天の蛇 ティンパウ

門部:日本の竜蛇:九州・沖縄:2012.05.31

場所:沖縄県宮古島市
収録されている資料:
『蛇の宇宙誌』(東京美術):「天の蛇の虹の橋」
タグ:虹の蛇


伝説の場所
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「世界の竜蛇譚」でアボリジニのレインボーサーペントのテーマを紹介しているので(「エインガナ 〜 虹の蛇 I 〜」)、日本の虹の蛇のことも併せ紹介しておこう。

そう、日本にも虹の蛇はいるのだ。いるどころか、結論から言うならば「にじ」は蛇を表す「なぎ・なじ」系の語と同根の名である。雨が降り、虹がたつ。まさに虹は「たつモノ」なのだ。そのことをいち早く見抜いたのはロシアからやって来た「とびきりのガイジン」、ニコライ・ネフスキーだった。

ニコライ・ネフスキー
ニコライ・ネフスキー
リファレンス:日めくり万葉集画像使用

ネフスキーは1915年から30年まで日本に滞在し、柳田・折口らとの親交を通して日本民俗学の黎明に大きくかかわった人物である。どんなものでも外からの視線無しに立ち上がることはないが、日本民俗学のアイデンティティの確立にネフスキーのもたらした刺激は大きかっただろう。しかし、(後に述べるが)歴史の愚行は彼にその「日本学」をまとめる機会を与えなかった。そこで、その後を継いで調査された成果のアウトラインを東京美術『蛇の宇宙誌』「第3章 天の蛇の虹の橋(小島瓔禮)」から拾って見ていこう。

虹を蛇の姿とみる観念は、日本でも、かなり明確に跡づけることができる。この問題について、ニコライ・ネフスキーは、一九三二年に、ロシア語で、「天の蛇としての虹の観念」を発表している。ネフスキーが注目したのは、琉球諸島の宮古島で、虹をティンパウと呼んでいたことである。ティンは「天」、パウは「ハブ」(蛇)である。宮古島では、地上の蛇にたいして、虹を天の蛇とみていたのである。

東京美術『蛇の宇宙誌』より引用

宮古島の「狩俣の蛇神の子」で、狩俣の人々が太陽の女神を母神とし、大蛇を父神とすることを紹介したが、この神話とティンパウの関係は不明である。が、太陽と虹と蛇と並ぶ以上無関係とも思われない。このことは祖霊信仰と密接に関わる「若返り水」の神話・儀礼がまた虹の蛇と関係していることからも言えることだ。狩俣の北の岬の先にある小島、池間島にその「若返り水の使者」の昔話が伝わっているという。

昔、人間はスデ水(若返り水)を浴びて脱皮をしていた。あるとき、天の神の太陽が、セッカ(ヒタキ科の鳥)にスデ水を運ばせた。ところが、途中でアウナズ(虹)が現われ、スデ水を奪って捨てた。太陽と月は、虹をしかった。それで、虹は太陽を避けて、その反対側に出るようになったという。

東京美術『蛇の宇宙誌』より引用

池間島
池間島
リファレンス:航空測量撮影士の部屋画像使用

スデ水のスデとは脱皮のこと。本土で「若水とり」といわれる主に年始に行われる行事の根本を語る神話である。一方の死の起源神話である「バナナ・タイプ」と交錯する例もあり、このことは「世界の竜蛇譚:死の由来(インドネシア)」を参照されたい。ニアス島では海老の不死性を得るのは蛇だったが、宮古島周辺この系の話でもスデ水を奪うのは普通蛇である。これは先の話でも半ばそうで「アウナズ」というのは通常アオヘビ系の蛇をさす。そこだけ読んだら蛇の話だ。しかし、後半太陽を避けて云々というのは虹のことに他ならない。

つまり、ここでは本土でいったら虹を青大将だと呼ぶくらい直接的に虹を蛇の名で呼んでいるということなのだ。アウナズというのは「アオ(青)+ナギ(蛇)」がもとと思われ、これが虹と広く結びつく(後述)。

宮古島に限らず、八重山群島の竹富島でも、虹をオーナーヂィと言うという。さらに、これ以外にも沖縄では虹を蛇とする例は多いようだ。

竹富島のオーナーヂィのほかにも、八重山群島には、虹の蛇の伝えがある。新城島では、虹は蛇が千年の歳月を経て成った大竜の化身であると伝える。虹をアミ・ファイ・ムヌ(雨を食うもの)と呼び、雨が降りそうで降らないのを、虹が雨を食ったという。……(中略)……与那国島にはアミ・ヌミャー(雨を飲むもの)という呼称もある。石垣島では、虹は川や海、あるいは井戸水を飲み干すという。虹そのものが、蛇として、水を飲みに来るという伝えのほうが古風な表現であろう。

東京美術『蛇の宇宙誌』より引用

そしてそれは沖縄に限らず、本土にも見える。長崎では次のように言う。

長崎県西彼杵郡雪の浦村 蛇と虹/雨がやんだ後虹が山と川に立つと、蛇は天からその虹を伝わって降りてくる。その姿は恐ろしく、里人は見ることもできない。蛇は川の水を飲み干すと昇天し、やがてその水を雨として降らす。そのため、昔は蛇の祠を作っておいて祭っておいた。(『民間伝承』 20巻2号)

「怪異・妖怪伝承データベース」より

三重では次のように言う。

三重県久居市榊原村/村人たちは、虹が立つのは大蛇が淵や池の水を飲みに来ているのだと言っている。そして時雨が降るのは、大蛇が水を飲むときに小便をして行くからだと言っている。(『民話』通巻24号)

「怪異・妖怪伝承データベース」より

この他、甲信地方や大分秋田などに、に水中の大蛇が虹になって出るのだ、虹は水を飲みに来る竜なのだ、虹は大蛇の吐いた息なのだ、などという伝承があることが『蛇の宇宙誌』でも紹介されている。

また、虹は大蛇の棲む池から立つのだとするところもままあり、信州真楽寺の大沼の池(甲賀三郎が大蛇となって出てきた池)からも虹が立つという。近世まで諏訪明神とは甲賀三郎のことに他ならなかったから、諏訪信仰と蛇の虹という流れもあるかもしれない。

真楽寺の大沼の池
真楽寺の大沼の池
リファレンス:オコジョの散歩道画像使用

一方で先にも少しふれたがその名の問題もある。ネフスキーと同じ頃、石垣島出身の宮良当壮(とうそう、本人は「まさもり」と読むのを好んだ)が方言研究の面から虹と蛇の呼称の問題を追い、「にじ」が蛇を意味する語から分化したものであることを立証しようとしていた。

ニジの呼称には、ノジ、ネジ、ヌジ、ヌギなどの語形があるが、それは、アオヘビ類の呼称が「アヲ+〔語根〕」の形をとっている、その語根部分の語形の変化の様相にきわめて近い。ノジ、ナジ、ナギなどである。
そこで宮良当壮は、ナギをウナギ(鰻)を含めた蛇形の動物の総称と考え、それからニジ、ヌギが分化したとする。秋田県ではアオダイショウを、アヲノジ、アヲノズという。ノジ、ノズは、同地の虹の呼称と共通する。また、琉球諸島の南部には、前に見たとおり、池間島や竹富島のアウナズ、オーナーヂィのように、サキシマアオヘビの呼称が、そのまま虹を指している例もある。「ニジ」が蛇を表わす語と同語であることは疑いない。

東京美術『蛇の宇宙誌』より引用

このような次第で、沖縄から本土へ日本でも虹の蛇という観念はあったのだろうと考えられるわけである。付け加えるならば、「指さすと指が腐る(死ぬ・良く無いことが起る)」という性質も広く虹と蛇に共通して語られている。

さて、『蛇の宇宙誌』では以降世界の虹の蛇と、虹の架け橋の観念への接続の模様が考察されて行くのだが、こちらは今回はこの辺にしておこう。少し違う側面からの考察も必要なのだ。同書では先に見たようにこの虹と蛇の接続が降雨と水界への信仰で繋がることをもっぱらに強調しているのだが、それだけとは思われないのである。宮古島でネフスキーが最初に採取したものと思われるセンテンスを見てみよう。

っふぃーすぃてぃ ばこーちかー
てぃむばゔんどぅ まかりい
〔(人に)遣って、奪うと、虹に巻かれる〕

かいすぃてぃ むどぅすぃつぃかー
てぃむばゔんどぅ まかいい
〔返して、戻すと、虹にまかれる〕

ニコライ・A・ネフスキー『宮古のフォークロア』(砂子屋書房)

宮古島と海
宮古島と海
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もともとはこのように短かな「宮古の諺」の中にティンパウ(てぃむばゔんどぅ)はあらわれているのだ。大意としては、人にあげたものを取り返そうとすると虹・天の蛇に巻かれる、という解釈で良いだろう。これは明らかに「贈与の流れ」に関する信仰のことを言っている。

世界の竜蛇:火の起源 I 」にそのようなものがあることだけは紹介したパプア・ニューギニアの「クラ交易」などが贈与の循環の典型だ。

「クラ(交易)」(Wikipedia)

要するに部族から部族へ(島嶼なら島から島へ)贈り物のリレーが行われ、ぐるぐる回っているのだが、これは社会の円滑な運営という枠にとどまらない。その贈り物が「贈与の霊」であり、その円滑なリレーが自然の円滑な運行を促しているのだ、という信仰があるところが重要なのだ。いわば贈与の霊の滑らかな循環を通して、海や大地という「身体」に気功を行っているのだ、という感じにイメージしたら良い。

おそらく宮古島にもそのような贈与のリレーがあったのだろう。贈与の霊の循環を逆転させたものは、その流れの本体である虹の蛇の文字通り逆鱗に触れ、「天の蛇」に巻かれてしまうのである。

そして、このような虹の蛇と経済の循環と自然との関係という次第も、南洋の信仰にとどまらず、本土でも見られたのではないかと考えられる。中沢新一は『虹の理論』(新潮社)の中で、アボリジニの虹の蛇たちを紹介したあと、「虹の理論 II」の中で、中世日本に「虹が立ったらそこに市(いち)を立てねばならない」という観念があったことを紹介している。「虹の市」だ。

ここでは虹と市という「大地から立ち上がるもの」という点に絞った考察となっているが、「富の発生」のその現場に顔を出すのが蛇なのだ、ということはこれまでも繰り返してきた(「ボラのヨーバミ」など参照)。「富の発生」とは今の感覚でいうゼニカネということではなく、それも含みながら「祖霊の世界(あちらの世界)から贈られて来るギフト」、その全体のことである。収穫・漁・獲物の多少だけでなく、例えば(王・英雄の伝説などに見る)個人の異能なども「贈られて来る富」である。

その発生の現場には蛇がおり、これを象徴する次第というのは(新石器革命以降の動向として書いたが)「ザッハーク・後」の前半部などを参照されたい。そこにはかかわり方を間違えれば富を得たものがあちらへ引かれてしまう、という怖れがあることも述べた。

このことは「虹の根を掘ると黄金が埋まっている。(秋田県)」「虹の下をくぐり抜けられたら財産がふえる。(岐阜県飛騨市)」などという各地の俗信にもその残滓を見ることが出来るだろう。いずれにしてもネフスキーが最初に見たティンパウとは、このような広がりまでを含むものだったのだと思われる。水界への信仰というのも富の発生の大きな根本ではあるから、前半と後半は無論別のフェーズというわけではない。しかし、水から離れてよりプリミティブに生命を更新していくエネルギーの流れのようなものが虹の蛇なのだというイメージが本邦にもあることを感じておくことは重要だ。それはきっと旧石器時代の信仰を今に伝えたアボリジニの虹の蛇たちとわれわれの足の下に棲む竜蛇たちが辿れば結びつく存在であるのだということを教えてくれるだろう。おそらく、ネフスキーの研究がまとめられていたならば、かならずやそこまでとどく「天の蛇」が描き出されていたものと思う。

ネフスキーは滞日中に日本人と結婚し、ソビエト連邦共和国の成立後に帰国、大学教授を務めたが、1937年10月4日、日本のスパイだとされ、スターリン粛清の禍に遭い銃殺されてしまった。まだ45歳だったネフスキーはその集大成を行うことなく殺されてしまったのだ。

私は、彼が繋げようとしていた虹の蛇の橋が日本と世界を繋いで行く様を見てみたい。それは「龍学」の悲願でもある。

天の蛇
天の蛇
レンタル:PHOTO PIN画像使用

memo

ちなみにネフスキーの採取した宮古の謡で、「はいゆぬかなすぃ(エイ、豊作の神!)」というものがあるが、ここでは若返りが蟹の脱皮の能力として盛んに繰り返し歌われる。その部分を訳の方だけ紹介しておこう。

ヨガタリ(昔話)が出たら
海老蟹さえも脱皮する
イサウ蟹も脱皮する
ハイユヌカナスィ ユーイ

青蟹も脱皮する
仲間の蟹も脱皮する
ハイユヌカナスィ ユーイ

私達が再生しないはずがない
仲間が再生しないはずがない

ニコライ・A・ネフスキー『宮古のフォークロア』(砂子屋書房)

もっとも人のその能力(スデる能力・脱皮の能力)は蛇・虹に奪われてしまったわけだが。こうして見ると沖縄でも若返り(脱皮・不死)と蟹海老と蛇が並んでいるわけで、やはりニアス島の話とは非常に近いと言えるだろう。

天の蛇 ティンパウ 2012.05.31

九州・沖縄地方:

関連伝承:

虹

オーストラリアの先住民、アボリジニたちは世界・人間の始祖として虹の蛇を語り伝えた。

エインガナ
オーストラリア 〜 虹の蛇 I 〜
人間だけでなくすべての生命、山や樹木たちをも生み出した始祖蛇にして母神の虹の蛇「エインガナ」について。人々は、またエインガナから生まれたあらゆるものは皆「小さな虹」なのだ。
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脱皮

ネフスキーがまたテーマとしていた問題が、若水(変若水・をち水)だった。これは脱皮する生き物である蛇や蟹と深く結びついて語られてきた。その原初的なイメージをインドネシアに見、また日本の蟹の出て来る伝承も追っておきたい。

死の由来
インドネシア ニアス島
「バナナ・タイプ」という死の起源神話と、脱皮の能力という不死の贈り物を蛇に取られるというモチーフが融合した伝承をニアス島の人は伝えてきた。日本の同系神話を考える上で、このあたりの話はよくよく勘案する必要がある。
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榛名湖伝説
群馬県吾妻郡
榛名湖には蛇となったお姫さまと、蟹になった侍女たちの伝説がある。普通日本の伝説では蛇と蟹は対立するのが常だが、榛名湖の例は興味深い。
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蟹満寺
京都府木津川市山城町
一方「蟹報恩」という蛇を蟹たちが討ち倒す伝説の典型話が蟹満寺の縁起。蟹の生命力を子に移そうとした「蟹取小袖」の産着などとあるいは関係してゆくかもしれない。
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富

「富の発生」の現場に蛇は顔を出す。虹の蛇のことを考える上でこれは大変重要なことだ。以下の伝説たちからその様子を見ていきたい。

ボラのヨーバミ
神奈川県中郡大磯町
「ナガモノ」の出現が生(豊漁)と死の両義をもって示されている非常に重要な伝承。大磯の海の漁師たちが伝えた話。
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五郎兵衛淵
秋田県横手市塚堀
一般に「蛇息子」として認知されている横手の民話。しかし、その本質は屋敷神としての蛇「屋敷蛇」という点にある。農耕文化を持ち定住すると富と蛇の関係はこうなっていくのだ。
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ザッハーク・後
イラン シャー・ナーメ
新石器革命以降の動向として、ということでだが、蛇がなぜ富の発生の現場に顔を出すのかということの根本的な理由はこの稿の前半に述べてある。
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その他

その他、今回の伝説と併せて知っておきたい各地の伝説。

ボラのヨーバミ
沖縄県宮古島市平良狩俣
宮古島は大変「蛇神」というモチーフを強く持つ島である。虹の蛇との関係がどうあるものかは現状分からないが、この狩俣の祖神の神話などは併せ知っておくべきだろう。
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火の起源 I
パプアニューギニア
クラ交易のことも少し紹介しているが、中盤の太陽と蛇の関係の話が虹の蛇の問題に大きく関わる。虹というのはおそらく太陽の軌跡を蛇と見るイメージと近い。
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