姥子神社
索部:伊豆神社ノオト:2011.06.09
川奈湾北側に鎮座する。黄色い鳥居が珍しい。上写真の丘陵を「優婆子山」と言い、祠の鎮座する窟を「姥子窟」という。
神社というより祠だが、もとはこの岩窟は細長い洞窟状となっており、日もささぬ一番奥に鎮座する祠であった。要するにこの岩窟そのものが信仰の対象だった、ということだ。今は下の写真のように開放した岩窟となっているが、これは戦中陸軍の特攻用船艇の艇庫として拡張された際に崩落してしまったことによるそうな(『伊東市だより』)。
同『伊東市だより』によると姥子窟は発掘調査が行われており、縄文時代の黒曜石片・古墳時代の土師器が発見されている。川奈全体では古墳時代前期の集落跡が発見されており、地勢的に言ってその時代には海辺の聖地として捉えられていただろう。
実際姥子窟から発見された土師器は高杯であり、祭祀用のものと考えられている。また、「高杯の出土した層から大きなアワビが三十数個、大きなマツバガイ、サザエが発掘されました。」とあるのも興味深い。神社そのものの創立は不明ながら「海辺の聖地としての窟」の役割は太古からのものと見て良さそうだ。
また、トップタイトルイメージの岩隗が神社前の海岸にあるが、これは「御舟石」と呼ばれており、昔神さまがこの地に海上やってこられた際に舟を着けた岩だと伝えられている。さらに窟裏側の浦を「神浦」、川奈湾東端の岬(夷子神社の岬か)を「神崎」と言うなど、古来重要な信仰地であった事が伺われる。
参拝記
姥子神社へは平成二十二年の九月二十日に参拝している。同川奈の夷子神社・川奈三嶋神社も併せて参拝している。この辺りは独立して項を設けて論じるが、川奈全体が一連の神祀りの次第を反映した神社の構成になっているのではないかと思う。ウバコとエビス(ヒルコ)が母子であり、中央の三嶋神社が父神、というような。
そして、そうであるならば祭神の「豊玉姫命」というのは付会であろう。周辺を見れば伊豆の東側というのは伊豆三嶋大神とその眷属というこの土地独自の神々によって古代から中世の神祀りが行われている。この川奈だけそうではなかった、ということはあるまい。姥子神社は伊豆三嶋后神のいずれか、夷子神社は御子神のいずれかを祀っていたと考えるのが妥当ではないか。
また、川奈三嶋神社近くには日蓮上人が伊豆流罪となった際に隠れ住まった窟の「祖師堂」があるが、その窟はこちらの姥子窟の事であったともいう。
姥子神社(伊東市川奈) 2011.06.09