信達湖水伝説

門部:日本の竜蛇:北海道・東北:2012.01.10

場所:福島県福島市信達盆地
収録されているシリーズ:
『日本伝説大系3』(みずうみ書房):「信達湖水伝説」
タグ:湖を破る神/討伐される竜蛇/竜蛇と地勢の変化


伝説の場所
ロード:Googleマップ

神が湖水を切開き、広大な平野をもたらした。この九州から東北まで広がる伝説には竜蛇がつきものである。そもそも彼らが伝説の大湖のヌシなのだ。しかし、この伝説の系統は大変特異な神祀りの側面を持つものだと思う。

実際にそのような大湖があったのか、という点が問題となるのだが、私は「なかった」と考える。「なかった」からこの伝説が必要だったのだ、と。そして、そうであるならばそこに登場する竜蛇もまた他のヌシたちとは少し位相の異なる存在となるのだ。

信達湖水伝説:要約
太古、有史以前のことだろう。信達平野は一個渺茫たる湖水であった。四方の山々から落ちる流れは皆落ち合って、漫々たる湖水は貝田の山を打ち越えて東の海に注いだと言われている。信夫山は湖中の島で、昔は吹島と云ったが、それは風の強いところだからその名だったという
信夫山には羽黒山神社が祀られている。当時風浪の激しい時は、参詣人が湖を渡ることができないために対岸から遥拝して帰ったという。その地を後に伏拝村と名づけた。
古老の云うことに、昔、湖水に一頭の大蛇が棲んでいた。其処へ現われた水熊のために敗北して東方の山を擘いて逃れた。それがために湖水の水が洩れて陸になった、と。
一説には、大蛇を打ち負かして湖を占有した水熊が暴れ回るのに困った民が、東征の帰途の日本武尊に退治を願ったともいう。この際、熊が水底深く隠れ現われなくなったので、舟に勇士と官女を乗せ管弦の楽を奏させ、熊をおびき出して射止めたそうな。
その熊は伏拝村に上って死んだが、三日間雷鳴が鳴り止まなかったという。また一説には、尊が熊の姿を見現わさんために猿跳を切開き湖水の水を落し、そして尊は信夫山の南端から水面を望み、黒岩のあたりから現われ出た熊を射殺したという。(『信達民譚集』)

みずうみ書房『日本伝説大系3』より要約

類話では「水熊(玄熊とも)」が登場しないものもある。手に負えない大蛇がおり、ちょうどここへ巡幸されていた欽明天皇が管弦を奏させ大蛇をおびき出して、帝自ら射倒したともいう。

また、要約では省いたが、全体的に地名の由来を語る伝説でもあり、何故内地の盆地に水場の地名が多いのか、を説明する筋にもなっている。仙台街道「越河」の駅名、土船村(「着船」だったという)、「舟生村」、そもそも「福島」、「腰浜」、「五十磯辺」、「名倉」も波打つ波頭をナグラと言ったのだという。この様な地名が分布するのは湖だったからだ、という筋だ。

しかし、地学の方からは、そのような大湖があった可能性はまったくない、という見解が出ている。私にはその妥当性は分からないが、まともに取り合うのもバカバカしい、といった感じなので、そのような痕跡はまったくないのだろう。

さて、はたして信達の湖水が虚構だったとしても、水にまつわる地名の分布は現実である。これは一体どういうことなのか。私はこれは海人族が内地へ移住する際の一つの定式だったのだと思う。海人族が奉祀するのは海神だ。内陸の盆地に海神はいない。

そこで「この盆地はかつて海と言って良い湖水だった」という神話を語り、水にちなんだ地名を付することによって、海神の守護のあった(海神を祀ることのできる)土地へと、その性質をバーチャルに書き替えたのではないか。いわば土地への〝呪〟である。

土地の概念的テラフォーミングと言っても良いだろう。あるいはこの伝説の系譜は、「湖などなかったことは確実だ」とされるところにあってこそ重要な話なのではないかと思う。

そして、そうであるならば、ここに見る竜蛇とは地勢へのイメージにより生み出された他の竜蛇たちとは異なり、「地勢に〝持たせたかった〟イメージにより生み出された」竜蛇である、ということになる。この視点は先へ行って竜蛇たちの性質に大きな区分をもたらすかもしれない。

memo

黒沼神社(福島市))
黒沼神社(福島市)
リファレンス:昭和のラビット、花を愛し山を歩く画像使用

ところでこの信達湖のヌシの大蛇は、今も祀られている。信夫山の「黒沼神社」がそうである(式内:黒沼神社論社)。ここの黒沼大神が、大蛇だというのだ。

「黒沼神社(福島市)」(webサイト「玄松子の記憶」)

御祭神として欽明天皇の后・石姫皇后を祀るとあるので、先の大蛇を欽明天皇が射倒したという伝系が関係するのだろう。

鳥居に大草鞋が掛けられているのが目につくが、この点に関して少し補足をしておこう。湖の干拓伝説には、一方で巨人伝説の影がある。信達湖も「鬼がたんがら(籠でできた運搬具)を背負って、吾妻山から土を運んで湖水を埋めようとした」という伝説がある(『日本伝説大系』の類話に収録)。二背負いしたところで夜が明けてしまったので鬼は消え、その時運んだ土の分が信夫山なのだそうな。鬼と言うか巨人であろう。おそらく大草鞋の奉納はこの伝説と関係があるのだと思う。

信達湖水伝説 2012.01.10

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