ムウィンド叙事詩・前

門部:世界の竜蛇:DRコンゴ:2013.03.11

場所:コンゴ民主共和国:ニャンガ
参考資料:
ダニエル・ビーブイック/カホンボ・C・マテエネ
『ニャンガの昔話』(同朋舎)
ロジャー・D・アブラハム『アフリカの民話』(青土社)
タグ:蛇神との結婚/王と竜蛇


伝説の場所
ロード:Googleマップ

コンゴは二国あるがコンゴ民主共和国の方(以下DRコンゴ)。かつてザイールといっていた所である。

今回は現在進行中のことから紹介していきたい。われわれが用いているケータイやらノートパソコンやら、特にバッテリを用いる電子機器がダイレクトに関係する問題だ。

コンデンサの製造にはタンタル(Ta)というレアメタルが良く使われるが、これが得られる鉱石コルタンは希少であり、埋蔵量の60〜80%はDRコンゴにあるという。この資源を巡ってDRコンゴの森は血で染まった。これまでに500万人から700万人もの犠牲者が出て、しかも推計は何年も前から止まってしまっていてこの数字だという。DRコンゴにあるコルタンを周辺国の武力組織が略取し、輸出しているのだ。以下のサイト等を参照されたい。

「なぜコンゴを血で染める戦争は続くのか?」(WIRED)
「コルタン」(Wikipedea)
「Congo needs our help」(CNN)

Congo needs our help
Congo needs our help
リファレンス:CNN画像使用

第二次コンゴ戦争は一応2002年に和平が成立しているはずなのだが、特に東部において紛争が止まらず無法地帯となっている。この大きな要因に、コルタン問題があるのだ。タンタルコンデンサの使用は退潮傾向であり、将来的に新技術に置き換わると考えられているが、まだコルタンの採掘は当面続くだろう。そして、コルタン需要が下火になったとしても、すでにDRコンゴに深く刻まれた傷は消えないかもしれない。

この、今なお無法地帯と化しているDRコンゴ東部の南北キヴ州に住む民族・ニャンガ族の伝えた英雄叙事詩がこれから紹介する「ムウィンド叙事詩」である。あるいはそれはもう復元しない文化であるかもしれない。しかし、そこには世界の伝承の潮流が交錯する極めて豊潤な物語があった。

先に、語り伝えたニャンガ族について、その来歴をざっと追っておきたい。アフリカ大陸における竜蛇信仰の重要な土地を繋いでいるのだ。ニャンガ族は南部アフリカに広く展開したバントゥ語系の言語を話す人々だが、このバントゥ系民族はナイジェリアに端を発し、東へ南へと広がっていったと考えられている。

それは紀元後間もなくのことと思われる大昔のことだが、この広がりの中にあってウガンダのあたりで暮らしていたのだろうとされるのがニャンガ族の人々である。そして、いつのころかウガンダを脱し、エドワード湖西の方に一旦住んだ後、さらに移動して現在のDRコンゴ・キヴ州内の山岳降雨林地域に定住した。

すでにナイジェリアの西にあったダホメの「永遠の蛇」や、展開先のジンバブエの方の「蛇の花嫁」のところで、ウガンダとナイジェリアにアフリカニシキヘビに対する信仰が濃いということをいったが、ニャンガたちはその「濃い所」を渡り歩いてきた人々なのだといえる。

▶「永遠の蛇」(ベナン:フォン族)
▶「蛇の花嫁」(ジンバブエ:シャンガーン族)

さらにウガンダのあたりとなると、これはナイル川がビクトリア湖を越えて続く水系であり、また東北方エチオピアの地はアラビア半島からインド・東南アジアへ至る古代からの海の道に繋がるのでもありと、かなり大きな舞台に繋がりがあり、また今回の話とも関係してくる。要するにアフリカ最深部の一少数民族の叙事詩といっても、狭く閉じ籠った所に成立したものではない(と思われる)、ということを念頭に置いてもらいたいのだ。

ニャンガの村と人々
ニャンガの村と人々
リファレンス:flickr画像使用

さて、本題のそのニャンガ族の英雄叙事詩「ムウィンド叙事詩」だが、まず長い。何となれば今回主に参照する、編:ダニエル・ビーブイック/カホンボ・C・マテエネ『ニャンガの昔話』(同朋舎)はこの話で一冊の本になっている、というくらいに長い。ちなみに註釈や考察等をとっぱらって物語のみとしたものは、編:ロジャー・D・アブラハム『アフリカの民話』(青土社)に収録されている(「ムウィンド譚」)。この二つはまったく同じ話。それであっても長い話で、要約してもすべての筋を追っていくことはできないので、叙事詩に見る龍学的な二つのピークを中心に、後はあらすじで繋いでいく、という感じで紹介していこう。

まず、ひとつ目のピークの前後になる、英雄ムウィンドの誕生までのあらすじ(カタカナ表記は概ね青土社の『アフリカの民話』の方に従う)。

むかしむかしトゥボンドという村があり、シェムウィンドという長がいた。シェムウィンドは七人の妻たちに男を生んではならぬと申し渡した。しかし、六人までは女の子が産まれたが最後に男の子が産まれてしまった。シェムウィンドは男の子を殺そうとしたが、赤児は不思議な力を発揮し、殺すことができなかった。そこでシェムウィンドは赤児を太鼓の中に入れ、川に沈めた。

あらすじ

ここまでにすでに興味深い節々が多々あるのだが、詳しくは後で述べる。先に、この間に挟まれる龍学的にはひとつ目のピークとなるインタルード「ムキティとイヤングラの結婚」の要約を見ておこう。

ムキティとイヤングラの結婚:
シェムウィンドにはイヤングラという類稀なる妹がいた。ある時、トゥボンドの上流の淵に住むヌシの水蛇ムキティが、イヤングラのことを知って結婚したいと思った。ムキティはトゥボンドに行き、シェムウィンドにイヤングラを嫁にくれるよういった。シェムウィンドはムキティに厚意のしるしの黒い山羊一頭を贈り、皆と協議して、イヤングラをムキティの嫁とすることを決た。二人は相見えると、抑えきれずに互いの胸を押しつけ合って挨拶した。
七日間の宴会が開かれ、ムキティからの贈物がされ、シェムウィンドは「よろしい、あなたは男だ──何物によっても止められぬ男、恐れと疑いを乗り越えることのできる男だ」とムキティに賛辞を贈り、ムキティとイヤングラは結婚した。ムキティはイヤングラを連れて淵に戻ると、村の頭領のカシイェムベにイヤングラの身の回りの世話をし、川の流れに逆らうものの取り締まりをするよう言いつけ、自分はすべての乾いた葉の集まるところ、すべての倒れた木の幹が淵の真ん中をせき止めるところに住むことにする、と宣言した。

青土社『アフリカの民話』より要約

順番に見ていこう。まず、水蛇ムキティというのはニャンガの多くの伝承に顔を出す淵のヌシ(ミネ・マリバという)である。基本的には温厚で、人間たちとは概ね良好な関係にある。別格で一番重要とされるニャンガたちの神は黄泉の支配者で火山の底にいる火の神・ニャムライリだが、ムキティは次いで崇められる太陽や稲妻と同じかやや下の神格といったところで、半ば神でもある。水の国の首長であり大雑把には水の精、という感じであろうか。

ジンバブエの「蛇の花嫁」では水の王の蛇はチムバ姫と結婚して人の姿の凛々しい英雄に変身していたが、ニャンガの方では蛇のままで普通に結婚してしまっているのが目を引く。シェムウィンド以下村の長たちも祝福しているし、なによりイヤングラもはじめからムキティの嫁になれて幸せ、という感じである。このことを良く理解するためには、ニャンガに特異な婚姻文化があったことを知っておく必要がある。

ニャンガたちは通常の人同士の結婚の他に、「精霊妻」という精霊と結婚する人間の女性が集団内に一定数いる、という文化を持っていたのだ(このため、ニャンガにおいては処女懐妊というモチーフは何ら珍しい話ではない)。現実的にその実態がなんであったのかというのは専門の研究を参照しないと分からないが(報告があるのかどうかも知らない)、ここで重要なのは男系社会のニャンガにおいて、精霊妻となった女は首長と対等とされるほどの発言権を得た、というところにある。

つまり、ここでは村長(というか王)のシェムウィンドの妹イヤングラは、水蛇ムキティの精霊妻となる事により、シェムウィンドに並ぶ重要な人物となった、ということが語られているのである。要約は煩雑なところをバッサリ落としたが、実際はムキティからシェムウィンドへ、シェムウィンドからムキティへと何がどのくらい贈られたという贈物の応酬の詳細な描写があり、またムキティの淵とトゥボンド村の間の行き来が事細かに(どこに立ち寄ってどうこうという)描かれる。おそらく話自体が精霊との婚礼の儀式の手順を詳しく規定しているのだろう(「ムウィンド叙事詩」全体がニャンガの信仰儀礼の集大成な面がある)。

また、原話中、ムキティははじめからシェムウィンドのことを「母方の伯父」と呼んでおり、シェムウィンドはムキティのことを「自分の妹の息子」と呼んでいる。結婚後を想定した呼びあいなのかもしれないが、もともと一族関係にあるということを暗示しているのかもしれない。ともかくこうして「蛇の嫁」となった特別な存在イヤングラのところへ、父シェムウィンドによって太鼓に入れられ川に沈められた赤児は「川を遡って」行くのである。やはりここでも英雄は蛇の関与のもとに育つことになる。

コンゴの(生意気そうな)男の子
コンゴの(生意気そうな)男の子
レンタル:PHOTO PIN画像使用

ところでムウィンドは男の子を産むことをを禁じた父シェムウィンドの意に反し、七番目の子として産まれるのだが、なぜシェムウィンドがそう禁じたのかは語られない。類話には男児に王位を簒奪されることを恐れての確執を語るものがあるので、シェムウィンドもそのような託宣を受けるなりしたのだと思われる。そして、ムウィンドの母は、大変長い期間妊娠した上で子を産む。すなわち「異常誕生」によりムウィンドは産まれている。また、すでにお腹の中にある時から、どこからともなく薪や水瓶や食べ物を家にもたらすという奇跡を起こしている。

そのムウィンドは「母親の体の下の部分から出てくるわけにはいかない」といって、「体の中程を通って出て来た」という具合に産まれる。類話では「母の中指から産まれた」というものもある。いずれにしても、彼はたいへん「小さな人」として生まれ、以下それが称号のように語られる。このことは、ニャンガの社会構成が大きく関係するかもしれない。ニャンガは移動してきたバントゥ系の人々だが、この地の森に土着していたピグミー族を従える社会を構成していた。これは後でも出てくるが、ピグミーたちはニャンガの使役する狩人のように描かれる。しかし、これが絶対的な主従関係かというとそうでもなく、ムウィンド叙事詩をはじめとするニャンガの伝承の多くは、ピグミーの持っていた神話伝承を大きく取り入れているのではないかと考えられている。ムウィンドが「小さな人」を称号として繰り返すのもこのためかもしれない。

(ちなみに「ピグミー」という呼称はヨーロッパから見ての蔑称である、となってきており、あまり好ましくない。しかし、現状これに変わって通じる呼称がないので今回はピグミーのままの表記とする)

一方で、これはウガンダにいたころの記憶が影響している可能性もある。このあたりの地域は独特な社会階層を持っていた。支配層は北方からナイルに沿ってやってきた遊牧民の末であり、彼らがバントゥ系農耕民を支配し、さらにその下にピグミーが従う、という階層があったのだ。これはそれぞれの民族の「身長」が強く意識されており、ナイル系北方遊牧民>バントゥ>ピグミーという「背の高い人々が偉い」社会でもあった。この被支配から抜けて移動したのがバントゥ系のニャンガたちであり、つまり自身も「小さいこと」を意識していた可能性がある。

キヴ地方の川
キヴ地方の川
レンタル:Panoramio画像使用

ともかくそうして「小さな人」として生まれたムウィンドはまた、生まれながらにチョンガの笏(水牛の尻尾で作られた王位のしるし)を右手に持ち、左手には手斧を持っていた。生まれてすぐに立って歩いてものを言うという典型的な「神の子」である。父のシェムウィンドは躍起になってこの男児を殺そうとするが、すべて不思議な力で防がれてなす術がなくなり、最後には太鼓の中に入れてムウィンドを川に沈める。しかしそれでもムウィンドはまた不思議な力で太鼓を水上に浮かべ「わたしの弱虫の父さんは、わたしを太鼓に投げ込んだ!わたしは死なぬぞ、あの弱虫が生きているうちは!小さい者はイヤングラを味方につける、小さい者はイヤングラを味方につける、シェムウィンドの妹のイヤングラを。」と歌いながら太鼓は「川を遡る」のである。

恐るべきムキティとの出会いのこと:
一旦川の源流まで遡ったムウィンドは、今度は川を下ってイヤングラの住む水蛇ムキティの淵を目指した。途中道(川)をふさぐ魚たちに道を明けさせながら進んだ。するとそこにはムキティの妹の水蛇のムソカが待ち構えていた。ムソカは兄に告げられてムウィンドを通さぬよう川を塞いでいたのだ。しかし、ムウィンドは「これが私、産まれてすぐ歩いた小さい者だ。誰も私に指一本さすことはできぬ」といい、あっという間にムソカの堰の地下を突き抜けてしまった。
かくしてムキティは天と地を揺るがすとぐろを巻いて「あらゆる予想をしのぐ男が現われた」といってムウィンドの前に立ちはだかり、何が望みかと問うた。ムウィンドは「自分は産まれてすぐ歩いた小さい者、イヤングラの子だ。イヤングラに会いに行くのだ」と答えた。ムキティは「あの木の幹や乾いた葉を乗り越えた者はまだ誰もいない。おまえは、あらゆる物を通り抜けられるただ一人の者だというのか!」とムウィンドに詰め寄り、二人はお互いに居丈高な言葉の応酬を続けた。
これを見ていたイヤングラとともに住む少女たちが、イヤングラにこのことを告げ、彼女は「それは私の子だ」と知り、淵へ向う。イヤングラが太鼓の中の子が甥(子)であることを確信し、小刀で太鼓を切り裂くと、太陽と月とが一緒に昇るような光を放つ美しい子ムウィンドが現われた。

青土社『アフリカの民話』より要約

この後、直接ムキティとムウィンドが戦うことはなく、代理としてイヤングラの世話を任されていた土地の頭領のカシイェムベが怒り狂ってムウィンドを罠で殺そうとする。しかし、味方するハリネズミの穴を通って難なく罠をすり抜け、ムウィンドはカシイェムベを火だるまにしてしまう。まわりの者が火を消そうと躍起になるが、水瓶はおろかムキティの淵の水までがムウィンドの力ですべて干上がってしまう。イヤングラになだめられて、ムウィンドはようやく怒りを解き、水を元に戻し、王笏の力でカシイェムベを生き返らせ、彼と村の皆はムウィンドに恭順を誓う。

このようにしてムウィンドの英雄としての最初の活躍が描かれ、彼は叔母であり蛇の嫁であるイヤングラを味方とするのだ。既に超常の力を発揮しているムウィンドだが、ここで「精霊妻」イヤングラとムキティとの繋がりを得た事により父であり王であるシェムウィンドに対抗する資格を得るのである。

細かなところを見ていくと、一旦川を遡っているのが重要だ、水のヌシのムキティは「川の流れに逆らうもの」を取り締まるよう言っていた。ここで、それまでのオーダを破壊する(川の流れを遡ってくる)新しい王が出現することが予告されている。

そして、ムキティの妹ムソカがまず行く手を塞いでいるが、ムソカもニャンガの伝承に良く出て来る水蛇で、淵のヌシ(ミネ・マリバ)である。要は雄だったらムキティであり、雌だったらムソカなのだ。ここでムウィンドは「産まれてすぐ歩いた小さい者だ」と名乗りを上げている。この「産まれてすぐ歩いた者」というのはそれそのものが英雄の名を示す「カブトゥワ−ケンダ」というもので、実はニャンガの叙事詩は古くはこの「カブトゥワ−ケンダ」という英雄と「ムウィンド」という英雄の二人のタッグの話であったものが融合したのだとも考えられているのだ。

もし、ニャンガの神話が本来カブトゥワ−ケンダとムウィンドというお互いが分身であるような二人の英雄の話であったとしたら、これはたいへん注目すべきことである。このことは最後のまとめで述べるが、ギルガメシュとエンキドゥの話や、クリシュナとバララーマの話に近いということになる。

その後ムキティが何をしているのかは出て来ないが(水を干されたときはまわりを蝶がひらひら飛んでいる、とある……笑)、「あらゆる予想をしのぐ男(ワタリケ・トゥ)」とムウィンドを呼んでいるのが既に称号であるらしく、その時点で「認めた」ということであるようだ。

ここから盛んにイヤングラはムウィンドを「私の子」「私の『体』の子」などと呼んでいるが、話の上でムウィンドを実際産んだ母はその後ほとんど登場しないので、事実上ここでムウィンドとイヤングラが母子関係となったのだと語られていると思って良いだろう。桃太郎ではないがムウィンドは川を流れる太鼓の中からイヤングラの手により「再び産まれて」いるのだ。このあたり、ニャンガの話は文字で書かれた読むものではなく、すなわち祭りで歌い語られる謡であるので、はっきりとした記述はない。しかし、ここの解釈が焦点だ。

イヤングラとムキティがムウィンドの霊的な父母である、ということが明確に意図されているのならば、英雄が蛇から誕生したことになる。また、そうでなければイヤングラとムキティの結婚がいきなり冒頭に差し挟まれる意味がない。「蛇の花嫁」の方でも引いたが、もう一度ウガンダのアフリカニシキヘビへの信仰の模様を引いておこう。このあたりから見て、ムウィンドの話もおそらく蛇と繋がる存在となることそのものに意味があるのに違いないと思う。

アフリカのヘビ信仰に関する現代の指導的権威ウィルフリッド・ハンブリーは、つぎのようにいっている。
「アフリカのあらゆる種類のヘビ信仰のもっとも基本的な考え方は、復活と多産という観念にある」
かれの考えるニシキヘビ信仰は、アフリカ文化に固有の一要素であり、仮説的な発生地はウガンダにある。
「ウガンダには、ニシキヘビにミルクを支給する神聖な雌ウシがいるし、死んだ王がニシキヘビに変わる儀式が広く確立されている。ここには子どものいない人たちの神頼みの気持ちを重視する明確な証拠がある」


R.&D.モリス『人間とヘビ』(平凡社ライブラリー)より引用

ニャンガの精霊妻の現実の社会的な有り様と、またその精霊妻から産まれる子どもの一族への帰属問題などもあり(実にしばしばこの問題は起る)、「英雄は蛇から生まれる」ということを第一義に語っている、と確実にはいえないが、ひとまずここではその線で考えておきたい。

さて、このようにして生まれ、英雄王への道を歩きはじめるムウィンドは、イヤングラの村の匠たちにより全身を覆う鉄の武装を施され(ムウィンドの身体自体が鉄と化しているようにも読める)、自分を殺そうとし、捨てた父であり王であるシェムウィンドとの対決に望むことになる。ここからヘーラクレース的な難題が次々ムウィンドを襲い、それらを突破しシェムウィンドと和解した後、彼は英雄王としてトゥボンドに帰還するのだが、その最後にもう一つの龍学的なピークが出現する。では、その話を続いて後編に見ていこう。

▶「ムウィンド叙事詩・後 」へ……

ムウィンド叙事詩・前 2012.03.11

世界の竜蛇

世界の竜蛇: