黒岩の蛇石

門部:日本の竜蛇:北海道・東北:2012.01.21

場所:岩手県花巻市石鳥谷町 光勝寺
   蛇石のある黒岩は北上市
収録されているシリーズ:
『日本の伝説42 岩手の伝説』(角川書店):「黒岩の蛇石」
タグ:竜蛇の封印/竜蛇のわたり


伝説の場所
ロード:Googleマップ

一名「じゃぬめり伝説」と言われる。漢字で書くと蛇蜒蛆(じゃのめり)となるようだ。なんともものすごい字面である。ヌシの邪な竜蛇は、人や牛馬を呑んで害をなすと良く出てくるが、意外と皆あっさりその点は話される。害をなすので「武者が討伐に立ち上がる・高僧が調伏に乗り出す」というこちらの方が話の骨格をなすのである。しかし、中には娘・稚児が呑まれたことそのものの悲劇に焦点を当てた話もある(実は珍しい)。奥州稗貫郡光勝寺の智空法師は怒りにふるえ、大蛇の調伏をはじめる。

昔、石鳥谷(稗貫郡)の光勝寺に大蛇がいて、住職の寵愛していた寺の童子(稚児)を取って食ってしまう。住職は悲しみ、かつ、怒って大蛇降伏の祈祷を七日間、一心に行った。すると大蛇の化身が、人間の姿になってあらわれ、寺の繁昌を約束するので勘弁してほしいという。
住職は「何もいらない、ただ童子を返せ」と涙で訴えた。化身は、しおしおと帰ったが、祈祷七日目の夜、大暴風雨となった。光勝寺の大蛇はいたたまらず、雌雄二匹が池を出て北上川を流れていった。
住職の法の呪縛を受けた雄蛇は、黒岩の里に流れつき、離ればなれになった雌蛇の安否を気づかい、川上の方を振り向いたところ、たちまち、一つの石と化してしまった。

角川書店『日本の伝説42 岩手の伝説』より要約

五大堂光勝寺(下は大蛇のお堂)
五大堂光勝寺(下は大蛇のお堂)
リファレンス:ぷー太郎 流れ旅画像使用

上写真の下のお堂には件の大蛇の像が祀られている(リンク先に画像あり)。

稚児の供養塔
稚児の供養塔
リファレンス:イブニングOne画像使用

実は全く同じ舞台の話として(住職が智空法師であり同じ人物とされる)、呑まれたのが寺の稚児ではなく村の娘であるものがある。こちらが『まんが日本昔ばなし』で映像化されているので認知度は高いかもしれない(光勝寺そのものの伝説は稚児が呑まれるものだが)。

『まんが日本昔ばなし』「大蛇の棲む沼」
『まんが日本昔ばなし』「大蛇の棲む沼」

岩手稗貫郡の光勝寺の裏山の沼には大蛇が棲んでおり、ある日迷い込んだ幼いお里を人の若者の姿に化けてかどわかした。お里を探す母親が見たのは娘を呑みこんだ大蛇が沼に戻る姿と、お里の残した赤い鼻緒の草履が水に浮ぶ姿だけだった。
お里を孫の様にも可愛がっていた光勝寺の智空法師は怒り、また母の恨みを取り除く為、大蛇を追い出す祈禱に入った。大蛇は苦しみ、この寺を護るから許してくれと懇願するが法師は聞き入れず、沼を出るか滅びるかと迫る。
祈禱は続き、ついに大蛇は沼を破って北上川へ逃れた。黒岩まで流されそれでも沼に戻りたいと振り向くと、大蛇は岩になってしまった。

『まんが日本昔ばなし』「大蛇の棲む沼」より要約

ポプラ社の昔話シリーズに底話があるそうだが未見。どちらにしても大蛇が北上川黒岩の岩となる、という結末は同じである。またどちらも寺の繁栄を約束するから許せという大蛇に対し、智空法師が、そんなものはいらぬ、稚児を(お里を)返せと悲しみをぶつけるという光景も同じであり、強調される。

しかし、それだけではないのも明らかである。そもそも「(蛇石の)すぐ川下には淵があってよく逆波が立ち、また蛇石も舟の往来に邪魔なので昔からの舟の難所だった」という光勝寺から14キロ離れた黒岩の蛇石の由来譚でもある。

光勝寺近くに十一世紀代のものとされる蛇蜒蛆遺跡がある。遺跡も興味深いがさて置き、これが古地名だった点が問題だ。蛇蜒蛆(じゃのめり)とは大蛇がのたくったような、という地名で、「ここが大蛇が這っていった跡だ」という由来を持つ土地の一つに見える。つまり、人間のドラマが関与する以前に地形そのものに大蛇の移動が見て取られていた土地だったのではないかということだ。

おそらくは光勝寺の沼と北上川黒岩ないしそこを経由した先のどこかとの「竜蛇のわたり」の伝承があったのではないかと思われる。この「じゃぬめり伝説」はそのわたりの伝承と稚児・お里の悲劇の話とが重なっている話なのだと見ておきたい。

しかし、『まんが日本昔ばなし』で見て以来、この北上川の大蛇の岩は是非見たいと思っていたのだが、角川『日本の伝説』によれば「洪水や河川工事等のため、昔の形は今は見られない」のだそうな。これはまことに残念なことである。

蛇石
蛇石
リファレンス:晴徨雨読写真集(旅情編)画像使用

memo

黒岩の蛇石 2012.01.21

北海道・東北地方: