は助けてくれた小さな娘と一緒になって王国全土をわがものにした。

ぎょうせい『世界の民話4 東欧 I』(小澤俊夫:編)より要約

へびの友が生き返ったあとの最終盤は大幅に要約。ちなみにヨーロッパの昔話は「死んでなければ、今でも二人は生きてるよ」とか、宴で終わったら「今でも宴は続いているよ。運良く通りかかったらご馳走にありつけるかもね」といったきめ台詞で終わる。

さて、へびの友がバラバラに切り刻まれて、復活しているのが後半の重要な場面だ。これはマジャルの英雄譚に共通して見られるモチーフで、前半紹介した英雄ヤーノシュも切り刻まれた後、三兄弟の龍によって(鉄器のように金床で打ち鍛え直されて)復活している。

ことに、へびの友の方は「蛇の薬草」によって復活している点が大変大きい。もっとも有名な話は『グリム童話』にある「三枚の蛇の葉」だろう。

「3枚の蛇の葉」(webサイト「グリム童話」)

そして、この筋はグリム兄弟自身が指摘しているように、紀元前のギリシア神話にまで遡る。

ミーノース王の息子が甕に落ちて死に、占ってみつけたポリュイードスは蛇が仲間の死骸にある草をあてがって復活させるのを見、同様にして王子を復活させる(アポロドーロス『ギリシア神話』岩波文庫)。アポロドーロスは一世紀あたりの人だが、この話は紀元前五世紀ごろすでに劇となっていたという。しかし、これがギリシア神話をもとにドイツで語られていてハンガリーにも流れたのか、というとこれがそう簡単には言えない。このモチーフ大変世界に広く見えるのだ。すべてを見渡すことはできないが、本邦までつながっていく線を見てみよう。

古く『ギルガメシュ叙事詩』において若返りの薬草(海草)を奪うのが蛇であり、このモチーフは不死の秘法・若返りの水の話と縁が深いのだが、インド東南アジアと通って、あの「バナナタイプ」の神話を伝えたトラジャ族も全く同じような話を伝えている。

「死の由来」(インドネシア)

インドネシアというとちょうど中間(実際話が伝わったのかどうかはともかく)くらいなので、これは引いておこう。「三枚の蛇の葉」の前段やポリュイードスの話とまったく同じようだといってよい。

トラジャ族の伝え:
男と妻がアダンの葉を採りに行く。男は妻を森の外に待たせて、森の中に入る。すると、大蛇が来て、妻を呑もうとする。妻の救いを求める声を聞いて男が来ると、大蛇が妻の体を巻いている。男は大蛇に斬りかかるが、妻の首を切ってしまう。男は二度目に大蛇を斬り殺す。別の大蛇が来て、死んだ大蛇を介抱する。やがて大蛇は生き返る。大蛇が薬草らしいものを使っているのを見て、男はその草を探し、妻の首の傷につける。妻は生き返る。

東京美術『蛇の宇宙誌』より引用

中国では古く葛洪が『抱朴子』で切れてしまった指を「蛇銜(だがん)膏」でくっつける様子を報告している。これはいつしか「何でも消化する薬草」ということになってしまい、日本では「蛇含草」「そば清」の落語になったという(『蛇の宇宙誌』)。

「そば清」(wikipedia)

が、本筋としては蛇の薬草のモチーフは本邦においては「河童の残した膏薬」の話に引き継がれていると思ってよいだろう。河童の膏薬は蛇でなくて河童だが、並べてみたら同列の話に見える。おなじみのこの膏薬もずいぶんはるばるとした背景を持っているのかもしれない。

日本への方向だけ見てもことほどさように語られる「蛇の薬草」なのだが、当然毒蛇の害の多いところではこれが毒抜きの薬草であるという面が強くなり(沖縄など)、銀右衛門たち「蛇遣い」の方へも大きくかかわっていくことが予想される。

「蝮の銀右衛門」(山梨県上野原市)

このように竜蛇伝承の中でも(特に蛇に関して)広く語られる文字通り伝説の方法でもって、へびの王子はへびの友を復活させているのだ。さらに、復活して「もっと気品のある若者」となったのであり、二度目の「生み直し」が蛇によって行われていることにも注意されたい。

そしてもう一点。これは意味がよく分からない点なのだが、この系統にはどうも「恩知らずな夫人」というモチーフが関係しているらしいことをを紹介しておきたい。「へびの友」では、タタールの暴れん坊から助けて一時は夫婦となった姫さまが、実は暴れん坊のことを好いており、復活して変身して城に入ってきたへびの友を見破り、排除しようとあれこれ画策している。そしてグリム童話の「三枚の蛇の葉」では、復活までさせた姫(妃)は船乗りを好きになってしまい、生き返らせてくれた夫を邪魔だと海に放り込んでしまう。これは先に「恩知らずな夫人」といったように、そういったモチーフ名が通じるほどに良く出てくる展開なのだ。

マジャルでもへびの友とよく似た構造を持つ話にまたこのモチーフがあり、それは逆に蛇の薬草のモチーフは持たぬがゆえに要注目である。マジャルでも生粋のセーケイの伝承から採取されたもので、これが古い形なのかもしれず、ともかく簡単に要約しておこう。

セーケイ・チャンゴーの子どもたち
セーケイ・チャンゴーの子どもたち
リファレンス:ALFAHIR.HU画像使用

森の葉かげで生まれた子ども:
母と息子のヤーノシュが森にやってきて、一軒の家に住むことにした。ヤーノシュには不思議な力があり、狩をして母を助けていた。ある時はヤーノシュは森の別の家で少女と出会い仲良くなった。
しかし、母とヤーノシュの住んだ家の別の部屋には巨人が住んでいた。そして、母と巨人は良い仲になってしまい、邪魔なヤーノシュを殺して切り刻んでしまった。バラバラのヤーノシュは振り分け鞍袋に詰められ馬は少女の家にそれを運んだ。
少女は驚き、バラバラの身体を集めるとヨルダン河の水で清め、ヤーノシュを生き返らせた。ヤーノシュは小鳥の姿に変身して母と巨人に近づくと、正体を現して二人を殺した。そして、ヤーノシュは少女を妻とした。

『オルトゥタイ ハンガリー民話』(徳永康元、他編訳/岩波文庫)より要約

ところどころ「へびの友」と共通した構造が見えるのがわかるだろう。また、これは恩知らずな夫人というより母だが、このように妻・母が心変わりして別の者を好きになってしまい、主人公を殺す、というモチーフがついて回るのである。もともとは人は恩知らずなことをするが動物は恩を忘れない、というモチーフだったのではないかともいうが(「へびの友」の、へびの王子と姫さまを比べたらよい)、全体的には良く分からない。

ともかく、こうした具合で語られてきたのがマジャルの民話「へびの友とタタールの暴れん坊」である。「世界の竜蛇」が久しぶりの再会ということもあって、これまでの話にリンクできる要素を色々持つものということで、実際そうしたのでやや長く煩雑になった。

蛇の王冠・蛇の王・蛇に生み直される勇者・蛇の薬草と、これほど色々な要素が詰まった話も珍しいだろう。ハンガリー民話というとざっと見ると竜蛇譚は龍に攫われたお姫様を助ける典型的なドラゴンクエストの形が多いのだけれど、その背後にはこうした細々としたモチーフを持った話があるのである。ハンガリー民話の集められたものを見て教会の人は「なんと混乱したものどもだ」と嘆いたというが、つまりキリスト教化していない伝承が多く生き残っているということであるだろう。また、そのような面白い根を持つ話を見つけていきたい。

memo

蛇の友 2013.02.12

世界の竜蛇

世界の竜蛇: