日枝神社

索部:伊豆神社ノオト:2011.08.23

祭 神:大山咋命
創 建:不詳
例祭日:不明
社 殿:流造/南向
住 所:下田市椎原

『南豆神祇誌』など

日枝神社
日枝神社
フリー:画像使用W840

稲生沢川沿い、稲梓小学校の南側に隣接して鎮座されている。伊東線稲梓駅から歩いても半時程である。下田〜蓮台寺を経由し、稲生沢川上流へ、または逆川上流へと行くバスも少ないながらある。

椎原(しいばら)周辺は隣接する箕作(みつくり)・宇土金(うどかね)・北湯ヶ野のそれぞれが鎮守に日枝神社を持つという一大日枝神社地帯である。そして、その箕作・宇土金・北湯ヶ野の日枝神社は、ここ椎原の日枝神社を宗祠として分祠したのだと『南豆神祇誌』にある。

宇土金の日枝神社の由来記に「慶長十二年十月二十四日山王大権現宮 大山咋大神ヲ遷宮シテ氏神トシタ」とあるので江戸時代の頭にそれぞれに分霊したのだろうか。椎原日枝神社そのものの創建はまったく分からないが、稲生沢川を遡った横川字宮原に「八楠山王」と呼ばれる文安三年(室町中期)の創建を伝える古社があったそうで(未参拝・国土地理院地図に鳥居マークは確認)、そこからの繋がりとすると大まかに変遷が見えるかもしれない。

『増訂 豆州志稿』には「初字宮輟ヨリ現地ニ遷祀スト云年代不詳」とあるが「宮輟」なる地名が今どこにあたるのかわからない。しかし、分社の状況が江戸初頭であることから見ても椎原日枝神社(山王権現だったのだが)ないしその元宮が江戸時代以前の山王信仰の社であったことは堅いように見える。

参道脇の石祠と石棒
参道脇の石祠と石棒
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ところで『南豆神祇誌』に「社前の石祠に石棒を祭るものがあつて、Inau(イナウ)が供へられる。」と目の飛び出るようなことが書かれているが、上写真の祠のことだろう。イナウというかおそらく削りかけが供えられていたのだと思われる。石棒も石棒と言うより宝塔の先端部を二つ繋げたような形状で、相模では「ゴロ石」と言って道祖神さんに供えられている石と同様に見える。

参拝記

椎原日枝神社へは平成二十二年の十一月三日に参拝している。上に述べた日枝神社四社を順に回っていった。箕作・宇土金・北湯ヶ野の日枝神社にも同日に参拝している。

社頭
社頭
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まったく「山間」という土地であり、多くは「山神社」が鎮座するような所にこの日枝神社さんが軒を連ねているわけだが、その後下田周辺神社を回っていくうちに、実にその感想の通りこれは「山神社」の一系なんだろうと今は思うようになっている。

下流の蓮台寺の方の立野の子神社は今は子神社で大己貴命を祭神とするが、もとは山神社・「山神(王)七社権現」であったといい、どうも山王さんの一形態だったようだ。南伊豆町の方でも山神社の登録でありながら「山王大権現」とも表記される社がある。南豆の山間部では山王さんを山の神として祀る様式があったようだ。

所変わればナントやら。だが、そのようなその土地その土地が独自に育んできた神祀りへの感覚が見えてくると面白いと思っている。

日枝神社(下田市椎原) 2011.08.23

伊豆神社ノオト:

参考:

下田行
下田行(神社巡り編)
2010.11.03日の下田市の神社巡りの模様。前半で日枝神社さんの一群を巡っております。
▶下田行