弁財天

索部:伊豆神社ノオト:2011.09.04

祭 神:不詳
創 建:不明
    式内:伊波乃比咩命神社(論社)
例祭日:不明
社 殿:不明
住 所:賀茂郡河津町峰

資料なし

弁財天
弁財天
フリー:画像使用H840

河津駅から河津川を遡っていくと、峰大橋の脇に「べざい岩・べざい淵」と呼ばれる淵と大岩壁がある。峰大橋辺りのバス停で降りて河津川を見ればすぐそれと分かる巨大な岩壁だ。「筏場と峰の境」とよく書かれるが、住所的には峰になるのだろう。

べざい岩・べざい淵
べざい岩・べざい淵
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『伊豆國式社考』がこのべざい岩を「筏場ト峰村トノ境ニ辨天岩アリ、神階帳ニいわよひめアリ」と、式内:伊波乃比咩命神社に比定している(『静岡縣神社志』に『伊豆國式社考』上の比定社一覧がある)[資料1]。しかし、伊波乃比咩命とは『三宅記』にも見る三宅島の南西は坪田にいます三嶋大神の三宅島の第二后である。当然最有力論社も三宅島坪田の「二宮神社」であり[資料2]、この后神が河津に祀られていた、とするには相応の理由が必要となるだろう。

さらに、確かにべざい岩中腹には「弁財天」の祠が鎮座されているのだが、各種資料にはまったくその存在は記録されていない。『河津町の神社』は町内の小社・祠に至るまで網羅している資料だが、ここにもない。おそらく、存在していたのは「べざい岩・淵」であり、「社」はなかったのではないか。現在の社殿も平成に造られたものだった。

土地の伝承にも伊波乃比咩命神社がこの地にあったことをにおわせるものはまったくない。無論、べざい岩自体は何らかの古代からの信仰が「なかったわけがない」ほどの奇景だが、その信仰を伊波乃比咩命と結びつける根拠は見当らない。

参拝記

弁財天へは平成二十二年の十月十一日に参拝している。辛うじてネット上の地図に「弁財天」とあるのを頼りに捜索した。実は数日前にも雨中鳥居のところまで来ているのだが、雨の中分け入るのは不可能な参道だったので引き返している。

案内
案内
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上写真のとおりに案内もある。奥の岡の向こう側がべざい岩である。しかし登って参拝はしたものの、弁財天の祠がこの岡上のどの辺りになるのかよく分からない。距離的には中腹だったようにも思うが、それ以上の登りがあまり見えなかったことを思うと結構頂上付近だったのかもしれない。

参道
参道
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いずれにしても鳥居を潜って先は上写真のような有様である。道(?)も急勾配故、湿っていたりしたら二三度滑って転ぶことは覚悟の上で挑まれたい。幸い祠までの距離はそれほどではなかった。

さて、ここでいくつかの問題点に関する私見をあげておこう。まず、『伊豆國式社考』の比定社の選択基準に関して。カッコ内が『伊豆國式社考』の比定社[資料1]

 22. 許志伎命神社……………(富戸三島社・加増野こしきば峠)
 23. 多祁伊志豆伎命神社……(河津筏場瀧権現)
 24. 久爾都比咩命神社………(記述なし)
 25. 伊波乃比咩命神社………(河津筏場と峰の境の弁天岩)
 26. 杉桙別命神社……………(河津田中来宮神社)
 27. 多祁富許都久和氣命神社(河津梨本瀑布・三宅島阿古)
 28. 伊波久良和氣命神社……(八幡野八幡社・岩殿熊野権現)

上記のように、少なくとも杉桙別命神社周辺社は同じ河津に比定しようとしていると思う。つまり、式神名帳上の「並び」と式内社の鎮座地の並びとが一致するはず、という前提で論社をあげているように見える。しかし、後の研究ではこのような法則性は見出し難いとされており、この選択基準には無理があると言わざるを得ない。『伊豆國式社考』にあげられている論社を考える上ではこの点に気をつける必要がありそうだ。

また、川津筏場地区の式内社鎮座の可能性について。川津筏場上佐ヶ野の三島神社のところに詳しく述べたが、べざい岩から西へ700mほど、筏場小川、現三養院付近に「小川大明神・三島大明神」が鎮座されており、元亀年間に上佐ヶ野と逆川に分裂遷座されたと伝わる[資料3]

私は筏場に式内社が鎮座していたと言うなら、まずこの小川三島大明神を考えるべきだと思う。周辺同地区にさらに眷属が祀られていたとするなら、この小川三島大明神が式内何神社であったかを考え、その神格と密に関わる神格を比定すべきだ。例えば小川三島大明神を三宅島系の御子神としたら、べざい岩は御子神達の後見であり、本地を弁天とする見目神ではないか、というように(例えばですよ?)。いずれ式内社というより島嶼からの分霊であった可能性が高いとは思うが。

個人的にはこのべざい岩が伊波乃比咩命神社だとはまったく思えないが、しかしこのような理由で古代三嶋大神に連なる何かはあった可能性があるとは考えている。河津川を遡ったこの地の古代はまったく新しい発想で考え直す必要があるだろう。

登り口の鳥居
登り口の鳥居
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脚注・資料
[資料1]『静岡縣神社志』静岡県郷土研究協会:編(1941)
[資料2]『式内社調査報告 十』式内社研究会:編 皇學館大学出版部(1981)
[資料3]『河津町の神社』河津町教育委員会(1984)

弁財天(賀茂郡河津町峰) 2011.09.04

伊豆神社ノオト: