『今昔物語集』

索部:古記抜抄:2013.04.03

東大寺にて花厳会を行う語
陸奥国の鷹取の男観音の助けによりて命を存する語
尾張の国の女、美濃狐を伏する語
相撲人海恒世(あまのつねよ)、虵に会いて力を試みる語
相撲人大井光遠が妹の強力の語
能登の国の䥫(くろがね)を掘る者、佐渡の国へ行きて金を掘る語
肥後国の鷲、蛇を咋ひ殺す語
常陸国□□郡に寄る大きなる死人の語
愛宕寺の鐘の語

巻第十二 東大寺にて花厳会を行う語、第七

今は昔、聖武天皇が東大寺を建立し、開眼供養をすることになった。講師には天竺から僧正を招いたが、読師をどうしたものかと行基は困っていた。すると天皇の夢に高貴な方が現れ、開眼供養の朝、寺の前に最初にやって来た者を僧俗貴賎を問わず読師とするようにと告げられた。すると、最初にやってきたのは鯖を入れた籠を背負った鯖売りの翁だった。天皇は老人に法衣を着けさせ、読師にしようとした。老人は自分はただの鯖売りだからと戸惑うばかりだったが、天皇は聞かず、老人を高座に上らせた。供養がすっかり終わると、鯖の入った籠を高座に残し、籠を担いできた杖を堂前の東の方に突き立てたまま、翁は高座の上からかき消すようにいなくなってしまった。籠を改めると鯖と思っていたものが華厳経八十巻となっていた。天皇は大変喜び、毎年開眼供養の日には華厳経を講じることになった。翁が鯖を担いできた杖は、今でも御堂の東の庭に立っているという。

『今昔物語集』より要約

このことにより東大寺の華(花)厳会では、講師が法会の途中で堂の後戸から退出するのが習わしであったという(『宇治拾遺』など)。読んだ通りの話であるわけだが、信仰に関して魚の「鯖」が出てくる話はこれが古いのではないか。もっともこの話が龍学の追う相州サバ神社郡と何か関係するのかというと、全く直接関係するところはないだろうが、そうであっても「サバ」の出てくる多くの話に通じている必要はあるだろう。

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巻第十六 陸奥国の鷹取の男観音の助けによりて命を存する語、第六

今は昔、陸奥国に鷹の子を取って売る男がいた。しかし、毎年子を取られる母鷹は、その年は巣の場所を変え、人の行きようもない大海に面した絶壁の中程に生える木の上に移ってしまった。鷹取の男は生活の道がなくなったと嘆き、隣に住む男に相談した。すると隣の男は、二人がかりなら籠に乗って絶壁の上から縄で下ろせばいいといって、そうしてみる事にした。見事に鷹の巣に下り、先に鷹の雛を籠に乗せて引き上げさせた。しかし、籠が下りて来ない。隣家の男は鷹の子だけ手にすると、鷹取の男を断崖に取り残し、帰ってしまったのだ。鷹取の男は絶望したが、日ごろ信心している観音に祈っていると、下の海から大きな毒蛇が這い上がって来た。鷹取の男は、蛇に飲まれるよりは海に落ちて死のうと刀を毒蛇の頭に突立てた所、蛇は驚いて男をぶら下げたまま崖上まで這い上がり、崖の上で突立てられた刀とともに掻き消えた。思いがけず崖上に生還できた男が家に帰ると、男は死んだものと聞かされていた妻子が驚き喜んだ。その後、男が毎月の務めだった観音品を読もうとしたところ、経の軸に刀がささっていた。観音品が蛇と成って助けてくれたのだと悟った男は、髻を切り法師となった。

『今昔物語集』より要約

鷲鷹を代表とする鳥類(コウノトリなども)と蛇というのは伝承の中でとかく対置して語られるものである。同『今昔』29-33「肥後国の鷲、蛇を食い殺す語」では両者の直接の戦いになっているが、昔話としてはそれぞれの化けたモノの間に人間が巻き込まれる話も多い。蛇の化けた女人に取り殺されそうになるのを、鷲の化けた法師が助けたり、蛇聟の子を孕んでしまった娘の前に鷹やコウノトリの化身の法師が現われ、堕してみせたりする。概ね、蛇の化に人が害されそうになるところに鳥の化が人の助けに入るものだが、陸奥の鷹取の男は蛇に助けられている。
結果的に大蛇は観音品のお経の化身であった、というオチではあるのだが、この鷹−人−蛇の配置で蛇が人を助ける構図は大変珍しいものと言えるだろう。『宇治拾遺』6-5「観音蛇に化す事」もほぼ同様の話である。

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巻二十三 尾張の国の女、美濃狐を伏する語、第十七

聖武天皇の御代、美濃国の小川の市に、美濃の狐という名の力の強い女がいた。昔この国に狐を妻にした人がおり、その四代目の末孫であった。美濃の狐はその強力で市に行き来する商人たちをひどい目にあわせて持物を強奪するのを生業としていた。一方、尾張の国の愛智片輪郷には当時かの元興寺は道場法師の子孫の女がいた。女は美濃狐の非道を聞くと、試してやろうと小川の市へ向った。そして、尾張の女は殴り掛かる美濃狐の腕を掴むと、熊葛の鞭で散々に打ちのめし、勝負はついた。それ以降美濃狐は市に姿を現さず、人の物を奪う事もなくなった。尾張の女の力は美濃狐に勝っていたと人々は良く承知したと、語り伝えられている。

『今昔物語集』より要約

狐女房の末が強力の女となって美濃にいたという話だ。一方の道場法師というのは誕生に雷神蛇神を戴く強力の僧であり、その末の尾張の女というのは蛇祖の人ということになる。すなわち狐の末と蛇の末の力比べという話であり、実にオモムキブカイ。また、続く第十八「尾張の国の女、細畳を取り返す語」で、引き続きこの道場法師の子孫の女の強力譚が語られている。竜宮女房譚的な面も少しある。

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巻二十三 相撲人海恒世(あまのつねよ)、虵(へみ)に会いて力を試みる語、第二十二

海恒世が家の近くの淵で涼んでいると、水中から大蛇が現われ、尾を恒世の足に巻きつけ、頭を対岸の木に巻きつけ、大変な力で海恒世を引き込もうとした。足駄の歯が折れ、足が土に五、六寸もめり込むほどに耐えたところ、蛇の体がぷっつりと切れてしまった。蛇の巻きついた足には跡がつき消えなかったので酒で洗った。この千切れた蛇の胴は切り口が一尺もあった。蛇の力はどのくらいだったかと人々に恒世の足を引かせてみたら、六十人掛かりのところで「これくらいだった」と恒世が言った。昔はこのような恐るべき強力の相撲人がいたのだ。

『今昔物語集』より要約

本文中蛇は一貫して「虵(へみ)」である。『宇治拾遺』十四の三「経頼(つねより)、蛇にあふ事」というまったく同じ話がある。恒世(つねよ)が実在した相撲人で、経頼は不詳、転訛だろうとされる。『宇治拾遺』では終止「蛇(くちなは)」。

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巻二十三 相撲人大井光遠が妹の強力の語 第二十四

今は昔、甲斐国に大井光遠という左近衛府方の相撲人がいた。光遠は素晴らしい相撲人で妹がおり、その妹は二十七、八くらいの美しい女で、離れに住んでいた。
ある時、人に追われた男が刀を抜いてこの妹の家に駆け込み、妹に刀を突きつけると立て篭った。家の者が光遠にこれを報せたが、光遠は「あの女を人質に取れるのは薩摩氏長ぐらいのものだろうよ」と平然としていた。不思議に思った家人が離れに戻ってすき間から覗くと、妹は刀を突きつけられ抱きかかえられて、左手で顔を覆って泣いた振りをしていたが、やがて前に二、三十本ほど散らばっている荒削りの篠竹の矢柄を手に取ると、手遊びにまるで朽ち木を押し砕くようにぐしゃぐしゃにしてしまった。覗いている家人は驚いたが、人質に取って立て篭った男も魂消て力が抜けてしまい、この怪力で自分はバラバラにされてしまう、と何もかも放り出して逃げ出した。しかし大勢の人に追われて捕えられ、縛られて光遠の所に連れて行かれた。
どうして逃げ出したのかと問う光遠に男は正直にありのままを話した。すると光遠は大笑いし、「あの女はこの光遠の二人分ぐらいの力を持っているのだぞ」といい、おまえなど物の数ではないのだというと、追っ払ってしまった。

『今昔物語集』より要約

『宇治拾遺』13-6がほぼ同じ話。この『今昔』巻第二十三にはこのような相撲人の話が続いているが、この話は一見なよなよとした妙齢の美女が、実は名のある相撲人の兄に倍する強力の持ち主だったというマンガのような話だ。しかし、この巻二十三に並びを見ると、道場法師の子孫の強力の女、同じく強力の美濃狐の女の話同様、特異な出自を持つ一族の話である可能性もあるだろう。

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巻二十六 能登の国の䥫(くろがね)を掘る者、佐渡の国へ行きて金を掘る語、第十五

実房という人が能登国司に在任中、鉄を掘る人夫たちが「佐渡国には、黄金の花がさいているところがあったよ」といっているのを耳にし、頭を呼び、佐渡へ金を掘り出しに行かせた。二十日から一ヶ月ほどし、守が忘れてしまった頃、突然頭が姿を見せた。しかし、頭は布切れに包んだ金を守に渡すと、委細を語らず行方をくらませてしまった。その金は千両もあったが、金の在処を問いただされると思って頭は姿を消したのだろうと、守は疑った。

『今昔物語集』より要約

『今昔』では国司(守)の姓名は脱落している。同じ話が『宇治拾遺』四の二「佐渡国に金ある事」とあり、こちらに実房(藤原実房:?〜一〇二一)とある。ともかく、平末鎌初にも「佐渡の金」の噂は話題だったのだろう。
「黄金の花」というのはやはり金の所在をいうようだというのも覚えておきたい。神奈川県足柄上郡大井町金子の「口碑に古昔字根岸山の辺にコガネの花さきぬとの風聞あり或人来たりて云々」や、三井寺の隆弁が相州大山を詠んだ「古の吉野を移す御岳山 黄金の花もさこそ咲くらめ」などの件に関して。

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巻第二十九 肥後国の鷲、蛇を咋ひ殺す語 第三十三

今は昔、肥後国□□郡に住むものが、家の前の榎に鷲小屋を造り、鷲を飼っていた。あるとき、多くの人の見ている前で、七八尺はあろうかという大きな蛇が榎を伝って鷲小屋に入った。ちょうど鷲は良く寝入っていたので、蛇は鷲に巻きつき、嘴から呑み込みはじめた。鷲は気がついて総毛を逆立たせたが、嘴を呑まれているためか、また目を閉じて寝入ったようになってしまった。人々は鷲は蛇に心をとろかされてしまったのだろうとか、いや、鷲がそうなるはずがないなど言い合って、また見ていた。すると鷲は目を見開き、鷲爪で蛇を踏みつけ嘴を抜き、巻き付きから脱すると、つかんだ所を持ち上げてぷっつり食い切った。こうして蛇を三切れに食い切り投げ出すと、身震いして羽繕いをはじめた。人々は流石鷲は鳥獣の王だから心をとろかされたりはしない、と鷲を褒め称えた。

『今昔物語集』より要約

これは鷲を呑もうとするなど蛇の心は何とも身の程知らずである、人もこれに鑑み、自分に勝るものに挑もうなどという了見を起こす愚は避けるべきである云々、という話なのだと最後は結んでいる。
鷲というのは生物学的に独立して存在する種ではなく、タカ目タカ科の要するに鷹である鳥のうち大きくなる種を鷲という。
ある事件が起っているのを里人がまわりでああだこうだと言い合うというのは中国っぽい話のつくりだが、肥後のことであるそうな。ともかく、この肥後の鷲の話は、鷲は鳥獣の王であり蛇などに呑まれはしないのだという鷲鷹の強さを称える話であって、特にそれ以上何だという側面は見えない(ただし、先立つ『霊異記』には嬰児を攫う鷲の話が既にある)。下った時代に色々な意味合いを持って語られる鷲鷹と蛇の戦いというのも、本邦で最も古いと思われるこの『今昔』の説話ではこのようであったと心得ておくべき話である。

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巻第三十一 常陸国□□郡に寄る大きなる死人の語、第十七

今は昔、藤原信通朝臣が常陸守のころの四月ごろのこと、大風が吹き荒れた夜、□□郡の東西の浜というところに死人が打ち寄せられた。その死人は身の丈が五丈もあり、鰐などに食い切られたのか、頭と右手・左足がなかった。体つきは女のように見えた。国の者たちは奇異なことだと、大騒ぎをした。また、陸奥国の海道というところにも同じような死人が打ち寄せられた。これも女のようであった。国司は朝廷に報告しようとしたが、人々が面倒になるというので報告せずに隠し通してしまった。その国の武士が、もしこのような巨人が攻めてきたら矢が立つものかと矢を射こんだら深々と刺さったので、みなほめそやした。死人は次第に腐乱し、あたり十町二十町の間は臭いで人が住めなくなった。

『今昔物語集』より要約

五丈というのは十五メートルくらいである。大櫛のダイダラボウほどではないにしろ、常陸に巨人の死体というのだからなんとも驚いた話である。『風土記』の記述があったればの話なのだろうか。しかも常陸の方は半身砂に埋もれていたが、死体の向こう側の馬に乗ったものが手に持って掲げた矢の先がようやく見えるほどだったとか、妙に臨場感のある描写になっている。「□□郡」というのは欠落なのだが、非常に残念だ。
しかし古代中世近世と常陸の海はいろいろ不思議が流れ着くものだ。なお、この話の次には「越後国に打ち寄せらるる小船の語」として、幅二尺五寸・長さ一丈ばかりの実際操船した痕跡のある船が漂着した(つまり小人の船が漂着した)話があり、セットになっている。

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巻第三十一 愛宕寺の鐘の語、第十九

今は昔、小野篁が愛宕(おたぎ)寺を建立し、鐘を鋳させたところ、鋳物師が、人が撞かなくても十二の時ごとに毎回鳴る鐘を造るつもりだという。しかしそのためには鋳た鐘を土に埋め、きっかり三年の日に掘り出さないといけないという。そこでその通りに鐘を埋めたが、別当の法師が三年目が来た所で待ちきれなくなって掘り出してしまった。そのため、勝手に鳴る鐘はできず、普通の鐘で終わってしまった。

『今昔物語集』より要約

忍耐力のないものはこのようなやり損ないをするものだ、という教訓話なのだが、鐘を土に埋めている所に注目したい。弥生時代の銅鐸には意図的に埋められていたことがはっきりしているものがあるのだが(埋納という)、その感覚が寺院の鐘にも続いていたのじゃないか。
なぜ銅鐸を埋納したのかというのも諸説あるが、この話が関係あるとすると「一定期間土に埋める事により特別な鐘となる」という感覚があったかもしれないと考えられる。話では何やらからくりの鐘のような感じだが、あるいは人工物が神体としてのモノとなる、ということであったかもしれない。一定期間埋納する事により、それ(銅鐸・鐘)は神体となるのだ、というのは直観的に非常に納得のいく感覚ではある。この一話は、そのような可能性を示していると思う。

古記抜抄『今昔物語集』

古記抜抄
「古記抜抄」は、龍学の各記事から参照することを目的とした、日本の古典(主に説話)文学からの抜書きです。原文・書き下し文は割愛し、その話の筋を追えるように要約と簡単な解説によって構成されています。現在は以下の各書についての抜書きがあります。