菅原神社

索部:相模神社ノオト:2011.08.17

祭 神:菅原道真朝臣
    天照皇大神
    大山咋命
    建御名方神
    倉稲魂命
    木花咲耶姫命
    (国府津比古命・比女命)
創 建:不詳(正暦五年の伝説)
例祭日:四月二十五日
社 殿:神明造銅板葺木造/南南西向
住 所:小田原市国府津

『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁など

祭神に異同があり、『神奈川県神社誌』には「大山津見命」とあるが、社頭掲示では「合祀社:日枝社(祭神 大山咋命)」となっている。基本情報部は社頭掲示にならった。

菅原神社
菅原神社
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菅原神社はJR東海道線国府津駅の西北西程近くに鎮座する。とは言え周辺かなり細い路地が入り組んでいたりする所なので、駅からの地図はしっかり確認してから赴くのが良い。

ここは平安に遡る由緒を持つ上に、様々な要素を抱えている天神さんなのだが、まずは「海より来る神」を祀った所だ、という点が重要だ。以下のような縁起が伝えられている。

神社縁起:
学問の神菅原道真公を祭神と仰ぐ『当菅原神社は正暦五年(西紀九九四年)六月晦日の黄昏時納涼せんと海岸に里人が集うと……奇なる木船が汀に漂い来りて束帯せる一貴人が錦の袖にて招き給う。里人は之を招じで麦飯に麦粉をかけて饗す……其の夜里人の夢枕に貴人現れて告げて曰く、「京の菅神を崇敬せば幸多からん」……。
目覚むれば貴人の姿はなく菅公の肖像一軀(現存の神像)残れりよって之を御神体として神社を創建せり。』

社頭掲示より

「菅神を崇敬せば……」という話にはなっているが、全体的には相模湾西から東伊豆にかけてのキノミヤ信仰の由来と良く似ている縁起である(後述)。

また、この天神さんは「通りゃんせ」の天神さんであるとも言われ、石碑もある。「通りゃんせ」は箱根の関の行き来を歌ったものだというわけだ。また、ここ国府津は近世東海道が箱根の関へと向う本道と「裏関」である足柄峠の関へと向う道との分岐点でもあった。あるいは「天神様の細道」は足柄峠の裏関への道を暗示しているのかもしれない。もっとも「通りゃんせ」発祥の地としては埼玉県川越市の三芳野神社にもその伝があるそうだが。

菅原神社
菅原神社
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主祭神は菅公で、以下の祭神は合祀によるものである。しかし、一点気になることを指摘しておく。各種文書資料には見えないが、社頭の掲示の中に「国府津比古命・比女命」の記述がある。どのような由来で追加されたのかは分からないが、もとはそうだったのかもしれない。周辺古社はこのような「(土地名の)比古命・比女命」を祀る例がままある(宗我神社・二宮川匂神社)。

社頭掲示に見る「国府津比古命・比女命」
社頭掲示に見る「国府津比古命・比女命」
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もう一点、合祀社であり境内社でもある「諏訪社」も気に留めておいた方が良いだろうか。上の菅公を祀る次第となった以前「昔時は諏訪の森と称し、諏訪社(西紀七五〇年頃)があって之を合祀した。」と社頭掲示にも『神社誌』にもある。

境内社:諏訪社
境内社:諏訪社
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また、ここは天神故に神使は牛である。拝殿前も狛犬ならぬ朱塗りの狛牛が置かれている(タイトル画像)し、境内にも不思議な牛の像がある(下写真:自分の体の悪い所と同じ所をなでると治る、という「なで牛」)。天神天満宮はとにかく各地に多いが、ここ国府津の菅原神社さんは万事含めて中々あれこれの揃った天神天満宮であると言えるだろう。社頭掲示では神奈川の三大天神とも謳っていた。

牛の石像
牛の石像
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参拝記

菅原神社へは平成二十二年の五月十四日に参拝している。実は小田原─中井の中村党の面々と伊豆方面を繋げるインスピレーションを得たのはここ菅原天神さんへの参拝時だった。「ここは伊豆の続きだ」と思ったことでそうなった。翌日には国府津から中井町中村への行程を歩いている(笑)。

社頭
社頭
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上で述べた「海より来る神」の縁起がキノミヤ信仰の「来宮」の側面と似ている、と思ったのが直接の契機だが、ここは「来宮」だけではなく「木宮」の側面も持っていた。現在の御神木であるムクの木を見ても今ひとつピンとこないが、かつては境内に大楠があった、という記述を社頭掲示に見つけた(他資料には見ない)。「これを書いた板は当神社の境内に有った老楠で明治三十五年の火災に遭ったため伐採したもので、その当時において既に壱千年余の星霜を知る銘木であった。」のだそうな。

また、西相模のキノミヤの代表格である同小田原市早川の紀伊神社は惟喬親王を祭神とし、木地師たちのキノミヤであったが、ここに「政争に敗れ伊豆河津に流された惟喬親王が、洋上嵐に遭い小田原国府津に漂着し、後、小田原早川にお住まいになった」という伝承がある。この伝承の国府津への漂着とここ国府津菅原神社は関係するのじゃないかと思っている。

社頭
境内
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さらに境内には曽我兄弟が隠れたとされる大岩などもあり、中村氏─曽我氏との縁故があったことも伝えている。いずれ東伊豆から西相模にかけての『国造本紀』に見る「師長の国」を考える上で、以上の諸点が織り込まれて行くことになるだろう。

茅の輪
茅の輪
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現在の菅原神社は周辺小社を合祀した上での国府津の総鎮守格であり、その様な神社にありがちなこととして「オールインワン」な神社さんとなっている。素盞鳴命は祭神に見ないし、天王社を合祀した、という話も見ないが、茅の輪まである。しかし、実は小田原には「天王社がない」という面白い流れがあり(ないこともないのだが)、ここもその次第から「隠れ天王社の合祀」があったのかもしれないが……またその話は項を改めて。

菅原神社(小田原市国府津) 2011.08.17

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