ボラのヨーバミ

門部:日本の竜蛇:相模周辺詳細:2012.02.07

場所:神奈川県中郡大磯町
収録されている資料:
『大磯町史8 別編民俗』(大磯町)
タグ:富の発生と竜蛇/影とり


伝説の場所
ロード:Googleマップ

「板子一枚下は地獄」と言われるように、漁師の足元は異界である。海上・船上は命が奪われる危険がそこここに口を開ける舞台であるのだが、そこは逆に富がやって来る経路でもある。この双方向の連絡は「あちら(祖霊の世界)」と「こちら(漁師の世界)」の世界が接近する際に起る現象として驚くべき一貫性をもって語られていく。大磯の漁師たちもその「接近」が起こったときのことを語り継いでいた。

この「ボラのヨーバミ」という話はあまり他に引かれている様子がないのだが、私は大変重要な伝承に思う。なので、『大磯町史』の語り文のまま原文を紹介しておこう。先頭の(略)の部分も『大磯町史』のままである。

大磯の海
大磯の海
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ボラのヨーバミ:引用
(略 ヨーとは夕方の意味。ボラがまとまると色が赤くなる。その赤くなったところに船が通りかかると、船の中にボラが飛び込んでくる。そういうときは、みな船の中に伏せてムシロなどをかぶる)
なぜそれをね、かぶるかっていうとね、そのボラをね、怖がらせてまとめてんのはね、ナガモノだっていいますね。わたしは実際に見たことがないんだから、それはもうはっきりとは言えませんけんどね。そのナガモノが、ボラをまとめて、しまらししゃってんですねえ。だから、その上を船が通んと、ボラがみーんな飛び込んできしゃう。飛び込んでくるせったってよ、ちっとばかりのもんじゃねんだから。たいへんなボラが、何百いんだか何千いんだかわかんねえよなボラがね。そで、それを、そうふうにさしてんのは、ナガモノだっていうんですよ。蛇ですね。蛇だって、ちっちゃい蛇じゃなく大蛇でしょ、おそらく。そういうことを聞いたことありますね。で、そのナガモノのね毒気(どっけ)をね、毒気っていうのは、その息ですよ。これを吹きかけられんと、まあ、危ないわけなんだな。だからそういうに伏せてね、ムシロかトバをかぶって、そん中を抜けてくる。そしんと、もうボラがそうとう入ってるね(男、大正三年生、大磯)。

『大磯町史8 別編民俗』より引用

この伝説は直ちに石見に伝わる「影ワニ」伝説を思い起こさせる。ディティールの違いは当然あるが、話の骨子はほぼ同様である。『まんが日本昔ばなし』にも収録されていたので、その筋を見てみよう(底話はおそらく『石見の民話』大庭良美編/未来社・未見)。

『まんが日本昔ばなし』「影ワニ」
『まんが日本昔ばなし』「影ワニ」

むかし、石見の漁村で嵐の夜、長老を囲んでの漁師たちの酒盛りがあった。その中で、長老は海が凪いだ日には「影ワニ」という恐ろしい怪物が出るので決して漁には出ないようにと話した。しかし、権蔵という男は一人そんな迷信で漁に出ないとはどうかしてる、と聞かなかった。
次の日、嵐が収まり海はベタ凪に凪いだ。皆が長老の言いつけどおり漁には出ず浜で仕事をしている中、権蔵の舟が沖へと出て行った。長老が走って呼びかけ止めたが権蔵は聞かない。長老は影ワニが出たら海面にムシロをかぶせておのれの影を消せ、と権蔵の背中に叫んだ。
その凪の海では、面白いように魚が釣れ、たちまち権蔵の舟はいっぱいになった。迷信で漁に出ない馬鹿者たちめ、と権蔵が思っていると、その舟に近づく大きな影があった。腕や肩と、権蔵の体が切れ、血が吹き出た。ようやく舟下の影に気がついた権蔵はこれが影ワニかと慄然とする。
影ワニが海面に映る権蔵の影に噛み付くとそこが切れ、血が吹き出るのだった。権蔵は釣った魚を皆捨て、長老の言葉を思い出し、ムシロを海面にかぶせ、おのれの影が映らぬようにした。すると一旦は引いた影ワニだが、今度はそのムシロを切り裂きはじめた。
ムシロがなくなれば一巻の終わりと権蔵も必死の防戦を続け、精も魂も尽き果てた頃、ようやく日が暮れ、影も映らなくなり、影ワニも姿を消した。九死に一生を得て戻った権蔵は、その後、凪の日には決して漁に出なかったという。

『まんが日本昔ばなし』「影ワニ」より要約

この場合ワニは鮫を意味しているとして良い。石見の影ワニ伝説は主に旧・迩摩郡(現・太田市)の辺に語られていたようで、以下のような伝説もある。共に迩摩郡の話だ。

アバヤの海洞の沖に、二人の漁師が海中を水鏡で覗きながら、魚をとっていた。すると突然一人の漁師が消えた。部落総出で探したが着物しか見つからなかった。アバヤの海洞には影ワニが住んでいるといわれている。

影ワニ海に映った船夫の影を呑むと、その船夫は死ぬという。昔、ある船夫が航海中、影ワニに影を呑まれそうになったので、反対に撃ち殺した。航海を終えた浜を歩いていたら、足の裏に魚の骨が刺さり、それが元で死んでしまった。その骨は影ワニの骨だったという。

『怪異・妖怪伝承データベース』の要約

類話はさて置き、「ボラのヨーバミ」と「影ワニ」はともに「異常な豊漁」というシチュエーションがまず共通している。私はこれは「あちら」の世界の「こちら」の世界への浸潤を語っていると思う。祖霊の世界は基本的にこちらよりも生命力が横溢する空間だと考えられてた。

竜宮でも山中隠れ里でも、魚たちが群れ舞い踊ったり、動物たちが群れ駆け巡ったりしているものだ。その世界がこちらへ接近し、一部洩れ出した状態を先の伝説は語っていると思う。そして、それを示すのが竜蛇の出現なのである。

鯨やシャチなど大型水棲哺乳類が魚群を湾口に追い込んでくれることからこれらを「エビス魚」などと呼んで神格化されるのだが、それだけでは鯨などが竜蛇を置換する存在として語られるまでには至らない。

海中から現われるこの世のものとは思えない巨体を見、そこでは「あちら」と「こちら」の接近が起こっているのだ、という認識が行われる。エビス魚の出現はそのような「この世ならざるもの」として、ナガモノや影ワニの怪と隣接しているのだ。

この空間は「あちら」の富がこちらへ洩れ出るのと同時に、「こちら」のものがあちらへ引かれやすい状態でもある。エビスの鏡像・怪として描かれる大磯のナガモノや石見の影ワニは魚群をもたらすものであると同時に、漁師たちをあちらへと引くものでもある。

大磯の例では「毒気」と表現されているが、水界の怪(主に蛇)が人の影(魂)を捕る、というモチーフは広く語られるものである。同相模では藤沢から武蔵にかけて「影取り沼」の伝承がある。いずれにしても生と死の胡乱な空間がそこに出現していることを語っていると見て良いだろう。

そして、この様に見てくると漁師たちが広く水死体の漂流を「エビス」として、漁をもたらすものとして丁重に扱う理由もよく分かる。そこには「あちら」と「こちら」の接近が発生しているのだ。同様に、地域によって同じものを避けたりありがたがったりする正反対の面があることもよく理解できる。

例えば葬式に対する態度と言うのは相反する。葬式に遭遇することを漁の上がる吉兆とする漁師たちもいれば、この大磯などでは「キボク」という最大級の忌み事として漁に出なかったりもする。これらは出現する空間が生死双方をもたらす両義的なものであることに由来していると見て良いだろう。

いずれにしてもこのような富の発生と死に引かれる怪異の双方が出現する空間を語り継いだ話として、「ボラのヨーバミ」「影ワニ」の両話は大変重要だと思うのだ。そしてここには「あちら」と「こちら」をその姿のまま行き来できる存在としての竜蛇、という竜蛇譚最大のモチーフに繋がるハンドルが示されているのでもある。

大磯港
大磯港
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大磯の漁師たちの竜蛇信仰に関して少し補っておこう。大磯港の片隅に、今「八大龍宮社」という祠があり、ここが大磯の漁師たちの信仰の要だ。かつて大磯の港周辺には三つの「龍宮祠」があったのだが、大磯港の近代化の際、ここに寄せ宮となった。

八大龍宮社
八大龍宮社
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大磯の漁文化は伊豆半島東側から連なるものと考えられ、その伊豆では「リューゴンサン・ジュウゴンサン」などと訛ってこの竜宮を祀っている。大磯の八大龍宮社もその例祭を「リュウグンマチ(マチは祭)」といっており、同じものであることが分かる。で、そのリューゴンサンが何なのかというと伊豆下田須崎では「リューゴンサンは海の彼方から蛇の姿でやってきた」と伝えている(『静岡県史 別編1 民俗文化史』)。

大磯八大龍宮もかつて蛇にとぐろを巻かせた像をご神体としていた(大磯郷土資料館特別展示「オタマシ(御神体)」パンフレット)。伊豆の漁師も大磯の漁師も竜蛇に漁の上がることを祈願して来たのだろう。最後にそのような信仰を伝えるこの海の話を二話紹介しておこう。

カツオを釣りに行くのに、いつものように餌のイワシを買って、漁に出た。餌の入っているカメを見たら大蛇が混ざっていた。あとで聞いたら、漁師に追われた大蛇が餌の中に混ざっていたのだというが、その船はそのときに大漁だったという(要旨)(男、明治三十八年生、大磯)。

小田原のマグロ一本釣りの船の話で、ほかの船が不漁のときにその船だけに漁があった。その理由は次のような話であった。あるとき、ベタ凪で海面がまるで鏡のような日のこと、魚もとれずに帰りかけていると、遠くに何かが泳いでいた。
シイラのような魚で非常に大きな目をしていた。不思議な魚だというので、すくってイケスに入れて生かしていた。帰ってのぞくと、すくったときは魚だったのに、大きな蛇がとぐろをまいていた。オガミヤに見てもらったら、天城山のヌシの一匹が大雨で流れだしたものだという。
魚に化けたが目だけは隠せなかったらしい。神主が拝んだら、樽の中へおとなしく移った。ヌシは天城へ帰っていったそれ以来、その船は漁があるのだという(要旨)(男、生年等不明)。

『大磯町史8 別編民俗』より引用

memo

ボラのヨーバミ 2012.02.07

相模周辺詳細: