釘付の竜

門部:日本の竜蛇:関東:2012.01.13

場所:埼玉県さいたま市緑区:大門神社
収録されているシリーズ:
『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店):「釘付の竜」
タグ:封じられる竜蛇の像/竜蛇と〝左〟


伝説の場所
ロード:Googleマップ

寺社の蟇股などに彫られている木彫りの竜は、その出来が良過ぎると時として「抜け出して」悪さをする。人を驚かせるくらいならまだしも、洪水を起すことまであるというのだからたまったものではない。

中には抜け出したところを和尚さんに見つかり叱りとばされビックリしたので以後出なくなる、などという小心な竜もいるにはいるが、大概はその本体の木像が切り分けられたり目に五寸釘を打ち込まれるなどして封じられる顛末となる。

さて、身も蓋もない話だが、伝説というのは大概「前後を逆転させる」ことによりその結構となっているものだ。動き出す木彫りなどない。その竜は「打ち封じられるために彫られた」のである。抜け出す木彫りの竜の話はこの逆転の流れを見るのにちょうど良い。特に分かりやすい例を紹介しよう。

釘付の竜:引用
むかし、この神社の裏の池に、雌雄の竜がすんでいた。竜が田んぼに姿を現すとその年は必ず大洪水がおこり、農民は大変苦境にたたされた。そこで神官や名主たちが相談した結果、竜が池の外に出ないように毎年七月二十七日には、池の周囲に酒肴をそなえて供養した。
しかしこの方法はまったく効果がなかった。そんなある日、左甚五郎が日光参詣の途中、この地に泊まってこの竜の話を聞き知った。せわになったお礼のしるしにと、村人のために竜の彫刻をし、拝殿に取りつけてから頭、胴、尾の三か所を五寸釘で打ちつけ、封じ込めのまじないをした。以後、竜も出ないし、洪水の災難もなくなったといわれている。すっかり平和を取りもどした村は、再び静かな暮らしをつづけてきたのだという。

角川書店『日本の伝説18 埼玉の伝説』より引用

愛宕神社
愛宕神社
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この伝説の神社は同書では愛宕神社とあるが、今は大門の「大門神社」の境内社となっている愛宕神社のようだ。大門神社そのものの拝殿木彫りの竜が左甚五郎作の「釘付の竜」なのだと記述しているところもあるが、現在も境内社愛宕神社の御本殿の竜像がこの甚五郎の竜である。

甚五郎の竜
甚五郎の竜
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そして、西北西に2.6kmほどの所の曹洞宗の古刹・国昌寺の山門の竜にも、竜の木像は左甚五郎の作で、見沼が溢れると抜け出してのたうち回るので和尚に太い釘を打ち込まれ、以降抜け出さなくなった、という話が伝わる。

国昌寺山門の竜
国昌寺山門の竜
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通例は後者の国昌寺の伝説のように「抜け出すので打ちつけた」という話となっている。しかし、その本質は前者、コントロールできない自然の猛威に竜・さらには竜の木彫りという形象を与え、仮想的にコントロールできるようにする……即ち呪術としての式次第を語る愛宕神社の話にあると言えるだろう。

そもそも現代では工芸品・装飾美術品としてとらえられる木造・石造物たちは、このような呪術を行うための対象であった。無論それを造る匠たちも呪術者としての側面を持っていたのだ。全国で左甚五郎(そう、左利きの「左」のコードが語られているのだ)が彫ったというあれやこれやが動き出すのも無理からぬことである。そういった一面を見るためにもこの愛宕神社の竜の木彫りの伝説は良い話だと思う。

memo

国昌寺「開かずの山門」
国昌寺「開かずの山門」
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ところで国昌寺の方の竜にちょっと気になる逸話が付随しているのであげておこう。付随というより国昌寺の伝説はこの話がむしろメインである。

昔、寺の檀家の葬列が、この門をくぐったとたん、棺の中の仏様が消えてもぬけのからになっていた。原因は左甚五郎の作った山門の竜が喰ってしまったからだ。これでは困るということから、山門を閉鎖して、絶対に開けないのだという。

角川書店『日本の伝説18 埼玉の伝説』より引用

この話が竜蛇と葬儀の関係にどう影響するのかなどにわかには何とも言えないが、気に留めておきたい。

釘付の竜 2012.01.13

関東地方: