鷹と大蛇

門部:日本の竜蛇:四国:2013.03.15

場所:愛媛県西予市宇和町明間
収録されているシリーズ:
『日本の民話18 讃岐・伊予篇』(未来社):「鷹の恩返し」
タグ:鷹と蛇


伝説の場所
ロード:Googleマップ

特定の場所のことを語る、という話ではないので、大雑把に旧東宇和郡(現西予市)のお話、ということだが、『まんが日本昔ばなし』(にも集録されている)が宇和町明間の観音水の洞窟をイメージしているようなので地図はそこにポイントした。

観音水
観音水
リファレンス:環境省名水百選画像使用

詳しくは後でも述べるが、『まんが日本昔ばなし』の「鷹と大蛇」は今回引く未来社『日本の民話18』の「鷹の恩返し」をアニメ化したものなのだが、少し改変がある。この稿のタイトルは「鷹と大蛇」にしたが、話の要約の方は未来社の方に拠る。

鷹の恩返し:
昔、ある武士が峠を越えやって来た。すると谷間の方でギャーギャーと大変なおらぶ(叫ぶ)声が聞えた。武士が谷間に降りてみると、大蛇が大きな鷹に巻きつき、今まさに鷹を喰らおうとしていた。武士は大蛇も立派だが、ここまで育った大鷹がここで朽ちるのは惜しいと思い、鷹を放してくれないかと大蛇に頼んだ。すると大蛇はこれが通じたのか鷹を放し、双方どこへともなく去っていった。しかし、武士はこの光景を見た事により気持ちがおかしくなり、病に臥せってしまった。
看病してくれる者もいない独り者の武士が臥せっていると、綺麗な娘さんが訪ねて来た。そして、居着くと武士の看病をしてくれた。しかし、武士の容態は一向に良くならず、却ってどんどんと弱っていってしまった。何日かすると今度は旅の六部が訪ねて来た。六部は武士の体を治すには向こうの山の奧の大松の先にある鷹の(巣の)卵をとってきて食べさせなさい、と娘さんにいった。娘は気が進まなかったが卵をとりに行った。
娘は大松を見上げると、やがて大蛇の姿となって、ぞろぞろと松の木にのぼって行った。そして、卵をとろうとした時、どこからともなく大きな鷹が飛んできて、大蛇をつつき殺してしまった。
実は娘の正体は山で鷹をくわえていた大蛇で、武士をとり殺そうとしていたのだった。そして六部はその時助けられた大鷹で、恩を返したのだった。それから武士はずんずん良くなって、元気なもとの体に戻ったという。

未来社『日本の民話18 讃岐・伊予篇』より要約

鷹と大蛇
鷹と大蛇

「鷹と大蛇」(「まんが日本昔ばなし」データベース)

先に『まんが日本昔ばなし』の「鷹と大蛇」の方のおそらく脚色と思われる点を指摘しておこう。
・まず、武士がもと武士の男となっている。
・そして、谷間の奧の水の流れ出る洞窟で鷹が蛇に喰われそうになっているが、特にそのような「水源」を思わせる描写は元話にはない。
・また、元話では鷹を放してくれないかと頼んでいるのに対し、アニメではその際大蛇の毒気を喰らって病気となった、という話になっている。本来武士が鷹の身代りとなって取り殺されそうになる、という筋だと思われ(毒からだと邪魔された恨み、となる)、これは結構ニュアンスが違う。
・その大蛇の化けて来た娘が「怪しい赤い実」を男に食べさせて弱らせていくようになっているが、このアイテムは元話には出て来ない。
・さらに、鷹と蛇の自然の摂理に介入してしまった自分が悪かった、と話が締めくくられているが、このようなモチーフも元話にはない。

これら(水源・赤い実・自然の摂理への介入)というのはもとからあったら興味深いモチーフと言えるので、逆に脚色である(と思われる)ことを良く意識しておく必要があるだろう。故に、これらの点に関しては今回言及しない。

さて、今回強調したいのは鷹と蛇の戦いということそのものだ。これはかなり歴史がある。おそらく本邦では大蛇に呑まれそうになる鷲が逆襲して蛇を食いちぎってしまう『今昔物語集』の肥後の話が古く、また『古今著聞集』にも摂津の熊鷹と怪蛇の戦いの話がある。ところがこれらはかなり純粋に「鷲鷹は蛇より強い」ということを語るだけで、間に人が介入するという話ではない。

▶「肥後国の鷲、蛇を咋ひ殺す語」(『今昔』)
▶「摂津國岐志庄の熊鷹大蛇を食ひ殺す事」(『著聞集』)

しかし、下ると今回見たような恩返しの話にもなり、また、恩返しでも蛇聟入譚の一環として活躍するようにもなる。これは、

人が鷹(鷹の卵)を蛇から助ける
    ↓
蛇が人間の男に化け、その人の娘の所へ通う
    ↓
娘が蛇の子を孕む
    ↓
鷹が六部に化けてきて、蛇の子の堕ろし方を教えたり、蛇聟を退治したりする……

という筋のもの。鷹がコウノトリだったりもするが、「鷹と蛇」という組み合わせはこの系統に最も多い。ここで問題となるのが、そもそもこの組み合わせは何を語っていたのか、ということだ。ただ「鷹は蛇より強い」という話であるうちは、猛禽類の自然界での逞しさを語っているだけのようでもある。しかし、これが怪蛇と人との軋轢に介入して語られるようになると、何らかの信仰上の側面があるのかとも思える。つまり鷹が何らかの概念を表す記号となっているかもしれない、ということだ。

最も考えられそうなことは、これはインドからのナーガとガルダの関係が引かれているのではないか、ということだろう。「世界の竜蛇:モンゴルのガルダと蛇」に紹介したように、そういうモチーフの流れというのはあり、ガルダは日本では迦楼羅天のことである。

▶「モンゴルのガルダと蛇

このラインは迦楼羅天と鷹で天狗になって同四国の「満濃池の竜神」などのようにもなるだろう。

▶「満濃池の竜神

しかし、鷹の活躍というのは存外に早く、古墳時代の埴輪にも鷹匠を表したと思われるものがあり、仏教に先行している観もある。

鷹匠埴輪
鷹匠埴輪
リファレンス:群馬県太田市HP画像使用

アステカのウィツィロポチトリ神話に見るように、竜蛇キラーの猛禽類というのも別段ガルダの専売というわけではないので、より古くから「蛇を喰う鷹」のモチーフが重視されていた可能性は当然ある。

▶「ウィツィロポチトリ

今回の伊予であれば、南の南宇和には百合若伝説があり、百合若の愛鷹「緑丸」が城辺町(現南宇和郡愛南町)の緑という所から出たというので鷹ノ巣山という山などもあり、そういった鷹そのものが愛される風土であったのかもしれず、そうなら仏教説話の一系と見る必要もない。

このように大蛇と大鷹が戦う、という象徴的なモチーフではあるのだが、その意味合いを一点に収斂させようとしても結構難しいのだ。あるいはさらに天界と地界、乾界と湿界といった対置する世界を織り込んだ構造を持つ話なのだ、などと考えることもでき、実際そう見る向きもあるが、先に見たようにその背後にはかなり長い人と鷹そのものとの付き合いがまずあり、地域差もある。

ともかく、古くに見える純粋な鷹が蛇に勝つという話から、蛇聟入譚で鷹が恩返しに知恵や力を授けるという話に至る中間に、今回の伊予の鷹と大蛇の話はあるわけだ。人々がその対置に託して何を伝えようとしてきたのか。それを考えて行く上での結び目となる話ではないかと思う。

memo

鷹と大蛇 2013.03.15

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