久米田池への文使い

門部:日本の竜蛇:近畿:2012.03.12

場所:大阪府岸和田市池尻
収録されているシリーズ:
『日本伝説大系9』(みずうみ書房):「久米田池への文使い」
タグ:水神の文使い/竜蛇のわたり


伝説の場所
ロード:Googleマップ

水神の文使いの話。この話が大変広く多く語り継がれているのだが、その舞台となる池沼がその土地でも要となるようなものであると、さらに話の奥・周辺への興味がかき立てられることになる。

殊にそれが和泉国の久米田池ともなれば、関連する神々・人びともそうそうたる顔ぶれになる。池を開いたのが行基で手紙を改める僧が空海で……といった具合だ。無論久米田池の伝説自体も興味深いのだが、全国の同系の話のマスタープランとなっているのではないかという面も見逃せない。

久米田池への文使い:要約
昔、久米田池の畔の新在家に想平という正直な男がいた。想平が取右池のあたりを通ると、一人の男が現われ、「村へ帰ったら久米田池の中樋まで行き、そこで三回手を叩いて下さい。そうすれば、女が現われるからこの手紙を渡してください」と頼まれた。
想平が久米田に戻ると、弘法大師が現われ、その手紙を見せるように言った。手紙には想平を呑めと書いてあったので、大師は手紙を書き替えて想平に渡した。想平が中樋で三回手を叩くと池の水が開いて美女が現われ、手紙を読むと労をねぎらいたいのでと想平を龍宮へ誘った。
三日にわたる歓待の後、想平が戻ろうとすると、美女は土産に一個の酢壷を与えた。想平が陸に戻ると、三日と思っていたのが三年の月日が流れていた。さて、もらった酢壷は、空になったら底を三回叩くとまた酢が湧くという家用は酢に事欠かなくなった。
しかし、久しく経ってから美女に禁じられていた「壷の底を覗かないように」という言を破って壷の底を覗いて見ると、一匹の小蛇が居た。この小蛇を見てしまってからは、酢は湧かなくなってしまったので、壷は庭の池に投げ捨てられてしまった。今も新在家の池を酢壷池と言う。(『近畿民俗』五三号)

みずうみ書房『日本伝説大系9』より要約

より土地の語りの臨場感のあるものとしては以下の岸和田市のサイトなど参照されたい。

「酢壷池」(webサイト「岸和田市公式ウェブサイト」)

久米田の池は行基が奈良時代に築造したため池として有名で、畔に建つこれも行基による開基である久米田寺は別名「隆隆池院」といい、池の管理のための寺であったことを示している。

久米田寺
久米田寺
レンタル:Wikipedia画像使用

久米田池の築造に関しては女人蛇体の乙御前の伝説があるのだが(普通は久米田池の伝説と言うとこちら)、これは稿を改めてまとめよう。しかしその乙御前がこの池の主なのであり、「文使い」の話の久米田池の竜宮のヌシも乙御前なのではある。

また、すでに池沼の主に手紙を託かる「文使い伝説」に関しては宮城の「沼神の手紙」にその概略を述べたので参照されたい。今回の久米田池の方も概ね同じ話だというのが分かる。

取石池跡
取石池跡
リファレンス:鈴木商店便り画像使用

〝取右池〟と『大系』にあるのはおそらく〝取石池(とろしのいけ)〟の誤りだろう。取石池は高石市にあった万葉集にも見る池である(昭和に入り消滅)。伝説はその取石池と久米田池の連絡を語っているのだが、一方で久米田池の乙御前は岸和田市加守の兵主神社との連絡も語られる。

兵主神社境内にある長さ四〇米巾六米の小池を蛇淵といって、ここに大蛇が住んでて久米田池との間をゆききしたといわれている。(『岸和田市勢要覧』)

みずうみ書房『日本伝説大系9』より要約

まだ人であった頃の乙御前と、兵主神社より久米田池築造にあたって労役に来ていた伊那麻呂が恋仲であったという話が底にあり、また、久米田池の造築には「土の人形」が携わったという話もあり(「民話の世界」松谷みよ子)、この関係もまことに興味深い。

兵主神社
兵主神社
レンタル:Panoramio画像使用

「兵主神社」(webサイト「延喜式神社の調査」)

ともかく、今回の話の方で重要となるのは、久米田の池はそこを中心に複数の池との連絡伝説を持っている、ということである。四国では満濃池を中心として四国各地の池沼のヌシが関係を持って行くという傾向があるが、これに近いものがあるようにも思える。こうなると一帯の水利を管轄する集団があり、その中で各地の水利権を誰が獲得するのか、という話なのかとすら見える。竜宮からのお土産が「酢壷」というのも同系話の中にあっては著しくささやかな話なのだが、この酢壷が水利権の象徴なのだとすれば「なるほど」とも思える。

各地の文使い伝説に登場する僧が行基や空海であるのも、それぞれの土地にため池を掘っていった聖人の伝説とリンクしているのかもしれない。確かに、久米田池の話が文使い伝説群のマスタープランとして「色々揃っている」感はあるだろう。

しかし、全国の「文使い」の話では到底そういった枠組みにはおさまらぬ遠方とのやり取りもあり、また、人の通わぬ山奥の沼であることもありと、水利権でみな説明しようとしても難しい。これが、この伝説の型が広まる過程で別の系が巻き込まれていったのか、あるいはより深いマスタープランがあるということなのかは現状分からないが、そうであっても一部でも同一の理で明快に説明できるものが各地にあるということになれば大きな前進である。

まずは、この久米田の伝説がなるほど水利権と関係ありそうだという所まで調べてみることが出来るかどうかだろう。そうであったら他のある土地の文使い伝説ないし竜蛇のわたりの伝説を見ていく上での指標が得られるように思う。

もっともそうなるとそれぞれの土地の歴史の詳細を見渡さねばならないということになるので、なかなかに根気のいる話ともなるのだけれど。

memo

久米田池への文使い 2012.03.12

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