福岡県の竜蛇

門部:日本の竜蛇:「怪異・妖怪伝承データベース」より

話 名
資 料 民族と歴史 8巻1号/通巻43号
場 所 久留米市
要 約 蛇も憑いたり祟ったりする。これは蛇をからかったり嬲ったり生殺しにしたりするために起る。正月2日に地下で蛇が会合するのを鍬で切ってもその厄にかかる。蛇憑きは道を行くのに蛇行し、手の指の爪の間から舌を出す。奇形児を生むことも蛇の祟りと信じられている。

話 名 大蛇
資 料 旅と伝説 5号
場 所 福岡県
要 約 速水姫という大切に育てられた姫がいたが、年頃になったとき、沈蛇の瀧に飛び込んでいなくなってしまった。姫が飛び込んだ日を命日にして、一周忌の日にお通夜をしていると、姫は以前のままの姿で帰ってきたので、親族は大喜びした。就寝中は声を掛けたり起こしたりするなという姫との約束を破って家人が覗くと、部屋に大蛇がのたくっていた。仰天して騒いでいると、蛇は姿を消した。

話 名 大蛇
資 料 兵庫県民俗資料 通巻1号
場 所 北九州市
要 約 本村の山に昔大蛇がいた。ある猟師が鉄砲で仕留めたが、蛇は死ぬとき「お前の命もあと一年だ」と言い残した。翌年猟師が近くに来た時蛇を仕留めた場所へ行ったところ、白骨となって残っていた。何かのはずみで骨で足を突いたが、それが原因になって猟師は死んだ。

話 名 (俗信)
資 料 民間伝承 8巻7号通巻85号
場 所 福岡県
要 約 蛇を恐れない性質の人をカジハラドンといい、耳たぶの前にくぼみがあって、親指が丸いという。

話 名
資 料 日本随筆大成第二期 1巻
場 所 宗像市
要 約 文政7年6月に、初の浦という所の山に置いていた煙草が何者かに荒らされた。百姓らは獼猴(猿)の仕業と思い、数十人が山に入ったところ、50匹ほどの猿の群れが大蛇のまわりを取り囲んで闘っていた。その猿の口と手には煙草の葉を持っていた。結局蛇は猟師によって始末され、猿は銃声におびえて消えたが、蛇が煙草を嫌うのこと知っていたのだろうと思われた。

話 名 白蛇,(俗信)
資 料 福岡県史 民俗資料編2巻ムラの生活(下)号
場 所 八女郡 黒木町
要 約 帝釈渕の対岸に、水神棚と呼ばれる自然石がある。そこには昔、祠があった。その後ろの断崖には亀裂があり、そこには白蛇が住んでいた。雨が降ると、こちら側の岸に泳いで渡ってきたという。

話 名 竜の鱗
資 料 近畿民俗 通巻49号
場 所 鞍手郡 若宮町
要 約 竜王ヶ滝の傍らにある竜神の祠には、1枚の竜の鱗が祀られている。この鱗は幡随意上人の得た物で、その法孫で浄久寺七世の輪誉上人が3枚のうちの1枚を持って帰ったものである。上人が滝壺に鱗を納めて竜を勧進し、念仏を唱えて雨乞いをしたところ、雨が降ったという。

話 名 神功皇后,住吉大明神,竜宮
資 料 日本随筆大成第二期 12巻
場 所 福岡県
要 約 神功皇后が三韓征伐に向かう際、筑前国香椎において住吉大明神が翁姿で現れて、異国征伐には竜宮の干珠満珠を借りればよいと進言する。神功皇后が借り方を聞いたところ、翁は磯鹿島の安曇磯良という者を召し出し、竜宮に行かせばよいという。この男は細男の舞いを好むので、これを踊れば自らやってくるという。そこで皇后は妹である豊姫と磯良を竜宮に行かせ干珠満珠を借りてきたという。

話 名 山の神,蛇
資 料 民俗採訪 通巻昭和55年度号
場 所 八女郡 星野村
要 約 今から600年ほど前に干ばつがあり、飢饉になった。池の山の神の祟りだろうと祈祷してもらうと、その通りだった。村の若い青年を人身御供にすることになって、ハンニャという青年が選ばれた。9月18日の晩に駕籠に乗せていくと、彼がこの世の別れにとハンニャの舞を舞った。池の竜はそんな舞を舞うなら食べないが、毎年舞って見せてくれと言い、それから風流とはんや舞をするようになった。

話 名
資 料 民具マンスリー 34巻6号
場 所 京都郡 犀川町
要 約 神社の、タケダバンリュウの彫刻の竜が池の水をあふれさせたので、金具で打ちつけた。

話 名
資 料 日本民俗学
場 所 福岡県
要 約 筑前鐘ケ崎の沈鐘は、慶長年間黒田長政がはじめて引き揚げをこころみ、3、4代目の領主も再度企てた。初回は少し動きかけたかと思うと俄かに風雨がおこり、船が砕け人々も大半が溺死した。2回目は天地鳴動し船も人も微塵となり、綱をかけた鐘の龍頭がくだけ大浪が起こって人家や田畑が破壊された。

福岡県の竜蛇(「怪異・妖怪伝承データベース」より)

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