蛇の魔力

門部:世界の竜蛇:カナダ:2012.04.25

場所:カナダ:イロコイ・インディアン
収録されているシリーズ:
『世界神話伝説大系』(名著普及会):「蛇の魔力」
タグ:王と竜蛇/怪物化する王


伝説の場所
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インディアンと呼ぶかネイティブ・アメリカンと呼ぶかと迷ったが、どうも実際には彼ら自身が「インディアン」の呼称に誇りを持っているということなので「インディアン」とする。

Indian Reservation
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「イロコイ(イロクォイ)族」とはワイアンドット族とモホーク族を中心に十七世紀に形成されたオンタリオ湖周辺の諸部族の連合でもとよりの「部族名」ではない。また、地図のポイントに関して、現在イロコイ族の多くはアメリカ・ニューヨーク州側の保留地に住むが、イロコイをまとめた英雄、「グランド・ピースメーカー」と呼ばれる一人、ワイアンドット族のデガナウィダの出身に因んでカナダのキングストンをポイントした。もともと「蛇」の名を持っていたのはワイアンドット族でもあるので。

北米インディアンと蛇というと「畏怖を持たない部族はない」とまで言われるわけで、特に南方、ニューメキシコからアリゾナに展開したプエブロ系はアビ・ヴァールブルクの『蛇儀礼』(岩波文庫)によって紹介され、有名である。近年話題のスネーク・ダンスを持つホピ族もプエブロ系だ。そちらはそちらでまた別途まとめるが、今回は北東側、五大湖の一番東にあたるオンタリオ湖周辺に活躍していたインディアンたちの話である。ひと口にインディアンと言っても北米は広く、色々な部族の伝承があるのだということにまず注目されたい。

あるとき、一人の少年が狩に出掛け、大層美しい色の蛇をみつけた。追いかけ生け捕りにして帰り、木の皮で箱を作って水を入れ、蛇の棲処として飼うことにした。箱の底に鳥の羽や木の繊維などを敷いて住み心地を良くしてやり、小鳥を捕らえてきては蛇に食べさせてやった。
暫くすると、その箱の底に敷いた鳥の羽や木の繊維が生物となって動いているのに気がついた。不思議に思った少年は色々なものを箱に入れてみたが、皆生きて動くようになるのだった。蛇の力に驚いた少年はそれから狩に出掛けるたびに同じ色をした蛇をつかまえ、箱の中で飼うようになった。
ところで、村には人々の目に膏薬を塗って、よく見えるようにすることの出来る者がいて、人々は感心していた。しかし、少年はそれを見ると、そのくらいのことは自分にもできるのではないかと思い、蛇の箱の中の水を自分の目に塗り付けてみた。
すると、何でも見通しに見えるようになり、水の底も、立木の影も、山向こうの物でも、大地の底の物でもはっきりと目に映るようになった。蛇の数をもっと増やせば効き目が多くなるに違いないと思った少年は、さらに沢山の蛇をつかまえ、箱の上に吊るし、蛇の脂が水に滴るようにした。
効果は覿面で、ついにはその水に浸した指先を人に向けるだけで思いどおりにその人を操ることが出来るようにもなった。草の根を水につけて吹くと、たちまち大きな火の玉が現われもした。さらに、矢の先を水に漬けて射れば、当たらなくても狙われた鳥や獣がころりと倒れて死ぬようになった。こうして少年は、村一番の偉い医巫となった。

名著普及会『世界神話伝説大系』より要約

オンタリオ湖
オンタリオ湖
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イロコイ・インディアンたちの部族連合組織は独立戦争へと向かうヨーロッパから来た人々に強い影響を与えたとされ、特にベンジャミン・フランクリンは強く傾倒していたと言う。嘘かまことかデズモンド・モリスは次のような話を紹介している。

ベンジャミン・フランクリンはアメリカの国章として、ハクトウワシよりガラガラヘビを採用すべきだと提唱したと伝えられている。この主張を調査したクローバーは、裏付けになる証拠を発見できなかった。フランクリンはまた誤って、一七七五年の『ペンシルベニア・ジャーナル』に掲載されたガラガラヘビの価値を激賞し、三〇の州の象徴として適切だという数多くの論証を示した手紙の差出人だと考えられている。

R.&D.モリス『人間とヘビ』(平凡社ライブラリー)より引用

噂された、ということなのだが火の無い所になんとやらで、フランクリンがイロコイ・インディアンたちに傾倒し、蛇を畏敬していたのは本当だろう。当時イギリスからの圧力に反抗する勢力は、自分たちの軍旗にガラガラヘビを多用していた(同『人間とヘビ』)。蛇を悪魔と嫌悪するキリスト教文化の人々の間にあっては異例中の異例の事態ではあった(もっとも独立戦争後はまた蛇を嫌悪する感覚が優勢となり、アメリカの国章がガラガラヘビになることもなかったわけだが)。いずれにしてもそれほどの影響を与える蛇信仰をイロコイ族は持っていたということである。

往昔のイロコイ族の姿
往昔のイロコイ族の姿
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さて、今回問題としたいのは、「蛇の性質を取り入れることとは」という点だ。少年は蛇の脂の滴った水を使ったが、蛇を食べたり、その真似をしたり、場合によっては毒蛇にわざと噛まれたり、とその方法と様相は多岐に渡る。そして、それらは基本的に一連の理(ことわり)に従っているようなのだ。今尚蛇を何らかの形で摂取すると効能があると広く信じられている。美容・健康から長寿延命、発毛・育毛から精力増進から性病治療まで、世界の「蛇の効能」をリストアップしていったら多分人類の身体的苦悩のすべては霧散することだろう。

もちろん、例えば蛇を食べたり蛇を漬けた酒を呑んだりした所で科学的に顕著な効能があるわけではない。消化に良いタンパク源だという位で、調理法を誤れば寄生虫に引っ越しされるのが関の山である。これら蛇の効能はひとえに「蛇の生命力」への潜在的な信仰の現われに他ならない。そうであれば、引いた話の呪術的な効能と、料理して食べるなどの摂取による効能とは同一線上にあると言えるだろう。まず、そこを押さえておき、今回はこのうち呪術的な効能の類似例を見ていくことにしたい。まず北欧ゲルマン神話に興味深い類似例がある。

ドワーフのレギンは、人間の英雄シグルズをあれこれ世話し、名剣グラムを与え、レギンの兄、ドラゴンと化して宝を守っているファーヴニルを討ってくれるように頼む。シグルズはこれを受け、見事ファーヴニルを討ち取った。しかし、そこでレギンは目の色を変えて守られていた黄金ではなく、ドラゴン・ファーヴニルの心臓を欲しがる。詳しくは別途まとめるが、そこの様子だけ引いておこう。

シグルズはファーヴニルの心臓をとり、枝に刺してあぶった。心臓から流れ出る血が泡立って、すっかりあぶりあがったと思ったとき、指でつまんで、できたかどうか試した。すると指を火傷したので急いで口の中に突っ込んだ。ファーヴニルの心臓の血が彼の舌につくと、彼は鳥の言葉がわかるようになった。彼は四十雀たちが薮でさえずっているのをきいた。/「詩のエッダ:ファーヴニルの歌」

谷口幸男:訳『エッダ』(新潮社)より引用

こうして鳥たちのさえずりから、レギンがシグルズを裏切って殺し、ドラゴンの力と宝を独り占めしようとしていることをシグルズは知り、寝ているレギンの首を刎ねる。この物語の解題はさておき、ドラゴンの心臓の血を少し摂取したシグルズは鳥の言葉がわかるようになった、という点を覚えておこう。

もう一件、ギリシア神話の方からも類似するモチーフを持つ話を紹介しておこう。

メラムプースは田舎に住んでいたが、彼の家の前に一本の樫の木があって、その木には蛇の棲んでいる穴があった。召使いどもが蛇を殺してしまったが、メラムプースは木を集めてこの長虫を焼き、蛇の子供を養ってやった。蛇が大きくなった時に、彼の眠っている間にその両肩に立って舌で以て両方の耳を清めた。彼は起きあがり、かつ大いに驚いたが、頭の上を飛んでいる鳥の声がわかった。鳥から教わって人々に未来を予言した。そのうえ犠牲の獣の臓腑による占いを習い、アルペイオス河のほとりでアポローンと出遇って、その後彼は並ぶ者ない予言者であった。

アポロドーロス:著『ギリシア神話』(岩波文庫)より引用

さらに、アテーナーの沐浴(裸)を見てしまい、ないし、ゼウスとヘーラーの議論に巻き込まれ、盲目とされるが予言の力を得たテイレシアースの話もあるが、これも蛇に関係して予言(超越した聴覚)を得る話である。余談だが、テイレシアースのアテーナー沐浴の覗き見は一見蛇の話ではないが、「入浴を覗き見る」の伝説上のモチーフがどのようなものであるのかを考えると、無関係とは思われない。

ともかく、ヨーロッパではどうも「蛇の力」は聴覚に現れるらしい。これは日本では「きき耳頭巾」の話に見られるモチーフで、これはマジックアイテムという一段時代の下った話だが、その多くが蛇信仰を引いているかもしれない稲荷の狐からもたらされる所は注目しておきたい。

これらをイロコイの少年が得た力が主に「視覚」に関するものであったことと比較してみても面白いだろう。そもそも北東海岸はヴァイキング時代にすでにヨーロッパからの到達があったと見られており、事と次第によっては「類似の比較」ではすまない可能性もあるが。

しかし今回はその辺りは大雑把に「蛇の力を得て感覚が増進した」とまとめて捉えておこう、問題としたいのは「その先」である。『エッダ』のレギンは、兄のドラゴンと化したファーヴニルに「なりたかった」のだ、というのはすぐ分かるだろう。多分レギンが心臓を食べていたらドラゴンになったのだ。ということはシグルズもドラゴンと化してしまう一歩手前だったということである。次のギリシアのメラムプースの方は、彼が「両肩の蛇」に耳を清められ、特異な聴覚を得る場面を想像されたい。すでにこの絵面によく似ている存在をわれわれは知っている。

これはイランの魔王・ザッハークの姿にそっくりである。メラムプースが過剰に蛇の力を得ていたら、あるいはその使い道を過てばたちどころにザッハーク王になってしまうのであろうことは想像に難くない。

同様に、イロコイのこの少年も実は「ギリギリの所で上手くいった」、という話にも見える。途中、少年がより多くの蛇を集めてつり下げる辺りでバッドエンドを予感した人も少なくないだろう(私はそうだった)。事実、インディアンの神話には蛇を食べ過ぎたが故に蛇になってしまう話がままある。つまり、これら「蛇の力」を得る話とは、当人が半ば蛇と化す話なのだということだ。半ばを過ぎれば蛇そのものになってしまうのである。蛇の効能への期待とは、ハブ酒で精力増強を願うおっさんから英雄シグルズまで、すべてこの理の線上に乗る。

このイロコイの少年の話を皮切りに、おそらく、インディアンたちの神話の中には、あるいは行っていた風習の中には、自ら蛇になろうとするものが多く見られるはずだ。それは蛇神を祖とする者が、祖の力を取り戻そうとする行為としてダイレクトに捉えられるものまであるだろう。多分農耕・牧畜社会では一段変型すると思われるので直接的な例はほぼ見られないはずのものだ。

イロコイとはワイアンドット族が自らを「イリアコイ(黒い蛇)」と呼んだことに由来する。彼らの伝えたものを通して、蛇の力を得ようとするもっとも素直でプリミティブな感覚をこの先学んで行くことになるだろう。

往昔のイロコイの女性(実は母系社会)
往昔のイロコイの女性(実は母系社会)
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memo

蛇の魔力 2012.04.25

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