宮城県の竜蛇

門部:日本の竜蛇:「怪異・妖怪伝承データベース」より

話 名 ヌシ(俗信)
資 料 なら 通巻4号
場 所 宮城県気仙沼市
要 約 古池や淵には主がいる。土蔵などにも主がいる。水の主は大魚や鰻、そして亀などであり、蔵のほうの主は、蛇である。

話 名 大蛇
資 料 民俗学 3巻11号
場 所 柴田郡川崎村
要 約 嫁のもとへ、夫の留守中、毎晩間男が来た。間男の首者に糸をつけてたどると窟穴に入り、そこでは大蛇と小蛇が話していた。小蛇があの娘は俺の子を孕むから死ぬだろうと言うと、大蛇は、人間は賢くて桃酒を飲むから駄目だと言った。それで3月3日には桃の酒を飲む。

話 名 ジンベイサマ
資 料 島 通巻昭和九年前期号
場 所 宮城県
要 約 ジンベイサマは金華山沖で見られるという海の怪物である。ジンベイサマは大きく、出た時は鰹が大漁だという。同じく大きな海の怪物に、瀬戸内海のメツソウがある。蛇のような形で際限もなく船べりを越えていき、末には船が沈んでしまうという。

話 名 大蛇
資 料 ドルメン 3巻11号
場 所 本吉郡
要 約 鉄砲名人の男が大蛇を撃った。すると洪水となって大蛇は山に逃げて行った。この男の一族は祟りにあって左目が悪いという。そして山には登ってはならない。

話 名 猿,蛇,引く
資 料 宮城縣史 民俗2
場 所 宮城県
要 約 猿・蛇・引く、などの言葉を忌み、これらの言葉を聞くと不漁になるという。

話 名 山達
資 料 宮城縣史 民俗2
場 所 宮城県
要 約 貞観元年(859)、上野国の赤城明神と日光山二荒大権現の神々が戦争を始めた。二荒の神は日光山麓に住む弓矢の名人、万三郎為信に赤城明神を討つことを命じた。万三郎は大蛇となった赤城明神を討ち取り、以来万三郎はマタギの神として崇められ、マタギの先祖であると伝えられるようになった。

話 名 ダンゴ
資 料 宮城縣史 民俗2
場 所 宮城県
要 約 正月十四日に神棚に供える団子木(ミズキ)の団子(紅白の切り餅)を懐中に持って歩くと、山中で蛇やマムシに咬まれないという。

話 名 蟻,尺取虫,油虫など(昆虫に関する俗信)
資 料 宮城縣史 民俗2
場 所 宮城県
要 約 蟻が働くと雨。尺取虫に上体を這われると凶である。油虫が高い所についている時は大雪。クモが室内に下りてくれば来客がある。朝グモが来ればその日一日客が多く、商家では大黒様に供える。蛇が自分の前を右から左に横切れば金が入る、など。

話 名 (漁業に関する禁忌)
資 料 宮城縣史 民俗2
場 所 宮城県
要 約 正月16日には出漁しない。漁業に蛇・猿は禁忌である。釣竿を女性に跨がせてはならない。海上で金物を落とせば不漁、などの禁忌がある。

話 名 蛇の皮
資 料 宮城縣史 民俗2
場 所 宮城県
要 約 蛇の皮を妊婦の腹帯の中に入れ、棟上の祝い餅を出産間近に食べさせるということも安産祈願の呪として行われた。

話 名 (動物に関する呪法)
資 料 宮城縣史 民俗2
場 所 宮城県
要 約 鼬(イタチ)の鳴き声を聞いたら赤飯を炊く、殺した蛇の腹を上にしておくと雨が降る、亀に酒を飲ませて放すと大漁になる、などといわれる。

話 名
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 宮城県
要 約 妊婦が蛇を見てはならないという忌が多いと言う。

話 名 菖蒲湯
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 村田町
要 約 鬼に追いかけられたが、菖蒲の茂みに隠れて助かることが出来た。また昔ある女性が蛇の子供を孕んだが、蛇は菖蒲の匂いが嫌いだと聞き、菖蒲を煎じて飲んで子供をおろしたという。

話 名 藤,大蛇,蛇藤,日本武尊,源頼義
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 柴田郡村田町
要 約 白鳥神社の祭神は日本武尊。境内に、今も二条の大藤がからみつく大欅がある。源頼義父子は前九年の役に際してこの境内に宿陣し、夢に祭神が現れ大勝した。戦いの初め、官軍が苦戦した時、この藤が二頭の大蛇となって敵を敗走させたという。

話 名 樅,白蛇,法運寺
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市連坊小路
要 約 境内の東側にあった、当時の仙台市内第一の巨木で、樹上に落雷の痕があって刈り込みのようなかたちであった。深沼の漁船の目標として知られ、木の空洞に白蛇が住んでいた。大正初めに枯死。

話 名 刈安草,坂上田村麻呂
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 宮城郡利府町
要 約 坂上田村麻呂の母、阿久玉御前が産をするとき、のぞかぬようにという約束を破って父の刈田麻呂がのぞくと、阿久玉御前は大蛇の姿になって横たわっていて、血の中に田村麻呂が生まれていた。阿久玉御前の血がかかって染まったので、刈安草の茎が赤いのだという。

話 名 長沼の唐戸岩,大蛇,節句,機の音
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 登米郡追町
要 約 娘の姿で沼のヌシの大蛇が現れる。機の音が節句の日に聞こえる。

話 名 抑の池,大蛇,人身御供
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 古川市大崎
要 約 陸羽東線東大崎駅の北に昔大沼があって、ヌシの大蛇が年々人身御供に美女をとっていた。ある年選ばれた娘が数十の瓢箪と千本の針を持参して、瓢箪を沈め針を浮かばせたら喜んで身を捧げようといった。大蛇は娘の言うとおりにしようとしたが精根尽き果てて死に、以来人身御供は不必要となった。大蛇の死体の頭があったところを横枕、尾のところを尾ノ崎、死体を焼いたところを灰塚という。

話 名 猫塚,蛇塚
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市若林区
要 約 この辺りに住んでいた侍の飼猫が、妻の裾にからみついてはなれないので、侍が猫の首を斬ると天井に飛ぶ。見ると、大蛇ののどに噛み付いていた。飼い主の危険を知らせるためだったとわかり、猫を手厚く葬った。今は大杉神社の祠が立つ。妻をねらった大蛇を三つに切って埋めた塚が蛇塚。猫塚の北の道端にあった。

話 名 蛇体番山
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市青葉区
要 約 雨乞いをするとき、この村では藁で大きな蛇体を作り、中に生きている蛇や蟇をつめ、番山にかついで行って祈祷した。下愛子の諏訪神社近くの蛇体原は、代々ワラの大蛇を作ったところ。番山には、東番山、中番山、西番山の3つの峰があり、西番山は雨乞いをしたので蛇体番山という。長雨が続く時は、中番山の北側山中にある黒滝不動に行ってワラの大蛇を納めると雨がやむという。

話 名 大蛇
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 宮城郡七ヶ浜町
要 約 館崎は、花渕岬の城跡で、留守氏の臣花渕紀伊が住んでいた。紀伊があるとき助けた傷ついた大蛇が、報恩のため女に化け、使っても尽きない光絹と昆布苗を贈る。菖蒲田の北の諏訪明神は紀伊が大蛇を祀った所という。子孫がのちに水沢に移り、蝮の咬傷に効くという蛇除護符を伝える。また、「一女子、女陰に蛇入り花渕氏に到るに、門を入れば蛇忽ち走り出づ」とある。

話 名 蛇地蔵
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 気仙沼市小林寺山
要 約 近くの化粧坂に機を織って暮らしていた母と娘に、ある夜美しい若者が訪ねてくる。若者が足繁く通ってくるので、娘は母のいいつけで男の裾に糸をつけた針を刺し、翌朝糸を手繰って行くと穴に入る。村人を呼んで掘ると白蛇が現れたので打ち殺し、供養に地蔵を建てた。

話 名 舞野観音
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 黒川郡大和町
要 約 昔ここにあった大沼に大蛇がすみ、人に害を加えていたのを大同2年(807)坂上田村麻呂が退治し、その死体を埋めた上に観音像を安置し、法楽の舞を奉納したので舞野という。

話 名 志賀の薬師
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 岩沼市志賀
要 約 貞観2年(861)慈覚大師開基のとき、飛騨工匠が村人に一夜で堂を建ててみせるという。村人が夜明け前に鶏の啼く真似をしたので、工匠は天井板一枚張りかねて立ち去った。堂前の坂の中ごろにある蛇石は、材木を運んだ牛が転んで石に化したという。堂に狩野法眼元信の絵馬に手綱が描かれていないので、絵馬から抜け出して畑を荒らしたため、元信に頼み手綱を描き加えてもらったという。

話 名 吉成の弁天,白蛇
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市青葉区
要 約 元禄10年(1697)、四代藩主綱村が造営した黄檗宗臨済院の境内にあり、この本尊は奥郡から移したという。堂の周囲にマムシが多く、弁天さんに口を切ってもらった蝮で、人に咬み付いても毒がまわらないといわれ、時には白蛇が現れることもあった。

話 名 大門坊東光院,道成寺,安達ヶ原
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 角田市金津
要 約 本山派修験道で、平安時代白河にあり、のち仙台に移り大先達となる。藩政時代は清水小路五橋西南角に屋敷があった。三世安珍は延長6年(928)8月、27歳のとき紀州道成寺に修行に赴き、真奈古の庄司の娘清姫に恋慕され、日高川を越えて逃れようとしたが、清姫は大蛇と化して追い、安珍は道成寺の鐘の中に隠れたが取り殺される。それ以来東光院では歴代27歳の修行を禁じたという。また祐慶の代、熊野にいたり那智山に捨身一千日の行を修して帰ったのち、安達ヶ原の黒塚に住む鬼女を調伏したという。今も子孫は金津に残り、鬼女の頭蓋骨といわれるものを蔵する。

話 名 山ノ寺洞雲寺
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市泉区
要 約 弘仁年中(810~823)、慈覚大師が中興し、山ノ寺という。利府の阿久玉御前の子である田村麻呂が、少年時代に宝亀年中(770~781)に学問を学んだ寺。弘仁年中(810~824)慈覚大師が中興して山ノ寺という。享保年中(1716~1735)、輪王寺前住牷沓和尚が復興し、大伽藍となる。僧定恵が書いた輪が広がってそれだけの土地を貸すことになってしまった夫婦の話、女とその懸想した相手が大蛇となって人々を苦しめた顛末、などが伝わる。

話 名 山ノ寺洞雲寺,大蛇
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市泉区
要 約 天長年中(824~833)、村の長者勘新太の妻普美子が寺の美童竹阿に懸想し、思い叶わず大蛇となって村も寺も灰と化した。竹阿も寺の池に入って大蛇と化し、雌雄とも門前の川に潜んで旅人を害したという。

話 名 山ノ寺洞雲寺,大蛇,白狐
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市泉区
要 約 女とその懸想した男が大蛇となってから500年経た暦応元年(1338)、加州金沢の大乗寺三世明峯素哲禅師が陸奥に弘教し、岩沼竹駒神社の初午に参詣した時、老翁からこの話を聞き、その案内で大菅谷保の藤左衛門の家に泊った。翌未明山ノ寺の南の丘に登って大蛇の棲む寺跡の湖水を見、7日の間祈祷したのち一喝して杖を投ずると2頭の大蛇が現れて逃げ去る。そのとき白狐が飛び出して禅師に感謝し、永く寺の守護を約する。禅師が祈祷した地に寺を建て実相寺という。

話 名 青大将
資 料 民俗採訪 通巻昭和34年度号
場 所 黒川郡大和町
要 約 母子二人暮しの家に、毎夜青大将が来て、タラバチの周りで頭を上げる。不思議に思っていると母が妊娠した。なかなか産まれないので産婆が「人間の子供ではないらしい」といって水鏡をして鉦を鳴らすと、蛇の子供がべろべろ産まれた。

話 名 山ノ寺洞雲寺,大蛇
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市泉区
要 約 応永7年(1400)梅国祥三和尚が再興したとき、若い夫婦が毎朝寺に勤めて夕方帰ってゆく。ある日二人は和尚に、雌雄の大蛇であると告白。解脱が出来たことを謝し、大蛇の牙2本ずつを贈り上天する。

話 名
資 料 西郊民俗 通巻24号
場 所 香具郡
要 約 蛇を指差すと指が腐る。

話 名 金蛇水神社
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 岩沼市三色吉
要 約 三条小鍛冶宗近は、一条天皇の勅命を蒙って小狐丸の宝剣を鍛えるため陸奥に下り、ここに住んで剣をきたえたが、蛙の声に妨げられて一心不乱になれなかったので、鉄で雌雄の蛇をつくったところ蛙が鳴かなくなった。もともと水神の社で、弁財天を祀り、賽銭を断りなしに借りていって資本にすると必ず成功するといわれる。神様から借りるため、踏み倒した者はいない。境内に鉄の鋳屑が出土し、宗近が用いた池もある。

話 名 大蛇
資 料 常民 7号
場 所 玉造郡鳴子町
要 約 ケチな男が飯食わぬ嫁をもらったが、大蛇だった。男は大蛇に追われ、蓬と菖蒲の間に隠れてやりすごした。端午の節句の菖蒲湯と屋根に菖蒲・蓬・茅をさす由来。

話 名 甕の宮
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市泉区
要 約 昔、仙台元鍛冶丁の熊谷という侍屋敷に高さ三尺ほどの甕を祀った祠があり、甕の宮とも御瓶明神ともいった。熊谷氏の先祖が伊達郡梁川に伊達家の家臣としていたころ、邸内に降ってきたといい、素盞鳴尊が八岐の大蛇を退治した時の8つの酒甕のうち、6つは海中に沈み、2つ残ったうちの1つという。ある時、藩主が一見したいと仙台城へ運んだが、登城口の扇坂で何十人の力でも動かなくなり、殿が「天が熊谷に授けたものゆえ他所へは行かぬと見える、早々に返せ」といったら急に軽くなったという。

話 名
資 料 近畿民俗 通巻49号
場 所 宮城郡七北田村
要 約 ある僧が他人の妻女と通じ、その罪によって女と共に蛇身となり池に住んでいた。応永年間、梅国和尚のもとに2匹の蛇が現れて教化を乞うた。和尚は菩薩戒の血脈を授け、号を与えたら、男女の蛇とも牙を献じて去ったという。

話 名 十宮
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 黒川郡富谷町
要 約 昔、富谷の長者の娘へ夜な夜な通う美しい若殿があって娘はみもちになる。ある日娘が蛇に呑まれかけている蛙を助けてやると、その蛙が恩返しのため易者に化けて娘を訪ね、「毎夜通ってくる男は蛇だから、今夜着たら着物の裾に針を刺しておけ」と教える。娘は易者に教えられたとおり針を刺し、翌朝糸を手繰ると、近くの山の大杉のゴラ穴に入った。そのとき杉の木にとまっていた1羽の鴻の鳥が穴から蛇を引き出して十切れに噛みちぎって殺した。村の人は祟られないように一切れずつ十の宮を作って祀り、これを十宮と称したのがのちに富谷となった。娘は身重を恥じて川へ身投げして死ぬ。今も娘の名をとってそこをおまさ渕という。

話 名
資 料 民俗採訪 昭和48年度号
場 所 栗原郡花山村
要 約 蛇を殺すと祟りがある。屋敷から蛇がいなくなると財産が減る。

話 名 三本辻
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 宮城県
要 約 昔、兄弟三人がいた。一郎治は長男で少しこったんなかった(馬鹿だった)。次郎治はおとなしくて心持がよく、三郎治は一番気が強かった。一郎治が20、次郎治が18、三郎治が16のとき、父が「3年暇をやるからそれぞれ出世して帰って来い」といった。一郎治は人語を話すぶっ欠けお椀と組んで泥棒の名人に、次郎治は拾ったへらこ(これも人語を話す)でお姫様の病気を治してその婿となり、三郎治は偶然に大蛇を退治して殿様に喜ばれ、さむらいとなって悪者を退治する役につけられた。3年め、明日は故郷へ戻るという日、長者の家に泥棒が入り、三郎治が探索して汚い泥棒を捕まえるとそれは一郎治であり、訴人であった長者の婿は次郎治だった。早速故郷から早やかごで呼び寄せられた父は大いに驚いた。

話 名 蛇,田村将軍
資 料 民俗採訪 昭和48年度号
場 所 栗原郡花山村
要 約 島流しにされた田村将軍が、女に化けた蛇との間に子どもを作った。

話 名 蛇と蛙
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 宮城県
要 約 薬売りがある晩、田んぼ道を急いでいると、1匹の大蛇がビッキ(蛙)を今にも呑もうとしていたので、「そのビッキを逃がしてやったら俺のオガダ(嫁)にしてやる」というと蛇はビッキを放した。3日ほどあと、17,8の美しい娘が薬売りの寝所に来て「あなたのオガダになるから側に寝させてくれ」と裸になって床に入ってきた。次の晩から毎晩同じ時間にやってきて、だんだん薬売りはやせていった。ご祈祷しても治らず困っていたところ、ある夜少し年取った女がきて、「わたしは助けてもらったビッキだが、今夜あの娘がきたら、今自分は病気で苦しい、それを治すために辰巳の方角の山にある大きな木のワシの卵をとってきてくれ、と言え」と話して去る。薬売りがそのとおりに言うと、娘は蛇となり木に登り卵をとろうとしたが、枝が折れて下に落ちていくところを大ワシが飛んできて蛇の目をついて殺した。それで薬売りの病気は治ったが、蛇は執念深いものだということだ。

話 名
資 料 民俗採訪 昭和48年度号
場 所 栗原郡花山村
要 約 赤子が蛇に呑まれそうになったところを、雷様が助けてくれた。その赤子の家は金持ちになった。

話 名 金華山祭の前夜
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 石巻市鮎川浜
要 約 五月初巳の大祭前夜,網地島の姉神が大蛇(竜蛇)となって潮を噴きながら真夜中に妹神の金華山を手伝いに泳いで行く。これを実際に見た人もあるといい,見た人は必ず変死するといわれている。ほかに「カザアナの蛇」「仙人沢の蛇」の怪異あり。

話 名 首塚様,蛇
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 1500年ごろのこと。キリシタンの坊主が川原で殺されて、その首が小泉川を逆流して岩に噛み付いた。それを祀ったのが首塚様。和尚の数珠は蛇になって川を流れ、熊ん堂淵に沈んだ。

話 名 蛇の祟り
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市宮城野区
要 約 昔おがら町(東八番丁)に早瀬という侍が住んでいた。ある時同家の厠に大きい蛇が這いこんできたので家人や若党たちが手に手に獲物を持って散々に打ち苛んだ。半殺しにされた蛇は柱を二巻きほどして上に昇ろうとしたが力尽きて死んでしまった。それから早瀬家には妻の死児難産,主人の乱心と投身自殺,家人の病気などの凶事が次々起こったので巫女に拝んでもらったところ,殺された蛇の霊が出て「いくら加持祈祷されても早瀬の家には七代祟ってやる」というのであった。明治時代,私(田夏氏か)の母の実家の隣家にこの早瀬家の子孫の老婆が寄寓していてその愚痴話を聞いたということである。

話 名
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 田束山の大島神社は昔は十峰神社といい、蛇の頭だという。志津川のサタリが左足、歌津のナタリが右足、オサキというのが尾だと言う。

話 名 猫塚
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市若林区
要 約 昔,この近くに住んでいた侍の飼い猫が,妻女が厠に行く度裾にまつわりついて離れなかった。仇をなすものと思って侍が猫の首を斬ると,首が天井の方に飛び上がったので見てみると,小窓から這いこんできて下を狙っている蛇の喉元に噛み付いていた。飼い主に危険を知らせようとしたことがわかり,厚く葬ってやった。元の伊達家邸内(現ウルスラ学院構内)の南にあった「猫塚」がそれである。以前はその近くに蛇の骸を埋めた蛇塚もあったという。

話 名 蛇の王様
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 熊ん堂の川は深くて、蛇の王様が棲んでいるという。

話 名 主人を守った猫
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 角田市佐倉
要 約 昔,梶賀村半沢某の可愛がっていた飼い猫が裾を加えて離さなかったので,主人が怒って刀で猫を斬った。すると猫の首が飛んで,厠の小窓から入ってきた毒蛇に噛み付いてこれを殺した。主人は初めて猫の忠義を知り,手厚く葬り祠を建てて祀った。猫神社(ネコカミサン)として今も残っている。

話 名 大蛇
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 田束山で三菜を採っていると、大蛇が現れて頭をもたげて舌を出した。蛇は煙草が苦手だと思い出して煙草を吸ったら、蛇は逃げていった。山仕事には煙草を必ず持っていかなくてはいけない。

話 名 蟒蛇の秘伝,(恩返し)
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 宮城県
要 約 天保乙巳正月21日,国分村の忠治に聞いた話。ある年,仙台藩支封留守家の家臣花渕善兵衛が海路江戸に行くことになった。藤塚浜の沖で異様な咆哮が聞こえたので,善兵衛は船を岸に着けさせ,単身葭原の谷地を押し分けて行った。湿地に蟒蛇が苦しみうめいており,咽喉の辺りをひどく腫らしていたので,豪胆な善兵衛が手当てをしてやると蟒蛇は嬉しそうに谷地の奥に這い込んで行った。その後,助けてやった蟒蛇が女の姿になって善兵衛の夢に現れ,毒蛇に咬まれない護符と,咬まれた時の治療の秘法を授けてくれた。但し一子相伝で他に漏らしてはいけないという。大変効き目があり,近郷近在の評判になった。咬みついた蝮を叱るとこそこそ逃げて死んだようになり,また花渕と書いた紙片をかぶせると動かなくなったという。子孫は代々善兵衛を称し,水沢に住んで留守家に仕えた。

話 名 大蛇
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 船で海に出た人が、沖の方で大きな音がするので鯨かと思って見たら、大きな蛇だった。櫓を櫂に変えれば蛇は恐れるときいていたので櫂を持ったら蛇は逃げたが、大蛇の起こした波でクガサマ山まで船が行ってしまった。

話 名 蛇の子を産む
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 刈田郡蔵王町
要 約 昔,この地方に母娘が二人で住んでいた。毎晩のように娘のもとに美男の若衆が忍んで来るが,何処の誰かわからない。どうも化生のものらしい。母の言葉に従ってこっそり長い糸を針で袴の裾に縫い付け,翌朝二人で糸を辿っていった。糸は裏山の大木の所まで続いており,根元の穴から呻き声と「俺が死んでも,子供を千疋つくったから未練はない」という言葉が聞こえた。驚いた母娘が和尚の教えに従い,菖蒲と蓬の湯を沸かして娘を入浴させると,娘の体から千疋の子蛇が出てきた。若衆は蛇の正体を現して死んでいたという。

話 名 オカバミ,大蛇
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 蚕にやる葉を山に採りに行ったら、5尺(150㎝)もあるオカバミが出た。大蛇は煙草が苦手だと聞いていたので煙草を吸うと、オカバミはいなくなってしまった。

話 名 蛇屋敷
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 亘理郡亘理町
要 約 昔,金持だが吝嗇な男がいた。乞食に米を与えるのを惜しみ,その分を俵に貯えておいたが,一年くらい過ぎたある日俵を開けてみると,米は皆蛇に変わっていたという。以後「蛇屋敷」と呼ばれるようになり,今でも地名として残っている。

話 名 大蛇
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 ある人が漁に出て時化に遭ったとき、田束山のお使いの大蛇が岸まで曳いて行ってくれた。

話 名 蛇地蔵
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 気仙沼市
要 約 釈迦堂公園南裏手の畑地にある蛇地蔵の由来譚。昔,化粧坂の辺りに機織で生計を立てている母娘がいた。いつからともなく,娘の所に毎夜凛々しい若衆が通ってくるようになった。娘が日ごとにやつれていくので,母が娘に若者の素性や名前を聞いたがわからないという。母は寺の和尚に相談し,娘に言い含めて麻糸を若者の裾にこっそり針で縫い付けさせた。翌朝母娘が糸をたどって裏山に登っていくと,糸は草地にある穴の中に吸い込まれていた。二人が部落の人に頼んで穴を掘り返してみたところ,中から大きい白蛇が糸を尾に縫い付けられた状態で這い出してきたので皆で打ち殺してしまった。母娘は白蛇の供養のために懇ろに葬って地蔵を建ててやった。

話 名 蚕神さん、カナヘビさん、白蛇
資 料 民俗採訪 ―巻-号通巻平成4年度号
場 所 柴田郡柴田町
要 約 今ゴルフ場になっている船迫の蚕神さんは、白蛇が御神体。ゴルフ場の造成中、蚕神さんの附近に行くと、ブルトーザーの調子が悪くなった。それで壊す予定だったのを残した。

話 名 大蝦蟇の怨,(蛇)
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 本吉郡本吉町
要 約 昭和22,3(1947,8)年頃,遠藤某氏の裏の竹薮で大きな蝦蟇と青大将とが睨み合っていた。蛇が首を突き出すと蝦蟇は片手に持った竹で蛇の頭を打つ,ということを二時間ほど続けていたが,蛇が疲れきって動けなくなってしまったので,蝦蟇はその上にまたがって小便をかけ,悠々と立ち去った。蝦蟇が妖気(毒気)を吐いたのかもしれないという。

話 名 蚕神さん、カナヘビさん、大蛇
資 料 民俗採訪 ―巻-号通巻平成4年度号
場 所 柴田郡柴田町
要 約 今ゴルフ場になっている船迫の蚕神さんは、カナヘビさんといい、大蛇が御神体。ゴルフ場の造成中、ブルトーザーが蚕神さんの附近に行くと、大蛇が出てきてブルが動かなくなった。それで壊す予定だったのを残した。昭和35年のこと。

話 名 蟹の墓,(恩返し)
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 名取市
要 約 昔,智福院近くに下僕がいた。情け深く,日頃残飯を小池の蟹達に与えて可愛がっていた。ある時,この下僕が毒蛇に追いかけられ,池の側の小さな御堂に逃げ込んだ。毒蛇がお堂の中に入り込もうとしたが,蟹どもが蛇を襲って寸断してしまった。この蟹を後に祀ったのが笠島蟹王山智福院であるという。

話 名 大蛇
資 料 東北民俗 通巻31号
場 所 登米郡東和町
要 約 猟師が天気の良い日に猟をしていると皮が固くなってしまった。そこで水喰沢の池で靴を潤していると、小さな蛇が泳いできて靴を齧りはじめたので、短刀で蛇に切りつけた。数日して池に行くと、大蛇が死んでいたので猟師は驚いて死んだ。

話 名
資 料 民俗採訪
場 所 昭和48年度号
要 約 ヘビの化け物を柿の渋で退治した。

話 名 河童神御手洗池,七夕,機の音
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 加美郡色麻町
要 約 磯良神社の御手洗池は底知らずであるといわれる。竜宮のような御殿があって姫が住み、毎年七夕に、池の底から機の音がするという。

話 名 竜ヶ岳
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市太白区
要 約 磐司と大東岳の中間、殆ど人跡未踏の全山草山。竜駒という怪獣が草を食うことがあったという。

話 名 神釜島
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 塩竃市
要 約 塩土翁神が汐を煮るときに、竜神が釜を献じたという。

話 名 零羊崎,石竜,竜
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 石巻市湊
要 約 長浜の北の岬に式内大社零羊崎神社がある。零羊はアオシシ(カモシカ)だが、神が白鹿にのって降臨したので零羊の字をあてたか。太古、石竜が幾重にも山を巻き、三巻(みまき)山という。のちに三を御とあらため、御牧山(おまぎやま)と呼ぶ。

話 名 濡れ薬師
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 柴田郡柴田町
要 約 槻木では昔、日照りの時、村人が鰌沼に集り、村の娘1人を竜神の人身御供とし、水責めにして雨乞いをした。およしという美しい娘に恋慕した勘作という若者が、恋がかなわぬ憂さ晴らしにある年およしを人身御供にすすめる。およしが沼へ行くと、旅僧が来合わせて不心得をさとし、竜神も喜ぶまいと、代わりに薬師像を与えて去る。突然大雨が降り村は生き返る。薬師堂を建ててまつり、およしはかたわらに庵を結んで一生薬師に仕えた。

話 名 御釜社
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 塩竃市
要 約 塩土翁神が塩を焼いたという四つの神釜を神体とする。一口は径四尺、三口は四尺八寸の鉄釜で竜神が献じたといいつたえ、今そこを釜渕という。毎年7月10日汐汲み神事を行い、海水を釜渕から汲んで神釜の水を替える。釜は初め七口ないし十五口あったとも。のち四方に散在し、二口は野田、一口は釜渕、四口は加美郡色麻村の四釜、二口は肝沢郡水沢の塩釜、一口は黒川郡富谷町志戸田、一口は仙台市石名坂円福寺にあるという。汐を駄送したとき、和加佐彦命が童形に化し、紫の腹かけを着けて牛を牽いた。牛はのちに石と化して牛石となり、藤のムチから根を生じたという。子供に紫色の腹かけを着せると丈夫に育つといわれる。

話 名 箱石神社
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 桃生郡河北町
要 約 もと仙台藩の直参足軽一隊を置いた成田の氏神。北上川にのぞむ東浜沿いの高台に在る。貞観5年(863)坂上大宿禰高道はこのあたりで蝦夷と戦って討死。その霊が竜と化して大洪水を起こしたので蝦夷は住居を失い、これも朝廷から下された将軍を害した罰であろうといって社をたてた。

話 名 (俗信)
資 料 民俗採訪 通巻昭和48年度号
場 所 栗原市
要 約 年中行事に関する俗信。狼祭のときに、飼っている家畜の名前を言い忘れると、その家畜が食われてしまうという。2月9日には、天馬が屋根を横切るとか、天竜様が屋根を通ると言い、馬の両耳に団子を2つかける真似をする。そして「悪いことを聞かないように、良いことを聞くように」と言わなければ、天馬の声を聞いた馬が死ぬといわれている、など。

話 名 鰻,蟹
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 熊ん堂淵のカルド岩には竜宮と繋がっている深い穴がある。そこで鰻と蟹の合戦があった。鰻が和尚の夢枕に立って、「味方について欲しい、和尚はここにある、と川のほとりで言ってくれればこちらが勝つ」とお願いしたが、和尚は忘れてしまい、ようやく目を覚まして熊ん堂川に行って見ると、鰻は切り刻まれて死んでいた。

話 名 龍女
資 料 宮城縣史 民俗1
場 所 栗原市
要 約 白山神社の神霊が美麗な童子となって現れたが、山に住む二頭の龍女が山を奪われることを嘆き、老女と若い女の姿で現れて障りをもたらした。神霊は怒り二頭の龍を池へ封じ込めた。この伝説の故か、神事を行う神男に不思議なことが起こるが、翁の面をつけて勤めると不思議なことは起こらなくなった。

話 名 三ツ石
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 石巻市田代浜
要 約 三つの巨石が田代島の東二町ばかりの海上にあり、三石崎という。給分浜の十一面観音木像が漂着した所であり、数年毎に龍灯が現れる。

話 名 龍,お龍沼
資 料 民俗採訪 昭和48年度号
場 所 栗原郡花山村
要 約 魚を全て食べてしまった女が、龍になった。

話 名 藤助渕
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市青葉区
要 約 牛越橋下の渕にヌシの大鰻がいる。岸に住む藤助という者が渕で釣りをしていると、渕の底から藤助を呼ぶ声がして、明晩賢渕の蜘蛛が責めてくるから必ず声を立てるな、そうすればおれが勝つから頼む、という。合戦が始まった時、藤助は恐ろしさの余り約束を破ってあっと声を立てたので、鰻が負ける。

話 名 源兵衛渕
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市青葉区
要 約 霊屋橋下左岸の渕、崖の上に源兵衛という者が住む。五月雨のふる夜、渕のヌシの鰻が若い女の姿に化けて源兵衛を訪ね、「明晩、賢渕の蜘蛛と合戦があるから、源兵衛ここに控え居るといってくれれば勝つ」、と加勢を頼む。当夜臆病な源兵衛は約束に背いて家の中で震えていて加勢しなかったので鰻が負ける。夜が明けたとき向岸に大鰻の頭が浮かび、源兵衛はそれを見て気が狂って死ぬ。

話 名
資 料 季刊民話 通巻7号
場 所 栗原郡金成町
要 約 川に棲んでいた年を経た鰻が部落の人々に害をなしていた。そこへ気仙の者という盲女が来て鰻を調伏した。

話 名 源兵衛渕
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市青葉区
要 約 昔1人の僧が、毎年盆中に米ヶ袋の家を歩いて棚経をあげ、盆棚のお下がりを馳走になっていたが、何年たっても年を取る様子がない。ある年、またやってきて一軒の家で麦飯を馳走になる。そばで3,4人の若者が下の渕で毒流しの相談をしているのを聞きつけ、盆中の殺生は止めなされと固く戒めて帰る。源兵衛という者が跡をつけていくと僧は渕の中に消える。源兵衛が毒を流すと大鰻が浮んだので割いてみると、腹の中から麦飯が出る。

話 名 鰻,淵の主
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 熊ん堂淵には主の鰻がいて、泉沢堤の主の女鰻に通ったので、熊ん堂は深く掘り下げられた。

話 名 不動滝の大鰻,三階滝の大蟹
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 刈田郡蔵王町
要 約 不動滝のヌシの大鰻と、三階滝の大蟹の合戦。大鰻は美女に化けて遠刈田の籠山の猟師に加勢を頼んだが、臆病な猟師は約束を破って鰻が負け、澄川は七日間血に染まる。

話 名 鰻,蜘蛛
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 熊ん堂という岩穴の主の鰻と蜘蛛が喧嘩をし、蜘蛛に胴体を切られた鰻が淵をせき止めたので、熊ん堂淵は底なしになった。

話 名 賢渕
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市
要 約 昔,男がこの渕で釣り糸をたれていると,1匹の蜘蛛が男の脛に粘々するものをつけ,向こうに行ってはまた何かつけて帰ってくるということを繰り返した。男がそれを傍らの柳の大木になすりつけておくと,やがて柳の木が根こそぎ渕の中に引き込まれてしまい,渕の底から「賢い,賢い」という声がした。蜘蛛はこの渕の主であったという。それからこの渕を賢渕と呼ぶようになった。伝説源兵衛渕の主の鰻と闘って勝ったのはこの蜘蛛であろう。

話 名 鰻,海老
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 熊ん堂の溝で鰻と海老が喧嘩をし、鰻がお寺の和尚さんに仲裁を頼んだが、和尚さんがお客にかまけて忘れているうちに鰻も海老も死んでしまった。

話 名 源兵衛渕
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市
要 約 昔,渕の崖上に源兵衛というものが住んでいた。梅雨頃,夜更けに若い女がきて「私はこの渕の主の鰻で,明晩川上の賢渕の主の蜘蛛と一騎打ちをする。その時あなたが『源兵衛ここに控えおるぞ』と声を掛けてくれれば勝てるのでよろしくお願いします。」というので源兵衛は承知した。翌晩鰻と蜘蛛の大合戦が始まったが,あまりの怖ろしさに源兵衛ここにいるぞと言えなかった。翌朝見ると鰻の首が噛み切られて源兵衛の家の方を睨んで浮かんでいたので,それを見た源兵衛は気が狂って死んでしまった。その後この渕を源兵衛渕と呼ぶようになった。町の人々が供養のために建てた小祠が近年まで残っていた。

話 名 鰻,蟹
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 熊ん堂淵には大鰻と大蟹とが棲んでいたという。

話 名 源兵衛渕
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市
要 約 お盆の頃町内の若者達が鰻捕りの相談をしていると坊さんがやってきて「お盆中に殺生などやるものではない」と説教していった。源兵衛があの和尚は渕の主らしいといったので,仲間達は一層勢を得て毒揉みをした。すると大きな鰻が浮かび上がり,腹を裂いたら先刻の和尚に馳走した麦飯が出てきた。源兵衛はその祟りで死んでしまったので源兵衛渕と呼んだ。

話 名 藤助渕
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 仙台市青葉区
要 約 藤助が渕で釣りをしていると水底から呼びかけられた。声の主は長年渕に住んでいる鰻で,「明晩賢渕の蜘蛛が攻めてくるので声を立てないでほしい,負けてしまうから」と藤助に頼んだ。明晩合戦が始まると藤助は余りの恐ろしさに声を上げてしまい,鰻が負けた。その時鰻の首がものすごい形相で睨んだので,藤助は気が狂って死んでしまった。以後藤助渕と呼ばれるようになった。

話 名 鰻,淵の主
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 熊ん堂淵の洞穴は平泉まで繋がっている。主の大鰻が暴れると冷害や洪水になる。

話 名 亀と鰻の合戦
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 遠田郡小牛田町
要 約 江合川の主の鰻が鳴瀬川の主の大亀と決闘し,人間の助けを借りて勝つ。鰻は川の守り主となり,洪水の時には人々を救った。

話 名 鰻,鯉,淵の主
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 熊ん堂堀の主の大鰻は、泉沢の堤の主の鯉に通った。

話 名 亀と鰻の合戦
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 遠田郡小牛田町
要 約 番小屋に白髭の老人が訪れて「私は江合川の主の鰻で,明晩丑の刻にこの落合で鳴瀬川の主の大亀と縄張り争いの決闘をする。年をとったので勝ち目は薄いが,貴方が声援してくれれば勝てる」と番人に言うので,番人は承諾した。翌日の夜更け,落合の水面には水が逆巻き異様な呻き声が湧きおこった。番人は震えながらも声援を送ったので大亀は敗走,鰻の勝ちとなった。鰻は番人に破れることのない網を贈って江合川の守り主となった。

話 名 化け鰻
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 村境にある化け鰻と言う石は、石が鰻に化けたもの。三尺五平という人に斬られた。

話 名 亀と鰻の合戦
資 料 宮城縣史 民俗3
場 所 遠田郡小牛田町
要 約 ある年の二百十日の暴風雨の夜,白衣の大男が鉄杖を鳴らし,一本歯の下駄を鳴らして村人に大洪水来襲を警告した。このため村人は難を逃れた。これは川の主の鰻の恩返しであったという。その後,村人は鰻を食べることを禁忌にした。

話 名
資 料 小泉の民俗―宮城県本吉郡旧小泉村―
場 所 本吉郡本吉町
要 約 熊ん堂の川には、角の生えた鰻が棲んでいる。

話 名 大蟹,大ウナギ
資 料 最上地方民俗 通巻3号
場 所 刈田郡蔵王町
要 約 大昔、湖水の主の座をめぐって、大ウナギと大蟹が争った。7日7晩の戦いの末、形勢が不利となった大蟹は、あるマタギ(狩人)に加勢を求めた。しかし、恐れを成したマタギは与えられた矢を射ることなく逃げため、大ウナギの体は大蟹のハサミで3つに断ち切られ、その死体が流れ漂った。山が破れて水が流れ出し、身を隠す場所をなくした大蟹も姿を消した。

話 名 大蟹,大ウナギ
資 料 最上地方民俗 通巻3号
場 所 蔵王町
要 約 昔、三階滝に住む大カニは、体が大きくなって身を隠せなくなったため、大ウナギが住む近くの不動滝を我がものにしようと、夜ごとに目玉を月のようにらんらんと光らせてウナギを攻めた。ウナギはある鉄砲撃ちに加勢を頼んだが、鉄砲撃ちはカニの迫力に動転し、鉄砲を打てずじまいだった。結果、大ウナギは大蟹のハサミで7つに断ち切られ、頭が飛んだ。

宮城県の竜蛇(「怪異・妖怪伝承データベース」より)

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