紀伊神社

索部:相模神社ノオト:2011.08.26

祭 神:五十猛命
    惟喬親王
創 建:貞観年中(伝)
例祭日:四月二十四日
社 殿:神明造銅板葺木造/東南東向
住 所:小田原市早川

『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁

紀伊神社
紀伊神社
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紀伊神社はJR東海道線早川駅の南西600メートル程の所に鎮座する。早川の港沿いに走る135号線より一本陸側に生活道が沿ってあり、その道を行くと鳥居が見える。

「貴の宮大権現」「木宮大権現」「紀伊宮大権現」などと呼ばれていたが、明治維新後「紀伊神社」と改めた。すなわち西相模の「キノミヤ」の社である。かつては勅使の下向もある大社であったが、相模入道(北条高時)亡き後は衰退し、今の社地は往時の十分の一だという。

社頭掲示が大変よくまとめられているので、まずはそれをあげておこう。

早川の氏神様で、往古は木宮大権現、のち紀伊宮大権現と称され、土地の人からは「木の宮さん」と呼ばれた。箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社である。
神社縁起によれば、貞観年中(859~876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とが奉祀されている。木地挽(轆轤師)の開発者といわれる惟喬親王は、天安2年(858)京の都を追われて伊豆(河津)に流罪となったが途中嵐にあい国府津海岸につき早川の庄に至りこの地で歿したといわれ、当時親王の付人が木地を挽いて、朝夕の奉仕の料に当てたといわれている。
また、この地には「木地挽」と言う字名が現存するが、この字名はその名残りであると言う。
なお紀伊神社の社宝である「木地椀」は小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。

社頭掲示より

惟喬親王流罪にまつわる伝承はお隣真鶴町の「兒子神社」にもあり、そちらでも紹介した。また、私は流れついたという国府津に鎮座する「菅原神社」が関係あるのではないかと考えており、そちらでも紹介した。併せて参照されたい。

そもそも小田原城の発端はここ早川(早川上流か)に居を定めた中村党土肥実平の子、小早川遠平によると思うが、時期的に小早川氏が氏神としたのはおそらくこの紀伊神社である。そうなるとここ紀伊神社はもともとの小田原総鎮守だったと言っても差支えない。

ちなみに遠平は鎌倉幕府成立後安芸国沼田荘の地頭となり移住している。安芸小早川氏は小田原早川から出ているのですな。

境内社
境内社
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境内社は本社殿向って右側にまとまっている。まず小祠が三社あり、駒形社・龍宮社・天王社とある(『神社誌』)。どれがどれかはわからなかった。地域的に見て、「駒形社」は馬を祀るそれではなく、箱根大権現本宮・駒ヶ岳の神格としての駒形社だろう。また、龍宮社は伊豆半島東側から漁師たちが決まって祀る「リューゴンサン」であると思われる。また、小田原から真鶴では天王社も漁師の祀る社の側面が強い。

聖徳太子社
聖徳太子社
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また、木地師の社ということで、宮大工の祀るところの聖徳太子の社もある。ここから箱根の方へ登っていった畑宿の駒形神社にも「太子堂」が祀られているが、同様のものだろう。

境内にはあと本社殿向って左手に神楽殿があり、その背後に御神木の大楠が生えている。

神楽殿と大楠
神楽殿と大楠
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伊豆半島東側から西相模にかけて点在する「キノミヤ」という社は多く古い御神木を持つ特徴があり、熱海来宮・河津来宮ともに大楠を御神木としてる。伊東八幡宮来宮や片瀬白田の来宮のように杉やイチョウである場合もある。ここ早川紀伊神社は「木の宮」の名の通り極めてスタンダードな「キノミヤさん」だと言えよう。

御神木の大楠
御神木の大楠
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なお、当紀伊神社の社宝や御本殿などの一部は小田原市立図書館に『紀伊神社写真集』という地元の方のアルバムがあり、閲覧することができる。プリントした写真を台紙にはって造本した、文字通りアルバムなので、市販品ではない。

大正11年造の陶製の狛犬
大正11年造の陶製の狛犬
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参拝記

紀伊神社へは平成二十二年の二月を皮切りに何度か参拝している。地元西相模エリアということでアクセスしやすい所な上に、個人的に好きなのだ(笑)。

参道入口の鳥居
参道入口の鳥居
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上写真でわかるだろうか。ここ紀伊神社さんは参道の上を東海道本線が走っているのである。都市部なら眉根のよりそうな結構なのだが、東海道本線と言ってもこの辺りではローカルな雰囲気で、この参道もむしろ不思議で楽しげな雰囲気となっている。

鳥居脇の道祖神さん
鳥居脇の道祖神さん
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さて、ここ紀伊神社さんは上に見たように基本的に「木地師の社」であり、御祭神などもその点に特化しているのだけれど、立地そのものは古くからの漁港「早川港」を見守るような位置に鎮座されている社だ。

キノミヤ信仰は木への信仰であると同時に「海から来たる神」への信仰(来宮)という側面も強く持ち、ここ紀伊神社さんも早川の漁師たちから崇敬されている。と、いうか今ここのお祭をやっているのは皆その早川の漁師さん達なのだけれど。

手水
手水
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境内に奉納されているシャコ貝
境内に奉納されているシャコ貝
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手水まわりや奉納されているシャコ貝なども漁師の神社色が濃い。港を見守る大樹を祀る社。私は西相模の住人なので、キノミヤ信仰もこの紀伊神社を発端として巡りはじめたのだけれど、伊豆の方まで広く見て回ったあとでも、実はここ早川の紀伊神社さんがもっとも素朴で典型的な「キノミヤさん」なんじゃないかと思っている。

早川港
早川港
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紀伊神社(小田原市早川) 2011.08.26

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