エインガナ

〜 虹の蛇 I 〜

門部:世界の竜蛇:オーストラリア:2012.05.29

場所:オーストラリア:ノーザン・テリトリー
収録されているシリーズ:
『世界の民話36』(ぎょうせい):「始祖蛇エインガナ」
タグ:虹の蛇/世界蛇


伝説の場所
ロード:Googleマップ

オーストラリア大陸の先住民であるアボリジニは旧石器時代にこの地に渡ってきて、氷河期が終わりユーラシアとの間が海で隔てられるに及んで孤立した。以降もメラネシア〜ポリネシアと接する地域では多少の交流・交雑があったものの、全体的には旧石器時代のライフスタイルのまま現代へ突入してしまった人々である。

東南アジアにも拡大傾向を持つ王国はまま出現したが、オーストラリラ大陸を切り開いていこうという動きはあまりなかった。これはこの大陸の実にその2/3が乾燥地帯になるということによるのだろうが、ともかくこのようなわけでアボリジニたちは新石器革命を経ず(磨製石器すらほとんど知らなかった)、その影響もほとんど受けない狩猟・採取文化の信仰空間を今に伝えたわけである。

Rainbow Serpent
Rainbow Serpent
リファレンス:Aboriginal Art of the Kimberleys画像使用

その彼らの信仰の核心にトグロを巻くのが虹の蛇、レインボー・サーペントだ。「虹を竜蛇と見る」という伝承は世界中にあり(そもそも「虹」という漢字も竜蛇の一種を意味している)、アフリカ、ヨーロッパからユーラシアを通して日本まで、そして北米インディアンから中南米までと、いつ、どこにその源流があるとも言えぬ程である。

そのような中でも、アボリジニたちの伝えた伝承は際立っている。彼らの虹の蛇はその世界の成り立ち、始原の光景にまでその尾をのばしているのだ。しかし、今は有名で誰しも耳にしたことがあると思うが、初期の研究ではよく分からなかったらしく、まとめられた時期が古い『世界神話伝説大系』のオーストラリア篇には全く登場しない。日本を焦点に虹と蛇の関係を追求したニコライ・ネフスキーにしても、もともと世界各地にこの「虹の蛇」の伝承があることを知っていたから日本の伝承にも注目したのだけれど、参照される中にもオーストラリアというのはないようだ。論考は1922年あたりにできていたという(東京美術『蛇の宇宙誌』)。

何せ共同体の単位が村になることもない2〜30人規模の家も持たずに移動する人々であり、それぞれ言葉もてんでバラバラであるのだから無理もない。アボリジニたちの神話・信仰が大きくクローズアップされ、その輪郭が一般に紹介されていったのはニューエイジムーブメントの頃だろうか。

Rainbow Serpent
Rainbow Serpent
リファレンス:Aboriginal Art of the Kimberleys画像使用

そこで今回紹介するのはノーザン・テリトリーのアーネムランド(地図のポイント部)にいたらしい「ジャナン(Djanan)族」が伝えたという「エインガナ」という虹の蛇・始祖の蛇の話。ジャナン族は出典の『世界の民話36 オーストラリア』(ぎょうせい)にそうあるが、委細不明。より広く展開した比較的知られた部族では東南部カミラロイ族もこの虹の蛇の女神エインガナをもっていたという。

しかしいずれにしても文字を持たぬ民族の伝える伝承が常にそうであるように、普通に見る神話・伝説と異なり起承転結を追うというのも難しい。にもかかわらず、それぞれの話の断片はみな魅力的であり要約のしようもない。『世界の民話36 オーストラリア』は現在絶版重版未定ということもあり、少々長々と部分部分を引用しながら、他資料を援用していきながら、この「はじまりの虹の蛇」のことを見聞していこう。

エインガナ:
あの最初の時代、原始時代は、ビエインガナと呼ばれる。原始生物をわたしたちはエインガナと呼ぶ。わたしたちはエインガナを母と呼ぶ。エインガナは、水、石、木、人間など、すべてのものを造り出した。すべての島、大こうもり、カンガルー、エミューを創造した。エインガナは、あの原始時代の全生命を身ごもっていた。

ぎょうせい『世界の民話36』より引用

アーネムランドの水辺
アーネムランドの水辺
レンタル:Panoramio画像使用

アボリジニの始祖の虹の蛇の中でもっともよく知られるのは「ウングッド(アンガド)」という蛇だ。北西部から南東部までよく語られ、部族によってカレルとかタイパンとか異称も多い(これが異称なのかそれぞれ独自の始祖蛇なのかの判断も難しいが)。しかし、ウングッドの異称としてエインガナがいるということではなく、また別の存在である。そもそもウングッドは男蛇だが、エインガナは女蛇である。

ノーザン・テリトリーでもウングッドの神話は語られるのだが、またそれとは違った虹の蛇の「母神」なのだろう。以下でも「母胎」であることが強調されるのがエインガナの特徴である。

エインガナ:
エインガナは始祖蛇である。エインガナはすべての人間を飲み込み、母胎に人間を入れたまま、水のなかへ連れてはいった。それから、水のなかから浮かび上がった。なかにはいっているすべての生命は、もういまにも生まれそうだった。エインガナは、バンブー・クリークのそばの大きな水場、ガイエイグングに浮かび上がった。エインガナは、地面の上でころげ回り、うめき叫んだ。すべての人間、すべての生物を身ごもっていたので、陣痛の痛さのあまりに泣き叫んだ。老人バルライヤは、長いあいだ国じゅうを旅していた。そのあいだずっと、バルライヤは、エインガナがあちらこちらにころげ回っては叫び、うめく声を聞いていた。バルライヤはエインガナの近くに忍び寄って、エインガナを見た。バルライヤは、大蛇がうめき、叫びながらころげてくるのを見て、投げ槍を槍投げ器につがえた。バルライヤは、大蛇を観察し、槍を投げる必要のある箇所を見た。そして、槍を肛門の前に投げた。槍傷から血が全部流れ出し、血のあとからすべての人間が出てきた。

ぎょうせい『世界の民話36』より引用

人間を生み出すことになるエインガナだが、なぜか人間の老人バルライヤが見守って助産夫になっている。このあたりの感覚は重要だ。そもそもアボリジニに「始まりと終わり」を結ぶ直線的な時間軸はない。例えば先に紹介した世界の始祖となる虹の蛇ウングッドにしても、これをタイパンという名で伝える話では(次回詳しく紹介)、そもそも「人間の強力な術者だったタイパン」が虹の蛇となる、という筋になっている。人が生まれる前にも人の世があってぐるぐる回っているのだ。

また、この出産の光景は、それまでもろもろを「口から生んでいた」エインガナが正しく女陰からすべてを生み出すことになった次第を語っており、今の世界の始まりに関する何らかの切断面を意味していると思われるのだがよく分からない。分からないが重要な点だろう。

エインガナ:
エインガナは、大きなブールムーン川や大こうもり川やローバー川を造った。エインガナはすべての川を造った。そのおかげで、わたしたちには水があるのだ。それゆえに、わたしたちは生きているのだ。

ぎょうせい『世界の民話36』より引用

ところで、エインガナはまたこのように水との結びつきの強さを持っている。しかし、ここで注意が必要になる。虹であり、この現象が水と関係があるのはアボリジニもよく知っており、故に蛇神の出現・動向も水と強く結び付けて語られるのだが、これをわれわれの感覚で「水神」と了解してしまうのは問題がある。少し、別の資料から見てみよう。

中北部のノーザンテリトリーのオエンペリでは、虹の蛇は地下の穴に住むという。雌の虹の蛇は海の岩の中に住み、いやがらせをするときに虹として出る。雄の虹の蛇も、その水穴から虹として雨季のあいだに出る。彩られた雄の虹の蛇は、ほおひげと長い歯がある。動くことによって川を創造するという(ウォーターマン・三六)。ここでは、大地の虹の蛇である。

東京美術『蛇の宇宙誌』より引用

ということでまた別系の虹の蛇の話だが、このように雨季でないときは地下の穴に住むというのであり、「大地に虹の蛇である」とコメントされている。実はアボリジニたちはこのような神霊たちはオーストラリア大陸にまま見える岩山の下に普段住んでいると多く考えるのだ。

カカドゥ
カカドゥ
レンタル:Panoramio画像使用

写真は今回の話のアーネムランドに近い世界遺産となっているカカドゥの岩山で、アボリジニたちの描いた岩壁画がたくさんあるところなのだが、このようなところの地下に虹の蛇は住むのである。有名なエアーズロックも同じだ。そのような岩山に住む神霊の蛇について、デズモンド・モリスは次のように紹介している。

アーネムランドのオビリでは、アニアウ・トゥジュヌという神秘的なミズヘビの絵を見ることができる。この地方の住人は、妻と子どもをつれて少し離れたラグーンからきたアニアウ・トゥジュヌが、オビリの岩場にたどりつき、ここに永住しようと決めたという話をする。ヘビは自分の姿を岸壁に描いたあと、狭い割れ目に消えたそうである。日中には、この割れ目は見えにくいが、夜になると開いて、ヘビと家族が餌を捜しにでていけるようにする。アボリジニは一年のうちの適当な時期がくると、このヘビの絵のまえで呪術的なセレモニーをし、木の枝で静かに絵をたたいてアニアウ・トゥジュヌの魂を捜しあてようとする。

R.&D.モリス『人間とヘビ』(平凡社ライブラリー)より引用

ここで重要なのが、先の引用の中盤にある「ヘビは自分の姿を岸壁に描いたあと、狭い割れ目に消えたそうである」というところなのだが、アボリジニの神話ではひとつの役目を終えた存在はみなこうして「隠れる」。先のエインガナの出産を助けた老人バルライヤも岩の上に「自分の絵を描いて」(おそらくは一度岩の中に入り)ワライカワセミに姿を変える。

虹の蛇
虹の蛇
レンタル:Wikipedia画像使用

つまり、上写真(ノーザン・テリトリーの虹の蛇の岩壁画)のような岩壁の絵は、本来的にはそこにその神霊が住むことを神霊自身が描いたサインなのである。

このことは日本(に限らないが)の磐座信仰などを考える上でも大変参考とすべき感覚があると思う。また、アボリジニたちにとって「岩」というのは「堅い・不動の」物体ではないことも目を引く。「夜になると開く」というのは扉が開く、というより「穴が広がる」という柔らかいイメージのように思う。それは時を得れば柔軟に伸縮し、(おそらく想像するより遥かに肉感的に)開いたり閉じたりするものなのだ。「隠れる」神・魂をもつわれわれも、それらが去来する「穴」が本来そのように捉えられていたのではないか、と思ってみてもよいだろう。

ともあれ、天空にかかる虹であり、水場から立ち上がるものであると同時に地下の蛇であるのがレインボー・サーペントなのである。同様の発想が見えるものとしては「永遠の蛇」で紹介したアフリカ・フォン族の世界蛇がまた虹の蛇でもあったことを思い出されたい。そして、この周回がまたエジプトでは生死の循環であったように、エインガナもまた生死の循環を語っているのである。さかんに人間たちを飲み込んだり吐き出したりするエインガナだが、それはつまり人々の魂があちらとこちらを往復・循環する次第に他ならない。

エインガナ:
エインガナは虹蛇ボロングを造った。そもそものはじめ、エインガナは人間を飲み込んでから、人間を鳥として、つまり、鶴のボノロング、こうのとりのヤナラン、海鵜のバルクとして、ふたたび吐き出した。エインガナが人間を吐き出すと、人間はカンガルーのクープー、ディンゴのカンダグン、尾長大とかげのガルバン、大こうもりのナビニンブルガイに姿を変えた。これらすべての鳥と動物、これらのすべてのものを、エインガナはふたたび自分の胎内におさめて、言った「おまえたちみんながわたしの言うことを聞き、わたしの指示を守るというのが、わたしの意志である」。エインガナは、すべてをふたたび自分の胎内におさめた。もう一度飲み込んだのだ。そして、これらすべてを蛇として、虹蛇ボロングとして、水のなかへ放した。
だれもエインガナを見ることはできない。エインガナは水の真ん中にいる。そこに、すみかとする洞穴があるのだ。雨期になって水がだんだんふえてくると、エインガナは大水の真ん中に立ち上がる。エインガナはあたり一帯に目を走らせ、すべての鳥、蛇、動物、そして、われわれの子供たちを自由にする。つまり、これらすべてのものを自分のからだから出してやるのだ。

ぎょうせい『世界の民話36』より引用

個々の表現の解釈は難しいが、人の生まれ変わり死に変わりを言っているのだという大意はつかめるだろう。エインガナが生んだというこれも虹の蛇であるボロングとは魂の象徴に違いない。人の魂は蛇なのだ。これは端的にそれを伝えている部族が中部オーストラリアにある。

ワラムンガ族は、死んだ男性が確実に同族の人間のなかに生れかわれるようにする、複雑な儀礼をもっていた。……中略……年輩の女性たちは、トーテムのセレモニーで部族の年輩者たちに食べさせる調理したヘビを用意した。墓穴の近くの地表に、トーテムのヘビが描かれた。このヘビの模様でからだを丹念に飾った男性たちが、特別に掘ったトレンチをまたぐ姿勢をとった。すると、こんどは女性たちが男性たちの足のあいだを腹ばいですすみ、最後の女性が死者の腕の骨をもって通りすぎた。足のアーチの道はヘビの肋骨を連想させるので、腕の骨はある意味で、トレンチと足のあいだにできた空洞の象徴的なヘビに飲みこまれるわけである。このような手順でヘビのトーテムとの調和がとられ、トーテムにとりこまれた死者が最後の女性の赤ん坊として生まれ変わることが約束された。

R.&D.モリス『人間とヘビ』(平凡社ライブラリー)より引用

要するに虹から生まれて虹に帰るのがアボリジニのライフサイクルということだ。個々の人間はみな「小さな虹」なのである。このことは人間に限らず、この世のものみなそうだということになる。

カカドゥの「レントゲン技法」の岩壁画
カカドゥの「レントゲン技法」の岩壁画
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この写真は先に紹介したカカドゥの岩壁画で、所謂「レントゲン技法」と呼ばれる表現でみな描かれているのが有名だ。肉の部分が透けて、骨格や血管のような「体内を繋ぐ管」が見えているように描かれる。なぜこんな描き方をしたのかに関しては色々言われるが、こうして見てくると分かるような気もする。

エインガナの子達にとっては、「兄弟たち」はみな虹のように透けて見えるものだったのだろう。そしてここにはすべての生命は同じストリームから生まれ、そこへ戻っていく同質な存在であるというアボリジニの信仰がよく伺える。

エインガナ:
エインガナは、トゥーンと呼ばれる腱で造ったひものはしをつかんでいる。このひものもう一方のはしは、それぞれの生物のかかとの上方で、大きな腱に固定されている。エインガナは、このひもをいつもつかんでいる。だから、わたしたちはエインガナをわたしたちの母と呼ぶ。わたしたちが死んだときにはじめて、エインガナはこのひもを放す。死ねば、わたしは永久に死ぬ。わたしの生命の霊マリクンゴルは、ボロングの道に従う。
マリクンゴルは、わたしの種族の国、わたしが生まれたそこへ、帰っていく。だれの生命の霊でも同じことをする。

ぎょうせい『世界の民話36』より引用

このようなイメージで虹の蛇・始祖の蛇と人々も動物たちもつながっているのである。それは例えば「クリシュナ・前」において、千の頭の世界蛇アナンタとは「これは本質的にはこの世のあらゆる事象が根本の蛇から枝分かれしているのだ、というイメージであるのじゃないかと思う」と言ったのもこういうイメージのことだ。

長くなったが、今回あまたのレインボー・サーペントの中からエインガナの紹介を先頭に持ってきたのは、実にこのイメージをまず第一に紹介したかったからだ。虹の蛇というのも水神信仰の一種のように捉えられがちだが、農耕民のそれとはちょっと違うのである。

よりプリミティブに、よりダイナミックに、より包括的にすべての生命の魂の流れであるのがアボリジニの虹の蛇なのだ。これを「母」として伝えているエインガナはその側面をもっともよく示していると思う。引き続きアボリジニたちの伝えた虹の蛇のあれこれを見ていくが、まずはこの一面を心に焼き付けておきたかったのである。

memo

笛を吹くアボリジニ
笛を吹くアボリジニ
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エインガナ 〜 虹の蛇 I 〜 2012.05.29

世界の竜蛇

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