兼高の大蛇退治

門部:日本の竜蛇:近畿:2012.01.17

場所:三重県松阪市山室
収録されているシリーズ:
『日本伝説大系9』(みずうみ書房):「兼高の大蛇退治」
タグ:討伐される竜蛇


伝説の場所
ロード:Googleマップ

神話の世に神々が湖沼を破るといった話のようなスケールはないが、下った世でも里の人々の暮らしのために英雄が竜蛇を討ち取り「人間の土地」を確保するものである。

より現代に近い分、伝説に見える構成とその伝え手の性質の関係などは見て取りやすい。つまり竜蛇討伐の次第と、その土地が治められてきた沿革には少なからず関係があるだろうということだ。大袈裟に法則がどうとかいうわけではないが、その予断が「次に何を調べるか」の方針にはなっていく。

兼高の大蛇退治:要約
昔、山室の里は木々が生い茂り、低地には池沼が多く、雌雄の大蛇がいて折々に人を呑んだ。恐れ逃げ去るものも多く、村は荒れはてた。その頃、式部兼高という武士がおり、大蛇さえ退治したらこの里は豊かになるのだと、一身を投げうって池へ向った。
大蛇の気配を感じた兼高は大木の洞に隠れたが、そのままでは自滅である。兼高は八岐大蛇を退治した素戔鳴命と山室の観世音に一心不乱に祈った。すると、兼高の前に、二人の赤子をくわえた獅子頭が舞い降りた。
そして天からは「獅子頭は大蛇の棲む池へ向う時に必ずかぶれ。その赤子は大蛇の毒であり、呑めば必ず死ぬ。東西の池に一人ずつ投げ入れよ」という声が聞こえた。神の加護に喜び勇む兼高は、東西の池に赤子を投げ入れた。大蛇は兼高のかぶった獅子頭を恐れ、襲っては来なかった。東西の池で雌雄の大蛇がそれぞれ赤子を呑むのを見届けると兼高は帰った。数日たって再び池へ行くと、両方の大蛇とも毒にあたって死んでいた。
こうして四方に散っていた人々も戻り、村は活気を取りもどした。兼高は八雲神社と観音堂を建てて祀り、加護のお礼をしたという。

みずうみ書房『日本伝説大系9』より要約

山室は本居宣長の墓がある所で、その妙楽寺が伝説を伝えてもいる(後述)。八雲神社があるのかどうかは分からなかったが、松阪市市民活動の一環として、この伝説をもとにした獅子舞の無形文化財の申請を目指す云々といった資料もあったので、お祭も行われているようだ。その資料には以下のようにある。

地域には古くから伝わる伝統文化(獅子舞)がありこの獅子舞は、建暦2年に山室式部兼高が八ヶ谷池の悪蛇の退治を村人から依頼されたとき、池より悪蛇を誘き出すため池の堤防で獅子頭をかぶり舞った踊りが今に伝わり云々……

「NPO法人 クローバー」の資料より引用

さて、これは土地を勝ち取る英雄譚ではあるが、このあたりの話の型の違いに注意を払ってみる。中近世の武士の活躍となると、ひたすら武勇で竜蛇を討ち倒す豪傑型と、一念通じて神仏の加護がある信仰型の極があるだろうか。神仏が願いに応えて示した竜蛇の弱点を貫く、というと両方の色合いを持つ。

この差が、伝説の伝え手の傾向を示しているかもしれない。具体的には山室の大蛇退治伝説では、兼高が特に武勇を示しているという訳でもないので、一念が通じた、という寺社の縁起がもとにあるのじゃなかろうかと思う(思った)わけだ。

そしてより鵜の目になって読み返してみると、実際に『大系』資料にも「両龍山縁起(抄録)」の名が見える(内容は省略されているが)。そのようにたどって検索をしてみると両龍山とは、何のことはない本居宣長の墓のある妙楽寺のことのようである。

「両龍」(webブログ「西楽寺だより」)

両龍山扁額
両龍山扁額
リファレンス:西楽寺だより画像使用

予断と言ったらそうなのだが、予断を持つことによって関係事項が目にとまる、という点は重大だ。「寺の縁起か?」という予断を持ったので「両龍山縁起(抄録)」の小さい活字の一行が目にとまるわけなのだ。

そして、その予断が実際の傾向を正しく予測するようになるならば、それは竜蛇の持つ意味を明らかに把握できた事を意味するはずである。捕らぬ狸の(竜蛇の?)皮(鱗?)算用じゃないのかと言われれば、それまでだが。

memo

兼高の大蛇退治 2012.01.17

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