龍と娘

門部:日本の竜蛇:相模周辺詳細:2012.05.02

場所:神奈川県秦野市今泉
収録されている資料:
『秦野の昔ばなし』(神奈川新聞):「龍と娘」
タグ:蛇聟入/竜蛇と地勢


伝説の場所
ロード:Googleマップ

竜蛇に見初められ入水する娘の話といっても様々なバリエーションがある。部分部分は定型的な表現によって構成されていても、一点だけよそと異なるような展開を見せていると、そこに土地独自の何かがあったのかな、と思う。相模の内陸盆地、神奈川県秦野市に伝わったこの話もそんな感覚を抱かせる話だ。

また、このお話は実際の土地の模様を話中に色々な意図で反映させている好例でもある。そしてそれは、実際何度も歩いてまわれる近隣の土地だからこそ、見えて来るものでもある。そのような面も後半詳しく紹介していこう。

今泉名水桜公園
今泉名水桜公園
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龍と娘:沼の主
太岳院の前には清水が湧き出る沼があり、一匹の大きな龍が棲んでいた。龍は人の話し声や歌声が大好きで、夜な夜な岸辺に近寄っては聞き耳を立てていた。しかし、姿を見られることはひどく怖れ、いつも静かに沼底を這いまわっていた。
沼の近くの一軒家に美しい一人娘がいた。夜になると惹かれるように沼へ行き、月明かりに自分の影を沼に映しては櫛で髪を梳き、美しい歌声で歌っていた。沼の龍も毎夜この歌声に聞き惚れていた。ところがある夜のこと、娘ははずみで沼に落ち、着物を濡らしてしまった。
この水音に驚いた龍は、水面に姿を現してしまった。そして「見られてしまったおのが姿」とつぶやくと、一転して荒々しく娘を背に乗せ、沼の底へ身を隠してしまった。娘がいなくなったことに気がついた村人たちは、松明をかかげ捜したが、見つかったのは浮んだ娘の赤い鼻緒の草履のみだった。
それから数日。一天にわかにかき曇り、物凄い大雨となった。沼は増水し、とうとう土手をこえると室川へと流れ込んだ。この時、大水とともに龍が姿を現し、その背に娘が乗っているのが見えた。龍は室川を下っていき、その尻尾の触れたところを今、尾尻と言う。

神奈川新聞『秦野の昔ばなし』より要約

今泉名水桜公園と太岳院
今泉名水桜公園と太岳院
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この話は今も沼のすぐ北にある太岳院の前住職の方が語ったものだ、とある。意識して「龍」と使うのは大体お寺絡みである。また、竜がおのが姿を見られることを怖れ、見られた途端に豹変しているが、竜蛇が自身を「浅ましい姿」と認識しているというのも仏話の側面を感じさせる。ところでこのお話は、もとはまったく同じものだろうと思われる異話が続けて『秦野の昔ばなし』に掲載された。舞台も同じ沼(今の今泉名水桜公園)のことである。

龍と娘:おじき
沼の近くの一軒の農家に、美しい娘がいた。しかし娘は早くに父母をなくし、おじき(おじさん)の家で育てられていた。ある日、娘が沼に水汲みに行くと、大きな龍が現われ、優しいまなざしで近づいてきた。そして、どうか自分の嫁になってほしいと熱心に頼むのだった。
娘は優しい龍の目を見ると無下に断ることもできずに、おじきの家で育てられた身なので一存では応えられない、三日の間におじきと相談しますから、と返事をして約束をした。ところが、話を聞いたおじは、とんでもない、誰が可愛い娘を龍なんぞに、と有無もなく許さなかった。
約束の日、娘の沈んだ顔を見た龍は夢破れたことを悟り、娘に近づくと自分の背に乗せてしまった。驚いた娘は龍の上から「おじきー、おじきー」と大声を張り上げたが、その声がとどく間もなく、龍は海の方へと下ってしまった。この時の「おじきー」と叫んだ娘の声が村人の耳に残り、おじきがおじり(尾尻)となったのだそうな。

神奈川新聞『秦野の昔ばなし』より要約

こちらはおそらく附近の農家の方からのお話。「「おれが聞いていた話は、こういうもんだがな」と言って、話者は話をして下さいました。」とあるのだが、前の話を聞いて「ちょっと違う」と里の人は思ったのだろう。特に中盤までは「おじき」が許していたら娘は特に抵抗もなく龍の嫁になってしまったのだろうという感じであり、里人と寺との竜蛇に対する微妙な温度差が面白い。

さて、話としては沼を水鏡に使って梳って竜蛇に見初められ、という典型的なはじまりで、娘を捜す村人が「赤い鼻緒の草履が浮ぶ」のを見て帰らぬものと諦めるのも、竜蛇と入水する娘の話が見せる典型的なシーンであり、悪く言えばその辺りは個性のない話、とも言える。

しかし、竜蛇が若侍など人と化して嫁取りを申し込む(蛇聟入り)でもなく、見初められた娘が蛇体となる(女人蛇体)でもなく、娘がいきなり竜蛇の背にのせられてしまうという、この一点が大変珍しいパタンの話であり、そこだけ浮き立っている。

ここで連想するのが信濃・甲斐・駿河という線に、昔入水した娘が川を下る姿が大水の度に見られる(と、いっても見たら障るというのではあるが)、という系統の話であり、私は竜蛇の背に乗り海へと下る娘の印象はこれに近いように思う。あるいはこの秦野今泉の話もそのように竜蛇の背に乗り大水を下る「光景が再現されるという怪」と化していた話だったのかもしれない。信濃〜駿河の話の詳しい検討はまだこれからだが、そちらが進むにつれて、この今泉の話もより際立った存在となるかもしれない。そんな予感がある。

伝説の土地周辺
伝説の土地周辺
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お話の紹介は以上なのだが、先頭にも述べたように、周辺の実際の土地の模様を見ていくとより一層話の含蓄が感じられる例なので、そこを見ていこう。添付の地図を見ながら読まれたい。まず、今泉の湧水のこと。

この辺りは丹沢山系に染み込んだ雨水がじわじわと湧き出て来る盆地であり、伝説の沼も、湧き水であると同時に一帯に染み出る水の集まるところでもある。室川の削った谷は、その斜面から湧水がさらさらと流れ落ちていたものだと言う(今は年中ジメッとしている、位だが)。

白笹稲荷神社
白笹稲荷神社
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近くの「白笹稲荷神社」の白笹(昔は白篠稲荷)とは、この谷の斜面を流れ落ちる湧水の音が笹・篠の葉ズレの音のようだったからそう呼ばれるようになった、などという話も伝わる。

今泉の湧水湿地
今泉の湧水湿地
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が、実際には写真のように「ジメッと」水の染み出るようなところが多く、「清水がこんこん」と言う表現とはちょっと違う印象がある。しかも湧水地とはいえ、このあたりが「水が豊富」かというとそんなことはなく、むしろ雨が遠のくとすぐ干上がってしまった土地だろう。大体一番大きな河川の名が「水無川」である。周辺も畑(特産はタバコ)ばかりで、水田を大きく展開するような水量は望めない土地なのだ。

ところが一方で、「龍と娘」も一面そうでもあるように、湧水を大変誇りとするのだ。今泉の西には現在「今泉神社」が鎮座されるが、ここはもとは「諏訪神社」だった。

今泉(諏訪)神社
今泉(諏訪)神社
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そして、ここには「諏訪湖の大蛇が今泉の美味しい水を飲みに飛んできた」という伝説がある。とても長い大蛇だったので、尻尾は尾尻の方へとどき、だから尾尻というようになった、とこれも今泉と尾尻の関係を強調する(後述)。また、丹沢の大蛇が美味しい水を飲みに鎌首をのばしたので云々とか、とにかくウマい水が湧くのだという話が多い。私はここに現実としてあまり恵まれていない土地にあって「そんなことはないのだ」と思い込もうとした土地の人々の一種の願いのようなものを感じる。それもあるいはひとつの呪術かもしれない。今泉の沼の竜にも、そのような土地の水への思いの二面性のようなものが反映されているのじゃないだろうか。単純に大水洪水を竜と語った、という事とは少し違う土地柄なのだ、という点は覚えておきたい。

もう一点。「尾尻(おじり)」という土地が繰り返し登場している。なぜか今泉は尾尻との関係を語るのだ。尾尻とは下図に見るように秦野盆地南側の丘陵が少し盆地内に張り出しているところ。もとは文字通り丘陵の尾の意味だろう。

尾尻の張り出し
尾尻の張り出し
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ところで相模では「鶴」という地名をまま見る。海に張り出した尾根(岬)を「真鶴」と言う。小田原城のある箱根から張り出した丘陵の先にある、現在小田原総鎮守格の「松原神社」は、昔「鶴の森」と言われた。平塚・茅ヶ崎の南部ははかつて相模川河口の湾口だったと思われるが、平塚湾に張り出していた高台だったと思われる相模五宮格の平塚八幡宮は昔「鶴峯山(つるみねさん)」と言った。一方茅ヶ崎側でそうであったと思われるところには元鶴岡八幡のひとつである「鶴嶺(かくりょう)八幡宮」が鎮座される。もとは「つるみね」だろう。海へ、又は平地へと張り出した尾のような高台を「つる」と呼んだようだ。

そして、同様の地形である秦野尾尻の「尾尻八幡神社」はかつて「鶴畴(つるとし)山」と呼ばれていたのだ。それがどうかしたのかと言うと、伝説の沼の脇にある太岳院が「亀王山太岳院」なのである。ここには今回の伝説とはまた違った方向から今泉と尾尻を繋ぐ何かがあるように思う。

尾尻八幡神社
尾尻八幡神社
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私見だが、尾尻の八幡が八幡となったのは鎌倉以降であり、ここは大本は秦野盆地の高台から相模大山を遥拝するための聖地であったと思われる。今でも神社後背の鳥居は大山を捉えている。一方の今泉の水辺は縄文時代からの遺跡が見られるところでもある。太古から貴重な水辺であったのだろう。私はここに秦野盆地の山と水を祀るとても古い信仰空間があったのじゃないかと思う。秦野の人々は、竜の伝説を語る時代に下っても今泉と尾尻を繋げて語らねばならなかったのだ。

このように、ひと口に「龍と娘」の伝説です、と言っても、その中には竜蛇伝説のモチーフの連なりと同時に、その土地の特徴・信仰空間のコードが縦横に織り込まれているのが本当であるのだ。「日本の竜蛇譚」において、私が住む相模をピックアップし「相模詳細」という区分けをしたのは、この縦横を自在に見て取れるようになるのは地元しかあるまい、と考える故である。

今回の秦野今泉の伝説はひとつの竜と娘の話の一例に過ぎないが、その向こうに土地そのものを見ていく方法はあるとおもう。より目を研ぎすませ、そのような話を展開していけるようになりたいと思う。

memo

龍と娘 2012.05.02

相模周辺詳細: