メルセゲル

門部:世界の竜蛇:エジプト:2012.05.01

場所:エジプト:ルクソール
参考資料:
松本弥『古代エジプトの神々』(弥呂久)など
タグ:錐形の山


伝説の場所
ロード:Googleマップ

今回は「神話・伝説」というほどのものはない。ほぼ、そういう女神がいる、という紹介だ。しかしその重要性たるや龍学上でも一二を争う存在である。舞台はルクソール、古代はテーベの町。ご存知「王家の谷」のあるところだ。その古代エジプト新王国時代のファラオたちの眠るネクロポリスを見守る「蛇の女神」がいる。「メルセゲル」という名のその女神は、また、錐形の山のことであるとも言われる。

王家の谷:KV62
王家の谷:KV62
レンタル:Wikipedia画像使用

ルクソール西岸、王家の谷から見上げるとピラミッドのように見えるアル=クルン(意:山頂)に住まうとされ、コブラの女神、あるいは女性の姿で知られています。その名の意味は「静けさを愛するもの(女性)」で、通常はそこが無人の環境にあることを的確に表したものといえましょう。
ネベト・アメンティウ(意:西方の女主人)の称号もありました。西方とはナイル西岸の墓地のことで、墓地の守護神ということです。王家の谷で働くデイル・アル=マディーナの住人たちが、日常におこりうるコブラの被害にあわないようになど、ささやかで、切なる願いを託した神でした。
(中略)山頂に続く斜面には、石を積み上げただけの質素な祠がたくさんつくられていたのです。デイル・アル=マディーナの町の遺跡からもこの女神のための石碑が発見されています。

松本弥『古代エジプトの神々』(弥呂久)より引用

聖峯メルセゲル
聖峯メルセゲル
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写真がその「聖峯」である。見事に円錐形をしており、山頂に住まうというより山容そのものが「トグロを巻いた蛇」に見立てられたのだろう。もう一件引いておこう。

メルセゲルの形は様々である。彼女はたいてい、女性の頭を持つ、とぐろを巻いた蛇として、あるいは蛇(元来は無毒の蛇だったようだが、のちにコブラになった)の頭を持つ女性として描かれる。この蛇はときに有翼で、女性、蛇、禿鷹の三つの頭を持つこともある。
(中略)メルセゲルは死者と墓の守護者であるため(墓にはよく蛇が住みついている)、「聖峯」と同一視されるようになった。この自然岩のピラミッドはつねに《死者の町》を見下ろしている。《死者の町》は静寂に包まれているので、そこからこの女神の名が生じた。

S・ロッシーニ『エジプトの神々事典』(河出書房新社)より引用

メルセゲル
メルセゲル
リファレンス:Brooklyn Museum画像使用

立像としては写真のように造型されるようだ。いわゆる「トグロ」ではないが、古代エジプトは蛇型を表す時にきまってこのような横から見て波打っている形状をとるので、ならっているのだろう。

先に引いた中にもあったように、この女神は『死者の書』などに語られる王家の神話と異なり、当時の王墓造営に携わった人々の素朴な信仰を表している。メルセゲルの丘周辺やデイル・アル=マディーナには写真のようなメルセゲルに祈りを捧げる意の小さな石板を納めた祠がたくさんあるそうな。

メルセゲルへ祈る石板
メルセゲルへ祈る石板
レンタル:Archaeowiki画像使用

ここで問題となるのが「古代エジプトの一般の人々はネクロポリスを見守る円錐形の山を蛇に見立てていた」という点である。錐形が蛇のトグロか否か。それは龍学上でもトップクラスのテーマなのだが、現状世界的にダイレクトに「そうだ」と言っているのは唯一このメルセゲルだけなのだ。

話の端緒は日本である。円錐形(所謂神奈備山)の山容への信仰と蛇神信仰とは吉野裕子『蛇』によってその関係が示唆された。出雲において海蛇をトグロを巻いた状態で剥製とし、奉納するならわしが今に続いているが、吉野はここから……

日本人が蛇の正位をトグロを巻いたところ、円錐形に捉えている点は重要である。つまり、それが円錐形の山に対する信仰につながっているからである。秀麗な弧を描く円錐形の山容は、それに対する人の心に一種の敬虔な信仰心をよびさまし、この世ならぬ神聖なものへの帰依を人々に促さずにはおかない。円錐形の山は、それ自体、人の心を神の世界に誘うものではあるが、蛇信仰に蔽われていた古代日本の人の目には、それはとりもなおさず、祖先神の蛇がずっしりと大地に腰を据えてトグロを巻いている姿として映ったのである。

吉野裕子『蛇』(講談社学術文庫)より引用

三輪山
三輪山
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と、考えた。例として、『日本書紀』の伊吹山の神の蛇、『日光山縁起』の白蛇の山の主、そして何より三輪山の大物主神である「明神さんが巳(みい)さんで三輪山を七巻半してゐるといふ……」という話をあげ、さらには東北のハヤマ(葉山・端山など)信仰なども同様に円錐型の山を大蛇がトグロを巻いた姿に見立てての信仰だろうとしている。後の所謂「蛇三部作」(『日本人の死生観』『山の神』)でもこの問題は繰り返し語られ、吉野蛇学にとっても大変重要なモチーフであった。

しかし、先の例示でも山容と蛇が結びつきそうなのは三輪山の例だけであり、しかも円錐型の神奈備山が蛇なのだと直裁に言っているのかどうかというと微妙なところもある。各地の伝説を見れば、とにかく大蛇は山だろうが大岩だろうが「七巻半」するものなのだ。私も直観的にはそうだろうと思い、確実にその伝のあるような例を探しているのだが、今のところ確たるものはない。竜蛇バカの間では半ば定説のように語られるこの話だが、実際にはまだまだこれから事例を山と積まねばならないテーマなのだと言えるだろう。

チチェン・イッツァ
チチェン・イッツァ
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そこで、ここから山と限らず有望な展開が見込まれる例を世界に見てみると、まずはメソアメリカのピラミッド状の神殿群、ということになる。マヤのチチェン・イッツァのピラミッドは石段側面に波打つ大蛇の影が現われる設計で有名だ。これはアステカの蛇神ケツァルコアトルと同じニッチをしめる「ククルカン」という同じく蛇神のための神殿なのだが、ピラミッド的な四角錐形とヘビが結びついている具体的な例と言えるだろう。さらに、これに限らず、メソアメリカの神殿群は多くヘビ的なモノであったという側面がある。

ウィチロポチトリ」で見たようにこのあたりの神格は結局皆蛇化していく傾向があるのだが、ヨーロッパから新大陸へ進出していった初期の探検家たちの目には次のように映ったという。

豊富なヘビの像と儀礼に心を奪われた初期の探検家たちは、どうやらほかの意味で得心したらしく、多くの信じられない報告が記録された。たとえば、P・ド・シャルルヴォアは『パラグアイ史』のなかで、つぎのようにいっている。
「アルヴァレスはこの国の探検旅行のひとつで、大きな塔や神殿のある町を発見した。これは住民たちが神のために選び、人間の肉で飼育する巨大な蛇の住居だった」
いまでは、この物語はつくり話だったと思われている。それはアステカ族の神殿で飼われ、いけにえの肉で養われるという、神聖なガラガラヘビについてのスペイン人の侵略者たちの記述と同じことである。

R.&D.モリス『人間とヘビ』(平凡社ライブラリー)より引用

さすがにガラガラヘビを人肉で養いはしていなかったであろうが、千年に渡り各ピラミッドの前で人間の生贄が引き裂かれつづけてきたのは事実である。それを神殿とはトグロを巻いた大蛇であり、その大蛇を養うための儀礼だったと見たならば、アルヴァレス氏の見解もあながちでたらめとも言えない。

そして、これら以外にも塚というレベルではスウェーデン─イングランドの「ベオウルフ」でゲルマンの王墓や船葬墓と竜蛇の関係を見た。高山レベルでは「ザッハーク」で、イランの秀麗な山容をもつダマーヴァント山に蛇の魔王・ザッハークが、あるいは世界を滅ぼす竜蛇アジ・ダハーグが封じられているという模様を見た。

そして「永遠の蛇」で、西アフリカはベナン、フォン族の世界蛇が世界の上層に三千五百・下層に三千五百のトグロを巻いているという例を見たわけだが、ここから特定の錐形の山をその蛇だと見る発想まではごくわずかであるだろう。

その「見た発想の例」がエジプト新王国時代の王家の谷を見守る蛇の女神メルセゲルの山であったわけだ。先に見たように、この信仰は王家の中で煮詰まったエジプト神話と異なり、場合によっては「北エジプトにはそういう信仰があった」ことであるかもしれない民衆の信仰である。

ネクロポリスを見守る大蛇。もっと言うならば、死後の世界〝あちら〟の世界をその内に持つ、という発想かもしれない聖峯。蛇の女神メルセゲルは、そういった発想の可能性を示している。錐形の山、ないしピラミッド型の建造物が蛇をモチーフとしているのか否か。この謎の入口に静かにたたずむ西方の死者の町の女主人メルセゲル。龍学にとって彼女の存在はスフィンクスの投げかけるなぞなぞよりも、余程重い。

memo

メルセゲル 2012.05.01

世界の竜蛇

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