タイパン

〜 虹の蛇 II 〜

門部:世界の竜蛇:オーストラリア:2012.06.02

場所:オーストラリア:クイーンズランド
収録されているシリーズ:
『世界の民話36』(ぎょうせい):「タイパン」
タグ:虹の蛇/世界蛇

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伝説の場所
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エインガナ 〜 虹の蛇 I 〜」で始祖の母蛇である虹の蛇を見た。今回はその(また別の)虹の蛇が「人間だった頃」の話を見ていこう。前回アボリジニたち広域に信仰される始祖としての虹の蛇は「ウングッド」として知られると述べたが、タイパンは北東部クイーンズランドに見られるその異称だとされる。そして、人間を含むその世界を生み出した始祖の虹の蛇がさらに昔は人間だったのだ。循環する時間モデルがよく見える話でもある。

タイパンを伝えた人々の住む地方
タイパンを伝えた人々の住む地方
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タイパン:
昔、タイパンは人間であった。たいそうすぐれた呪術師であった。病人の腹をもんだりマッサージしたりしてから、口で骨を吸い出して吐き出すと、病人は治った。しかし、病気があまりに重いときには、あんたはゆっくり死んでいかなければならない、とさとすこともあった。タイパンは魔法の骨を持っていて、いなずまと雷を起すことができた。一族のあいだが不和になると、皆を怖れさせて一族の平和を取り戻すために、いなずまと雷を起した。また、長い紐に結んだ鋭いフリント製のナイフを持っており、それを投げつけると雷鳴が轟いた。
タイパンが花嫁を求めたので、沼蛇のトゥクタイヤンは、娘の砂蛇ウカと、妹の死の蛇マンティアをタイパンの嫁にやった。二人とも嫁にやったのはタイパンが恐ろしかったからだ。それで、タイパンには二人の嫁ができたが、さらに三人目の嫁を欲しがった。人々は水蛇トゥクネムパを嫁にやった。

ぎょうせい『世界の民話36』より引用

人間といっても「口で骨を吸い出して吐き出すと、病人は治った」といった具合であり、普通の人間ではない。もらう嫁にしても蛇である。これはアボリジニの「ドリーム・タイム」と呼ばれる神的空間の特徴で、そこでは人も蛇もない。人がカンガルーやワラビーに変身するのもドリーム・タイムでは日常茶飯事である。その空間は神話的大過去に位置するのと同時に、パラレルに現在のリアルの背後にあるのだともされ、アボリジニの儀礼とはこのドリーム・タイムを経験すること、追体験することに他ならない。

ドリーム・タイムについて詳しく述べはじめるとキリがないのでこれは類書にあたっていただくとして、ここではそのタイパンの療法自体にも注目しておきたい。骨を吸い出し吐き出すというのは、アボリジニたちが病気の時に岩窟に籠って治そうとしたことを思わせる。彼らにとって病が治るというのは大地に「生みなおされる」ことである。これは日本の修験などにも見える観念だが、旧石器時代にまで遡る大変にベーシックな「治る」イメージなのだろう。タイパンの療法にそのイメージが見えている時点で彼はすでに始祖の神を表していると言える。

オーストラリアの落雷
オーストラリアの落雷
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また、雷を落とす存在として(大雨も降らせる)畏れられている点も重要だ。エインガナの方はそうでもなかったが、一般にアボリジニの虹の蛇は大変畏れられ、普段は決して刺激してはいけない存在だとされる。虹の蛇は生と死の双方への通路を開く両義的な存在なのだ。このことは後半に「ミンディ」というまた別の虹の蛇を通してより詳しく見てみることにしよう。

タイパン:
タイパンには息子が一人あった。息子のタイパンはある日、川を下った。そして、黒い水蛇ティンタウワを見た。ティンタウワは、青舌とかげのワラの妻だった。しかし、ティンタウワが息子のタイパンにひと目惚れをし、二人は駆け落ちをした。
二人は狩りをしながら逃げたが、夫のワラが追い付いてきた。そして、決闘が行われ、ワラが息子のタイパンの喉を食いちぎり、息子のタイパンは死んだ。ワラはその胸を切り裂くと心臓を引きずり出し、父のタイパンのところへ持って行った。ワラは息子のタイパンの心臓をたこのきの葉の上に投げると「あんたの息子を殺したよ。これが血と心臓だ」と言って、一目散に逃げた。父のタイパンは飛び出したが、ワラの姿は影も形もなかった。

ぎょうせい『世界の民話36』より引用

この資料ではタイパンの息子をわざわざ「息子のタイパン」と表記しているので、同名ということと思われる。他資料では単に息子、少年などと書かれ、実際同じ名なのかどうか今ひとつ分からないのだが。「タイパン的な存在」という父子が一体であるような意味合いもあるかもしれない。ともかくこのように息子が登場し、青舌とかげのワラの妻を奪った挙げ句殺されるというモチーフが挿入される。実は途中の逃避行の過程の狩りの模様が詳細に述べられるので、そこが重要なのかもしれないが、今回は割愛した。

ここで重要なのはおそらくワラの妻の掠奪そのものである。父タイパンがどのような時に雷撃を人々に落とすのかというと、一族内で掟にそむいた婚姻があったときなのだ。このあたり別資料を引いておこう。

アボリジニの暮らし
アボリジニの暮らし
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男(ワラ)は少年の心臓をちぎりとり、その父親タイパンに与えた。タイパンは男に血の贈物をし、その結果その男は人間の生理的過程、つまり血液の循環と女性の生理を支配することになった。……中略……両性間の関係を支配する規則が破られると、タイパンは激怒した。もし近親相姦が行われたり、ある女性が結婚を約束しながら娘を手放すのを嫌がったりすると、タイパンは長い紐で携えていたその血のついた赤いナイフを投げるのだった。

ロズリン・ポイニャント『オセアニア神話』(青土社)より引用

先ほどは息子の死を知って激怒して飛び出した父タイパンだが、こちらではワラに血の贈物をしている。息子の殺害を認めているのだ。この話はタイパンの息子といえども掟にそむく婚姻をしたら死なねばならない、ということを言っているのだと思われる。

このことは、虹の蛇がアボリジニたちの一族の範囲を規定する存在であることとも通じる。虹の蛇の禍に遭うのは、第一に一族のテリトリーを抜けて行動した者なのだ。このあたりから「祖神」というものの性格を色濃く持っているのだということも見えるだろう。今日本では今ひとつピンと来ないかもしれないが、祖神・産神というのはまず第一にその共同体の外郭を定義する存在である。ひと言でいえばトーテムなのだ。

タイパン:
タイパンは大こうもりや沼魚たち、自分の子孫を皆集めて息子の血を塗り、それぞれのトーテムの場所へ行かせた。そして「おまえたちの父親であるわしと、おまえたちの父親の妹たちは、別れて、わしら自身のトーテム場所にはいって行くことにする」と言った。
タイパンは二人の妹に血を分けると「おまえたちふたりは自分の血を天へ運んでいくがよかろう。おまえたちの経血は虹のなかの赤だ。わしは、わしのぶんをここに残して持っている」と言った。そして石のナイフを投げ雷を起し、タイパンは地中に沈んだ。タイパンの妹たちも地中に沈んだ。しかしそれからまた、地中から身を起し、虹となって天に昇った。乾期に、二人の妹たちは地中のトーテム場所におり、水の下にとどまっている。雨期が始まるとそこを出、虹となって空に戻る。妹たちが虹の中の赤で、タイパン自身は青である。

ぎょうせい『世界の民話36』より引用

とは言え、やはり息子の死に落胆したタイパンは、このようにこの世から去ることにして、地に沈み、そして虹となるのである。沈み、と言うが、これは前回見たように岩窟の割れ目に自らの姿を描いて入っていったのだろう。そのような神霊の「隠れた場所」をここでは「トーテム場所」と表記している。しかし、タイパン自身が虹の青であり、二人の妹(先の蛇の妻の姉妹のことか)が虹の赤だというのはまったくもってアフリカ・フォン族の虹の蛇の伝承(「永遠の蛇」)と同じである。雌雄の創造の蛇が絡み合うイメージは実に古く広く敷衍しているのかもしれない。

タイパン:
タイパンのトーテム場所はワイヤングの近くにある。そこにミルク・ウッドの木が生えている。だれもこの木をどうとかすることはしない。そんなことをすれば、無数の蛇が地中から出てきて、ものすごい雨が降りそそぐことになるだろう。
息子のタイパンの血は、タイパンの子孫にこびりついた。大こうもりのウカの毛皮は赤いし、毒蛇のタイパンには、からだの下側に赤い斑点がついている。

ぎょうせい『世界の民話36』より引用

かくして呪術師タイパンは去り、虹の蛇タイパンが雨季には天にかかることになったわけだ。

さて、この最後にも述べられているように、「タイパン」というのは実は実在するコブラ科の毒蛇のことでもある。アボリジニの言葉で「最も危険な蛇」を意味するのだそうな。

ナイリクタイパン
ナイリクタイパン
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このことにも示されるように、虹の蛇への畏れというのは「障る神」というよりもより具体的、身体的な危機と結びつけられている。もっとも、アボリジニにとってはそれが同じことなのかもしれないが。この点についてはオーストラリア南東部に見える「ミンディ」という虹の蛇の話がもっとも分かりやすいだろう。ミンディもまた創世の虹の蛇の総称的存在であるウングッドの異称であるとされる。

多くのアボリジニはオーストラリア大陸に同居している恐ろしい神話のヘビに、本物の恐怖心を持っている。ミンディという想像上のヘビを暗黙のうちに信仰していたヤラヤラ族の人間は、ポート・フィリップの初期の開拓移民に、たびたびこの怪物の話をした。邪悪で巨大なヘビであるミンディは、メルボルンの北西方向の遠くにある花崗岩の山の近くに本拠をもっていた。この残忍な人食いヘビは、通ったあとに天然痘を発生させ、この病気の痕跡は「ミンディのかさぶた」と呼ばれていた。ミンディが近くにいると思えばブッシュに火をつけ、だれもかれもいちばん大切なものだけを身につけて逃げだした。ミンディを見るのは死ぬことだったが、ありがたいことにミンディは吐き気がするような匂いを発散し、間近に迫っているという警告をだしたのだ。……中略……長さ一六キロメートルもあるミンディは、大きな頭と、三本のとがった舌と、毒をだす洞穴のような口をもつと思われていた。ミンディは必要に応じて大きくも小さくもなることができたので、このヘビの猛攻撃を気にしない部族はなかった。

R.&D.モリス『人間とヘビ』(平凡社ライブラリー)より引用

天然痘のあとはまた「ミンディの鱗」とも訳されている。ともかく、虹の蛇の振幅もこれほどまでに死をもたらす存在の方へとも振れるのだ。しかし、単に毛嫌いされたということでもなく、アボリジニたちが開拓移民たちに迫害された際、彼らはこのミンディに白人たちを滅ぼしてくれるよう祈った。このあたりのことは日本のアイヌの伝承に見た「オヤウカムイ」のことを彷彿とさせる。オヤウカムイも恐ろしい毒をまき散らす竜蛇だったが、これがいるところには疱瘡は近よれないとされ、避難所ともされたのだ。また、オヤウカムイが蛇巫女に人の病因を託宣する神であったことを思えば、ミンディにもあるいはそのような役割がある(あった)かもしれない。

現代のアボリジニ・アートの虹の蛇
現代のアボリジニ・アートの虹の蛇
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いずれにしても、前回の母神であったエインガナと併せて、タイパン・ミンディという虹の蛇のことを知れば、その存在がどれほどの振幅を持つものなのかがよく分かるだろう。生を与えるというだけではなく、生と死の理を管理し、時には一方的に死を与える存在にまでなるのが虹の蛇なのだ。

もっとも、これでもまだアボリジニたちの持つ多様性のほんの一面をかいま見ただけでしかない。前回も述べたように、村にならない家族・一族というメンバーで共同体を構成し、移動して暮らしていたのだから、一様な神話というのは望むべくもない。蛇に対する感覚にしても、多くは第一に貴重なタンパク源・食料である。このヘビとの縁戚関係を持つという集団にしても、そうであるから完全に食用を禁じる部族もあれば、そうであるからこそ食べる独占権を主張する部族もある(『人間とヘビ』)。

まだまだ細部に分け入っていけば「こう」と思い込んでいてはまずいところも多々出て来るだろう。しかし、それも含めて、太古の祖たる蛇への感覚を保存してきたアボリジニたちの伝承から学んでいけることは大きいと思う。

memo

タイパン 〜 虹の蛇 II 〜 2012.06.02

世界の竜蛇

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