滝山神社

索部:伊豆神社ノオト:2011.09.01(追記:2011.09.04)

祭 神:伊弉冉命
創 建:元和三年(造立棟札)
    式内:多祁伊志豆伎命神社(論社)
例祭日:十月十五日
社 殿:入母屋造・妻入/南西向き
住 所:賀茂郡河津町川津筏場

『河津町の神社』

滝山神社
滝山神社
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河津駅から河津川を遡っていき、峰大橋の辺りから細い生活道の入り組んだ山中に入って行く。バスが走っているので、峰大橋の所まではそれで良いだろう。その先は歩きで、右に左に折れながら進むことになるので説明は難しいが、コミュニティセンタ(公民館?)があるのでそこを目安に。その辺りから北に登る道に入ればほぼ一本道だ。

式内:多祁伊志豆伎命神社の論社として名が上がるが、最有力論社は同じ河津は見高の「見高神社」で、多くはそちらしか名があがらないだろう。ここ滝山神社はかなりマイナな説ではある[資料4]

ちなみに『伊豆國式社考』が「筏場瀧権現」を多祁伊志豆伎命神社の論社と記しているようなのだが[資料4] [資料6]、ここ滝山神社が「筏場瀧権現」であるのかどうかと言うと、現代の各種資料にはまったく言及がない。故に私も参拝後もしばらく半信半疑だった。しかし、『増訂 豆州志稿』に「瀧ノ権現」とされており[資料3]、江戸期の棟札資料にも明暦の札に「滝権現」、延宝・貞享の札三枚に「滝之権現」とあるので、ここで良いのだと思う(享保以降「滝山権現」)[資料2]。なお、「滝山・瀧山」の表記があるが、拝殿額に滝山・『河津町の神社』にも滝山とあるのでこれにならった[資料1]

さて、その「滝」に関しては次のようにある[資料1]

由緒・伝承:
元和三年(一六一七)十一月の創建との言い伝えがあり、同年の棟札も現存している。もとは熊野神社とか熊野権現と称した。場所も現在地よりかなり登った滝山に鎮座していた。社の傍に滝があったので今の社号に改めたと言われている。

『河津町の神社』より引用

滝・滝山の名のもとになった滝は旧社地の傍にあった滝だ、と読んで良いだろう。もっとも「現在地よりかなり登った滝山」がどこかは現状分からないし、いつ現社地に遷座されたのかもよく分からない。尚、『河津町の神社』も式内論社であることなどにはまったく触れておらず、土地にもそれを思わせるような口承・伝承も見当らない。

滝山神社そのものとしてはその他、山神社・稲荷明神・疱瘡神・水神社・風天神・田守神・宇賀明神が合祀されているとあり、下写真本社殿向って左側の一宇に祀られているようだ[資料1]

合祀社?
合祀社?
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さらに境内社が石祠で祀られている。下写真手前から山随霊王・水神社・金比羅神社・秋葉神社、とある[資料1]。山随(さんずい)霊王とは聞かぬ名だが、南の下田市の加増野に「山随権現」という独特な権現が祀られており、周辺地区海浜の方まで及ぶ講が組織されていたようで、その伝播だろう[資料5]

境内社
境内社
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資料上は以上だが、境内社の石祠の脇には十一面観音と思われる石仏もあり、子安信仰の場所でもあったのかもしれない。

境内の石仏
境内の石仏
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参拝記

滝山神社へは平成二十二年の十月十一日に参拝している。川津筏場の弁天を捜索するという難事を終え、ホッとした所でここ滝山神社さんへ向ったのだが、ちょうど好天の日差しで緑が映え、大層のんびりとしてしまったことを覚えている。

社頭
社頭
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そもそも多祁伊志豆伎命(タケイシヅキノミコト)がどういう神格かということは分からず(式神名帳に名のみ見る)、何故ここが多祁伊志豆伎命神社の論社として注目されたのかも分からないので[1]、込み入った話のしようもないのだが、「滝」への信仰という点で注目されたのだとすると気をつけておきたい点もある。

このまま河津川を遡ると、観光名所としても有名な河津七滝(ななだる)というところがある。「玄松子の記憶」様方でも指摘されているが、この周辺で滝への信仰があったとすればまずはそちらになりそうなものではある。

しかし、七滝は筏場ではなく梨本という土地になる。「筏場瀧権現」をあげた『伊豆國式社考』では、七滝と思われる「梨本に陣幕瀧布アリ」という記述を式内:多祁富許都久和氣命神社に比定してあげている。その上での混同はありえないだろう。さらに、そもそも七滝周辺には(合祀されたものを見渡しても)それを思わせるような神社もない(Googleマップ)。

そして、もう一箇所。筏場で河津川に注ぐ佐ヶ野川があるが、これを遡った先が修験者達の修行の場であったそうな。途中に上佐ヶ野三島神社が鎮座されているが、そのさらに上流部である。上佐ヶ野の歴史案内の看板に見ただけなので要領を得ないのだが、その奥に神格化され祀られた大きな滝があるらしい。上佐ヶ野も筏場のうちなので、「筏場瀧権現」で滝山神社以外を考えるというならこちらのほうが注目かもしれない。

しかし、そちらにも「神社」というのは見当らない。鉢ノ山の山頂に三峰さんの祠があるが、それだけである。

個人的にはこの上佐ヶ野奥の修験勢力が河津にどのような影響を及ぼしていたのかに興味があるので、それらの地も見て回ることになると思うが、その見聞次第ではまた違った感想を持つかもしれない。

それに、そのような「課題」がなくてもここ滝山神社さんは再度参拝させていただきたい神社さんだ。再度と言わず、四季を通して見てみたい程である。河津の山中の各社は皆苔に富み、緑に覆われ、傍を清流の流れる素晴らしい場所が多いが、その中でもここ滝山神社さんは格別であったと思う。

境内
境内
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脚注・資料
[資料1]『河津町の神社』河津町教育委員会(1984)
[資料2]『河津町の棟札』河津町教育委員会(1993)
[資料3]『増訂 豆州志稿』秋山富南・萩原正平著(寛政十二年/明治二十八年)
[資料4]『式内社調査報告 十』式内社研究会:編 皇學館大学出版部(1981)
[資料5]『伊豆 下田』地方史研究所:編(1962)
[資料6]『静岡縣神社志』静岡県郷土研究協会:編(1941)

[1]『伊豆國式社考』では、式神名帳上の「並び」と式内社の鎮座地の並びとが一致するはず、という前提で論社をあげているように見える。河津では概ね確定社だろうとされる杉桙別命神社を中心に、前後の神社を河津鎮座とする、というように。しかし、後の研究ではこのような法則性は見出し難いとされている。

滝山神社(賀茂郡河津町川津筏場) 2011.09.01(追記:2011.09.04)

伊豆神社ノオト: