『古今著聞集』

索部:古記抜抄:2013.03.15

延長八年七月流星怪雲等の事
治承二年六月流星地に落つる事
承安元年七月伊豆国奧島に鬼の船着く事
摂津國ふきやの下女昼寝せしに大蛇落懸かる事
摂津國岐志庄の熊鷹大蛇を食ひ殺す事

巻第十七 恠異第廿六 延長八年七月流星怪雲等の事

延長八年七月十五日酉の刻に、大きな流星が東北に流れた。その(流星の)あとは雲となった。二十日になると黒雲が西南より広がって龍尾壇を覆った。風が吹いて、五六丈程の大蛇が落ちてきて高欄が壊れたが、その後蛇の姿は見えなかった。

『古今著聞集』より要約

龍尾壇(竜尾道)は大極殿前庭にあった階段のこと。『扶桑略記』裡書にもこの流星のことがあり、これは「俗に云う人魂である」とある。大蛇と流星は直結しているわけではないが、一連の話として語られる。また、すぐ五話ほどあとにも(時代は違うが)流星の事が語られる。

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巻第十七 恠異第廿六 治承二年六月流星地に落つる事

治承二年六月十二日未の刻、南西の星が地に落ちた。その体は水精のようだった。尾の長さは二丈ほどで、中が絶えてまた、七八尺ほどの光があった。安倍泰親が後に(天皇に)報告した。

『古今著聞集』より要約

安倍泰親は安倍晴明の五代目の子孫。陰陽頭兼大膳権大夫。流星が空に流れているさまを水精(蛟か)のようだといっているのか、落ちた所にそのようなモノが居たといっているのか微妙だが(普通は前者と考える)、どちらにしても流星と竜蛇は結びついてイメージされていたことが伺われる。
また、『扶桑略記』にあるようにこれが人魂だという発想、星が流れるのは誰かが死んだ事だというイメージがあることがわかる。このあたりに「水精(竜蛇)−流星−魂」が実際連絡して捉えられていた様子が見えるだろう。落雷との印象の近さも慮られたい。

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巻第十七 変化第廿七 承安元年七月伊豆国奧島に鬼の船着く事

承安元年七月八日、伊豆国の奥島の浜に、船が一艘着いた。島の人たちが暴風に吹き寄せられたかと思って近よって見ると、陸より六間ほど離れて船を泊めたのは鬼たちだった。上陸した鬼たちに粟酒など出すと馬の如く飲み食いした。鬼が島人の持つ弓矢をよこせというのを断ると、鬼は鬨の声をあげて弓を持つ人を打ち殺し、怪我をした九人のうち五人も死んでしまった。島人が神物の弓矢を持ち出すと、鬼たちは(退却して)船に戻り、風に向って走り去った。後、鬼の落としていった帯を国司に奉った。この帯は、蓮華王院(三十三間堂)の宝蔵に納められている。

『古今著聞集』より要約

鬼の姿は「其かたち身は八九尺ばかりにて、髪は夜叉のごとし。身の色赤黒にて、眼まろくして猿の目のごとし。皆はだか也。身に毛おひず、蒲(水草)をくみて腰にまきたり。身にはやうやうの物がたをゑり入たり。まはりにふくりんをかけたり。各六七尺ばかりなる杖をぞもちたりける。」とのこと。
伊豆諸島のどこかだろうが「奥島」というのがどこを指しているのかは不明。気になるのは承安元年(1171)というのが伊豆大島に流されていた鎮西八郎為朝が自決した頃(嘉応二年(1170)ないし治承元年(1177))に近いという点だ。伊豆諸島で為朝は、鬼ヶ島(蘆島)から鬼(大男)を連れ帰ったという伝説がある。何か関係があるかもしれない。

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巻第二十 魚蟲禽獣第三十 摂津國ふきやの下女昼寝せしに大蛇落懸かる事

摂津國ふきやというところの下女が昼寝をしていると、垂木に大きなくちなわがおり、頭から下女に落ちかかろうとしていた。しかし、落ちかかると見えてはまた引き返し、ということをくり返して落ちない。夫がこの様子を不思議に思い隠れて見ていたが、どうなっているのかと女に近よってみると、着物の胸に大きな針を刺していた。蛇はこれを恐れて落ちて来ないのかと、針を抜いてまた隠れて見ていると、今度はくちなわは落ちて来た。これを追い払うと女が驚いて起き、夢の中に美男子が現われて自分に懸想したといってくるのを、あんたが来て邪魔されてしまった、といった。このような針でも毒蟲は恐れるものだから、護身の為に必ず持っているのが良い。

『古今著聞集』より要約

竜蛇が針を嫌うというのも昔話となると定型となっており、蛇聟の正体を知ろうと袖に刺される小さな糸付きの縫針で皆死んでしまう。いわんや瓢百個と併せての針千本においてをや、でありこれは皆「竜蛇は金気を嫌う」という武器というより呪術的な効力として説明される。沼に棲む大蛇を退治するのに村にある金物を次々放り込む、というのも鍋釜が放り込まれるのでありフィジカルな武器ではない。大蛇を包囲するのに鉄の杭が打たれて行くのも同様である。田沢湖の辰子姫は南祖坊の「鉄下駄」が嫌だった。
今でもこの話が生き残っているのが漁師の文化で、漁師は船から海に金物が落ちる事を非常に嫌い、落としてしまったら神社にお祓いにいく。これは海神は竜であり、金物を嫌うからだと説明される。吉野裕子はこの件を五行でとらえ、蛇(巳)は木気であり、金尅木を意味しているのだろうと考察された。
しかし、古い話を見ると必ずしも「金気を嫌う」という感じでもない。そもそも蛇聟を針糸で辿る苧環譚の嚆矢である『古事記』の話も別に金気で三輪山の神が死んだりはしていない。そして、今回の『著聞集』の話を見ても、あまり呪術的な意味合いで蛇が針を嫌っているようには描かれていない。「わづかなる針にだに毒蟲おそれをなすことかかり。いはんや太刀においてをや。かならず武勇をたてずとも、まもりのためにもつべき事也」というわけで、あくまで護身の武器を持っているべきだというニュアンスの話である。竜蛇が金気を嫌うというのもそう古い話ではないかもしれない。

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巻第二十 魚蟲禽獣第三十 摂津國岐志庄の熊鷹大蛇を食ひ殺す事

摂津國岐志庄に耳の生えた一丈もある大蛇が現われるようになり、これを見た者は病にかかってしまうので、皆困り恐れて門戸を閉じて隠れていた。そこの住人に左近将監の某という者がいて、これが熊鷹を飼っていた。ある時、大蛇はこの熊鷹が飼われている檻に向って這いより、木を登って行った。そして、檻に入ると熊鷹を呑もうとしたが、熊鷹は大蛇をむんずと掴んでそうはさせなかった。大蛇は熊鷹に巻きついて締め上げたが、ついに熊鷹が大蛇の首を食い切って倒してしまった。

『古今著聞集』より要約

これによって大蛇の害もなくなり村里喜びめでたしめでたし、というところで話は終わる。特に、それが何を教訓としているというような語りはない。耳が生えた蛇という風で、既に見ただけで障るという怪蛇だが、全体として見たら熊鷹強し、という以上のことはいっていないだろう。鷲鷹が(蛇に呑まれそうな折など)人に助けられ、後で六部になって恩を返す、などという話はまだこのころは見えない。おそらく鎌倉時代までの報恩譚には少なくとも蛇に絡んで鷲鷹がどうこうという筋はないのではないか。

古記抜抄『古今著聞集』

古記抜抄
「古記抜抄」は、龍学の各記事から参照することを目的とした、日本の古典(主に説話)文学からの抜書きです。原文・書き下し文は割愛し、その話の筋を追えるように要約と簡単な解説によって構成されています。現在は以下の各書についての抜書きがあります。