竜宮からきた嫁

門部:日本の竜蛇:相模周辺詳細:2012.01.27

場所:神奈川県小田原市酒匂
収録されているシリーズ:
『日本の伝説20 神奈川の伝説』(角川書店):「竜宮からきた嫁」
タグ:竜宮女房/難題婿


伝説の場所
ロード:Googleマップ

浦島太郎は竜宮から戻ってみたら長い月日がたっており、知る人はみな死に絶え……という話だが、竜宮から嫁をもらって地上に戻り、一時とはいえ幸せに暮らす竜宮譚も少なくない。

そのまま竜女が子を生せば蛇女房であり、難題婿のモチーフなどからはこの話型が天人女房(七夕伝説)に近い事を実感することにもなる話だ。暴れ川で名が高かった酒匂(さかわ)川の河口にもこの話がある。

竜宮からきた嫁:要約
昔、酒匂川の河口近くに正助という若い葱売りがいた。働き者だったが馬鹿正直な上にとんと欲がなく、身上はさっぱりで、正月の餅もつけない有様だった。ある年の瀬のこと、正助が川端を歩いていると一匹の亀が、背に乗りなさい、良いところへお連れしましょう、と話しかけて来た。
不思議に思いながらも正助は亀の背に乗り、言われるままに目をつむった。しばらくして亀が目を開けて良いというので開けると、そこは絵草紙に見るような竜宮だった。竜王は正助の正直者さに感心し竜宮に招いたのだった。
しばし歓待の後、戻ろうかという正助に竜王は何なりと宝を持ち帰るが良いと言う。正助が貧乏で嫁の来てもない事を話すと、竜王は自分の娘〝きさ〟を妻とするが良いと引き合わせ、正助ときさは亀の背に乗って酒匂に帰った。
正助はきさの持参金で畑を持つ事ができた。また、不思議なことに今まで見る事もなかった白米がつきる事がなくなり、きさの掃除した床柱は皆新しいものになった。二人は仲睦まじく暮らしていた。しかし、きさの評判は相模の国司にも聞こえ、わざわざ見に来た国司は妻盗りを企む事となる。
正助は捕えられ、暮らし向きが急に良くなった事を悪事のはてとされ、白胡麻を満載した黒い帆の船一艘と黒胡麻を満載した白い帆の船一艘を献上できねば妻を差し出すよう国司に迫られる。正助は困り果てて帰ったが、きさはひとつも動ぜず、海より二艘の胡麻を積んだ船を呼び寄せた。
国司は懲りずに、今度は「これは、これは」と自分に言わせるものを献上しろと迫って来た。今度はきさは竜宮の小箱をとり出すと、自ら白煙となり箱に入ってしまった。正助は仕方なくその小箱を国司に献上する。国司が蓋を開けると、中から小さな白蛇が這い出て来た。
白蛇は見る間に大蛇となり、「これは、これは」と驚く国司に巻きつくと絞め殺してしまった。そして正助との別れを惜しむように酒匂川の方へと姿を消した。その日のうちに正助も消息を絶った。ある人が遠い村で正助によく似た貧しい身なりの葱売りを見かけたともいう。

角川書店『日本の伝説20 神奈川の伝説』より要約

『まんが日本昔ばなし』「竜宮からきた嫁」
『まんが日本昔ばなし』「竜宮からきた嫁」

柳田国男が『桃太郎の誕生』でこの酒匂の話を紹介しており、また、『まんが日本昔ばなし』にも収録されているので良く知られた話ではある。何気に神奈川県は三浦一族が古くから浦島譚を伝えており(横浜には浦島町・浦島丘・亀住町などの地名が残る)、馴染みの深い土地なのだ。

話としては鹿児島喜界島の竜宮女房譚によく似ている。また、婿の方が難題を出されるモチーフは、天上に帰った天人女房を人の婿が追っていった先で、天上の女房の父に難題を出される、という方が良く知られているだろう。この際女房の助力で解決して行くのも同じだ。

そして、それらは沖縄から鹿児島にかけて語られる「アモレ(天女)」の話が持つモチーフでもある。いずれ竜宮女房と天人女房は南洋からの黒潮の伝える物語だったのだろう。役人が目を付けて、となると急に中国っぽくなるが。

細部として、とかく竜宮譚には「小箱(玉手箱)」がつきものであり、この話にも出てきている。開けてしまうと何らかの形で幸福な時間が終る。普通竜宮女房とは言わない「見沼弁天」などもそうだ。これは浦島太郎の玉手箱とは何か、という問題なのだが、ここではその存在を指摘するに止めよう。

さて、小田原は私の地元エリア「相模周辺詳細」のカテゴリとなるので、少し詳しく実地の事などを紹介していこう。

まず、先に述べた三浦半島の三浦一族との関係だが、酒匂川河口の北、小田原北東部の中村党(頼朝旗揚げに活躍した土肥実平の本家)と姻戚関係で繋がっている。佐奈田義忠(与一)は三浦と中村の血を引く人物だ。酒匂川下流域は中村党系とは違う波多野氏系の領地と考えられているが、波多野氏は海の文化と縁が遠く、海際に三浦から来た人が住みついていてもおかしくない。竜宮譚を酒匂川に伝えた人としてはやはり三浦からの流れがもっとも疑わしい(?)だろう。

酒匂神社
酒匂神社
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また、酒匂には「酒匂神社」が鎮座される。神社そのものは中世箱根権現に土地を寄進した事により箱根の神、駒形権現が祀られた「酒匂駒形社」であるが、周辺に「七夕社」があったようで、合祀されている。

『神奈川県神社誌』に七夕社の記録はないが、「この頃(七世紀中頃)、高麗民族が渡来して、先進文化、特に棚機(はたおり)を広め「棚機社(七夕社)」等も祀られていた」と酒匂神社社頭の由緒書きにある。高麗の機織との関係はお隣大磯高麗の高麗若光と絡めて現代の人の類推だろうが、この一文が由緒の頭に書かれているところを見ると大事な社だとの認識があったのだろう。伝説の天人女房譚との類似を鑑みて、七夕社が祀られていた事は覚えておきたい。

賀茂神社
賀茂神社
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さらに、北北西に「鴨宮」という土地があり、「賀茂神社」が鎮座される。今は知る人ぞ知るというたたずまいの、小さな神社だが、北条政子が懐妊した際(次男・実朝)、安産祈願として神馬が奉納されたと『吾妻鑑』に名の出る古社である。ここ酒匂の地に賀茂一族の手が入っていたのかどうかは分からないが、伊豆半島南部と伊豆諸島は「賀茂郡」だったのであり、海路を見れば目と鼻の先だとは言える。西からの伝説を伝えた人々、という枠組みではこのあたりも覚えておきたい。

ちなみに南伊豆の賀茂氏の中心地近くにも七夕神社が鎮座している。また南豆に天人女房譚が語られている事もあわせて注意しておくべきだろう。個人的にはこの小田原賀茂神社は伊豆三嶋信仰の一端だったのではないかと疑っているところもある(社殿は正確に神津島を捉える)。

この様に見ていくと、マクロには南洋から黒潮の伝える物語として、ややミクロには相模湾を行き交った海を生活の場とした人々の物語として、という具合に、酒匂川の竜宮女房からのハンドルをのばす事ができるだろうか。〝きさ〟の去来した竜宮はそういった海流の中にある。

memo

竜宮からきた嫁 2012.01.27

相模周辺詳細: