笠谷の七軒家
門部:日本の竜蛇:近畿:2012.01.15
場所:兵庫県養父市大屋町笠谷
収録されているシリーズ:
『日本伝説大系8』(みずうみ書房):「笠谷の七軒家」
タグ:竜蛇の昇天/湖を破る神
伝説の場所
ロード:Googleマップ
「海に千年、山に千年」と生きながらえた蛇は昇天して竜になる、という話は相当に膾炙していて、その瞬間を語り継いだ伝説も多い。もっとも簡略化されて大概は「山の淵に千年生きたので、海に下って昇天しようと思う」と蛇は宣言するのだが。
笠谷の七軒家:引用
昔、笠谷の庄屋が寝ていると、枕元に美人が現われて、この奥に住む蛇体だが、千年の功を積んだので大雨を降らせて、大川に流れ出るつもりだが、村の端の橋が邪魔なので、一日だけ撤去してくれと頼んだ。
ところが、村人は沢山の梨の木を集め、杭を作って、竜が潜んでいると言われる場所の周囲に打ち回した。数日後に、村の主だった者の枕元に、かの美人が現われ、お前たちの命は三年を待たずに貰い受けて、末代までも笠谷は七軒以上にふやさないと言って去った。
それ以来、千軒あった家は七軒になったが、その残った七軒はそれぞれ竜の脱出に協力しようと言った人たちの子孫だという。(『兵庫県の秘境』)
笠谷のある大屋町の山間
レンタル:Panoramio:画像使用
同系の話では蛇封じをする際は鉄の杭を打つというものが多いが、梨の木も苦手とするようだ。同稿の類話では「蛇は梨の木に触れると体が腐るので」ともある。
バリエーションは全国で見れば様々で、まず前半はこの様に村の壊滅を避けるために封じるものと、そもそも大蛇がすでに水神として村に富をもたらす存在となっており、逃がしてなるものか、となるものに大別されるだろうか。「まんが日本昔ばなし」に収録された能登の類話「梨山の大蛇」は後者だった。
蛇が出て行けない理由としては御神木が経路にあるから、というものもある。この場合御神木が今尚健在であることが普通なので(御神木の神威の話となる)、つまり大蛇はいまだに海に出られないでいる、ということになるか。
最後は邪魔した人々に厄がもたらされるものと、協力した人に富がもたらされるものの別がある。笠谷の話は壊滅の方が強調された話と言えるだろう。この点に関しては少し補足しておきたい。
近郷八鹿町の方の類話では杭で封じられるものの、蛇は怒りくるって封を破り、谷すじ一面泥の海にして下り去ったという。この話の後日談が興味深いので引いておこう。
村人たちはこのうらみをはらすために、旧暦の八月一日に、太さはこどもの胴ぐらい、長さは五十メートルもある縄をない、大蛇にみたてて村中の人がひき合ってひきちぎる行事をおこなうことにした。首尾よく縄がちぎれたら、大蛇を退治したことになる。(『郷土の民話』但馬篇)
豊岡市の方では「五社明神の国造り」といって、神々が一面の沼だった土地のヌシの大蛇を引きちぎり、泥海を干拓した話がある。それにならって藁の大蛇で「綱引き千切り」をする、「えんたびき」という祭があったそうな(この話は別稿にまとめる)。
これは旧暦八月の八朔の祭だったようだが、今はもうないそうな(五月菖蒲の蛇綱引きはあるようだが)。残念だが致し方ない。しかし、湖を破る話と蛇が昇天する話というのはどうも近隣にあるもののようだ。少なくとも但馬の地ではその類似を追うことができそうである。
▶「但馬久谷の菖蒲綱引き」(webサイト「文化遺産オンライン」)
memo
関係あるかどうか分からないが、笠谷の東南東の「御祓山」山頂は、式内:御井神社の元地である。御井神社には、「往古、この地が泥海であった頃、神船が行方不明となり、諸神が松明をかかげて捜索した」という伝説があるという。これは泥海を陸地にしようとした、という伝説で、やはり五社明神の話と繋がるものがある。
笠谷の七軒家 2012.01.15