比波預天神社

索部:伊豆神社ノオト:2011.09.05

祭 神:加理波夜須多祁比波預命
相 殿:菅原道眞朝臣命
創 建:淳和天皇の御宇(伝)
    式内:加理波夜須多祁比波預命神社(論社)
例祭日:十月十五日
社 殿:流造/南南東向
住 所:伊東市宇佐美

『田方神社誌』など

比波預天神社
比波預天神社
フリー:画像使用W840

伊東線宇佐美駅から北北東に600mほどの高台に鎮座される。大通り沿いではなく、途中から細い道を登っていくので、細かな地図を確認して行くのが良い。

先に「天神」としての側面を述べると、菅原天神は延喜年間に伊都城部家(神社社司家)の女婿に中納言長太夫国信を京都北山より迎えた際、その祖を合祀したものと伝わる。以降中近世を通じてここは天神社として祀られており、今でも地元の人たちは「天神さん」として認識している。但し、同時に後述の「海より来る神」の祭祀も連綿と伝えており、式内の社である、という伝承もあったそうだ[資料1]

さて、式神名帳に見る主祭神、加理波夜須多祁比波預命は「かりはやすたけひはよ」ないし「かりはやすたきひはよ」と読むとされる。意味は分かっていない。加理波を狩場、多祁を滝と見たり、夜須多祁を安竹(地名)と見たり、その読みから天速日命と見たり(実際近世祀られていた[資料4])、さらには熯速日命と見たりと、色々であるが、伊豆独自の神格と考える向きで落ち着いている。熯速日命と結びつけたりするのはあたらぬだろう。比波預はその区切りで意味があると思われ、現社号もこの比波預に相殿の天神を併せ「比波預天神社」となっている。また、社傍に「比波夜志」の地名があったともいう[資料4]

ちなみに静岡県神社庁のwebサイトに「日波預天神社」とあるので、私は長らくそう覚えてしまっていた。しかし、その様な表記の仕方は他に見ない。誤植だろう。困ったものである。

ともかく、この神は『三宅記』には見ない神なのだが、社伝では伊豆国造の祖であるとされ、そうならば伊豆国造直系とされる累代の三島大社祠官・矢田部家の祖である、ということにもなる[資料1]。これは下っての『伊豆國造伊豆宿禰系圖』なる史料にあるそうだが、『静岡縣神社志』に詳しいので引いてみよう[資料2]

伝へ云比波預命は三島溝橛耳神の長子にて、上代海上より上陸して当地を開拓経営し給ひしより、当宇佐美村の氏神と祀らると、比波預命の孫多祁美加々命より五代伊波磯命は、伊豆國忌部にして、それより十代美登乃直、夫れより九代火萬呂に至る、而して淳和天皇御宇火萬呂の子生吹土主より玉田首に至る頃始めて社殿を造営すと云ふ。

『静岡縣神社志』より引用

この記録が何を意味するのかというのは難しいが、とりあえず順番に見ていこう。三島溝橛耳神は賀茂氏の奉ずる神だが、これは下って西国の神と結びつけようとしたか、あるいは伊豆賀茂氏の伝えた三嶋信仰(南豆に見られる)を意味するのか、となるが、その後の係累は伊豆独自の神格であるので本質的には伊豆三嶋大神のことだとして良いだろう。一応紹介しておくと、『田方神社誌』には比波預命は姫蹈鞴五十鈴姫命(神武天皇の后)の生母玉櫛姫の兄にあたる、などと書いてある[資料3]。南豆にその系の神祀りはあるものの、「玉櫛姫の兄」というのはさすがに無理があるだろう(玉櫛姫は一名三嶋溝樴姫で三島溝橛耳神の娘、事代主命の后)。

多祁美加々命は一般には新島にいます神で仁和二年(886)までに叙位を受けた伊豆神六柱の一柱、本来は伊豆三嶋大神の御子神である。半島側では南豆に祀る例が見られる。これが同名異神なのか、後から加理波夜須多祁比波預命を上位神として挿入しようとしたのかは分からない。

五代伊波磯命以降は伊豆国造家の祖系を述べるということで良いだろう。いずれにしても、大雑把に重要な点は、この記録は有力氏族の祖を三嶋大神の御子神にあてている、というところだ。伊豆三嶋大神は膨大な伊豆独自の神格を眷属に持つが、それらがなんだったのかと言うと実はほとんど分からない。ここで見る加理波夜須多祁比波預命の位置づけは「各氏族の祖として(式に見る御子神の)神格が増殖した」のではないか、という視点を与えてくれる貴重な例なのだ。

なお、比波預天神社は中世の伊豆國神階帳に見る「たまたの明神」に概ね一致で比定されるが、これは鎮座地の字「留田(とまた)」が「たまた」の遺称であると考えられることによる。

境内社
境内社
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御祭神に関してはひとまずそのくらいにしておき、境内社についても詳しく述べておこう。各資料に異同があるのだ。現在の社地には写真の覆屋の中に二基の祠が祀られており、「大山祇神(山神社)」のみ表記がある。webサイト「神社探訪 狛犬見聞録」様方によるともう一方は「風神社」だそうだ。しかし、過去にはより多くの境内社が祀られていたようで、この中に興味深いものもある。資料ごとに古い方から羅列してみよう。

『増訂 豆州志稿』
 山神・稲荷・風神・琴平

『静岡縣神社志』
 山神社(大山祇命)
 稲荷社(倉稲魂命)
 神明社(おしゃもぢ命・子の神・伊吹土主命・玉田首命)
 若宮社(多祁美加々命・伊波磯命・若多祁命・美登乃直・火萬呂)

『田方神社誌』
 山神社・稲荷神社・剣神社・聖神社・見目神社・他

「若多祁命」は一般に伊豆国造の祖とされ若建命とも書かれる。剣・見目は『三宅記』に見る伊豆三嶋大神の随神で御子神達の後見である。もとは国造の祖系を若宮にまとめていたものを最近は剣・見目にあてたのだろうか。白濱神社・三島大社が剣・見目・(若宮)を配す形になっているので倣ったのかもしれない。

「おしゃもぢ命」は社宮司ではないかと思われ、そうなら風神はこれにあたるかと思われる。東国の社宮司に関しては長くなるので割愛。伊豆では熱海に存在することを確認している。あとは、子の神が聖神社だろうか。

社頭に見る石神(浜石?)
社頭に見る石神(浜石?)
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さらに、当社の例祭に関しても詳しく述べておこう。何となれば「伊豆の神」としての本領はここにある。先に引いたように比波預命は海上より来られたというのだが、この模様が例祭で再現されている[資料5]

縦八〇センチメートル、横一・三メートル、厚さ四〇センチメートル程の上が平らな舟型石を神石とよび、祭神がこの石に依り着かれたとする。十月十五日の比波預天神社の祭の日には、この石から神輿船に神をお迎えする。神輿船渡御の船唄に、
 〽 いつの世に神やよせけむ船寄せの
            名をのみしのぶ松のひともと
 〽 いづの海ははてなき竿をしまつとり
            宇佐美の浦に神や寄せけむ
と歌われる。

『静岡県史』より引用

また、『静岡県史』の同頁に神輿船の写真も掲載されているが、漆塗りの立派な船に文字通り神輿が載っているものだ。こちらにも祭の様子が描写されているので引いておこう。

漆塗りの立派な船に神輿を載せ、揃いの浴衣の若者が「ホーランエンヤ」の掛声とともに海辺の神石まで引いて行った。その際、神輿を守る白衣の人びとと、船を引く若者との間で、たえず小ぜりあいが行われた。砂浜に降りてからは、酒樽を抜いて近郷から集まってきた人びとにも振舞い、みなで青い海をながめながら若衆の合唱する船唄にきき入るという光景が見られたという(松平斉光『祭』より)。

『静岡県史』より引用

宇佐美の北の熱海多賀・網代の海から伊東・河津・下田・南伊豆・西伊豆まで似たり寄ったりな祭祀が続くのだが、中でもここ比波預天神社の祭は万事整った典型的なものと言えるだろう。比波預天神社付近からは祭祀遺物である滑石製臼玉が発見されており、古くから海上へ向けた祭祀が行われていたことと考えられている[資料1]

御神木:ホルトの木
御神木:ホルトの木
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あとは御神木の「ホルトの木」を紹介しておこう。何となれば宇佐美の天神さんと言ったら式内社である神社そのものよりもこのホルトの木の方が有名なのだ。

比波預天神ホルトの木:
ホルトの木は、南関東沿岸部以南の本州から台湾・中国南部・インドシナ半島にわたって広く分布する高木で、常緑樹であるが、いつも緑葉のなかに紅葉した古い葉を混じえているので人目をひきつける。そのためか、神聖な木とみなされ、神社の境内に大木が多い。
この木は、県下でも有数の巨木であり根の部分が露出している(根上り)のが珍しい。
根まわり 一〇m
目通り 六m九〇cm
樹 高 約一八m

境内掲示より引用

伊豆では楠やタブの木に加え、このホルトの木が神社によくある。育ちやすいのか村の鎮守さんに多い(宇佐美には峰の熊野神社にも大きなホルトの木がある)。それにしてもここ比波預天神社のホルトの木は別格で、県の天然記念物に指定されており、国内でも最大級だそうな。実はこれ、「三本」のホルトの木が絡まって生えているのだが、それだけに枝振りも大変なものである。

他で目にするホルトの木も、複雑に起伏する幹を持つが、ここは「根上り」というのだそうで、これもひと際である。

御神木:ホルトの木
御神木:ホルトの木
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参拝記

社頭
社頭
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比波預天神社へは平成二十二年の八月十三日に参拝している。伊豆行第二回目にして「比波預天」などという不思議な名前の古社ということで俄然盛り上がって一日の最初に参拝した。当時はまだ伊豆の神社・神格について何も知らず、という具合だったのだからなおさらである。

社標
社標
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あまり埒のないことを書いてもしようがないのだが、私は個人的にはここの神名は「加理波夜須・多祁比波預」と切るのだと思っている。「タケヒハヨノミコト」という名が基本なのだろうと。カリハヤスは何なのかというと分からないのだが、国造祖神とされる過程で修飾されたものではないか。または、三宅島に見る八王子に、第三子「やす(夜須)」・第八子「へんず(波夜志)」の御子神があり、何らかの関係があるのかもしれない、と思っている(係累を示すとか)。

ついでというなら社殿は正確に三宅島を捉えている。この点からしても三島溝橛耳神云々の伝は付会であり、古代伊豆三嶋信仰の一端に連なる神社であると考えるのが良いだろう。

社殿の向き
社殿の向き
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また、境内にはいくつかの道祖神さんが集まってきているのだが、ここは大変「姫型」であることが見て取れる造形が多い。伊豆型の道祖神はその型が僧型なのか姫型なのかという問題があるのだが、「姫型派」には大変心強いところだと言える(私は姫型派)。手に「笏」を持つことがはっきりと示されていることも特徴となるだろうか。

道祖神(サイノカミ)
道祖神(サイノカミ)
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伊豆型道祖神に関してはいずれ稿を改めるが、宇佐美を訪ねるほんの数日前に熱海の網代で初めて「伊豆型」の道祖神さんを見、ここで二度目の邂逅であったので「あぁ、こういうものなのだ」と思った記憶がある。これが連続して端的に姫型であったので私は「姫型派」となったとも思う。

この日宇佐美の神社をひと回りしたものの、実は肝心の港町の方の見聞には至っていない(昼は炎天下となり、へたばったのだ……笑)。上記の神輿船の出るお祭を含めて、またいずれ宇佐美のより深いところを辿ってみたい。

社叢
社叢
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脚注・資料
[資料1]『式内社調査報告 十』式内社研究会:編 皇學館大学出版部(1981)
[資料2]『静岡縣神社志』静岡県郷土研究協会:編(1941)
[資料3]『田方神社誌』静岡県神社庁(1985)
[資料4]『増訂 豆州志稿』秋山富南・萩原正平著(寛政十二年/明治二十八年)
[資料5]『静岡県史 資料編23 民俗1』静岡県:編(1989)

比波預天神社(伊東市宇佐美) 2011.09.05

伊豆神社ノオト: