西谷池の竜女

門部:日本の竜蛇:中国:2012.01.06

場所:島根県出雲市多伎町:西谷池
収録されているシリーズ:
『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店):「西谷池」
タグ:竜蛇の玉/竜蛇の昇天/竜蛇の鱗


伝説の場所
ロード:Googleマップ

ゼンリン系の地図には池が記載されていない(航空写真にするとあるが)。「ちず丸」の方に記載がある。
ちず丸:西谷池周辺

時々竜蛇たちは気に入った人間に不思議な玉をもたらす。蛇息子が育ててもらった恩に玉を置いていったり、蛇女房が息子への乳代わりの玉(目玉)を置いていったりする。中国の龍の龍玉や、海神を象徴する真珠などとイメージが近く、なかなかに様々な物語を繋いで行くのではないかというのがこの「竜蛇の玉」である。

西谷池:要約
怠け者だが美男子と評判の次郎坊が隣村に使いに行ったが、帰りに大雨に降られる。漁師の家の軒先で雨宿りをしていると二十歳ばかりの美女が通りかかり、ともに雨を避けた。快談するうちに小降りになったので次郎坊は女に傘を貸してやった。
女は感謝し、「わたしは西谷の谷女児(たなだ)というものです。ぜひ遊びにおいでください」と言って去って行った。その後、次郎坊は気になって西谷へ行った。谷間から出て来た女中に案内され、大きな門構えの家に到着した。
谷女児も大喜びで彼を歓迎し、帰りに「何のおもてなしもできませんが」と美しい五色の玉を土産にさしだした。翌朝、床の五色の玉が兄の太郎丸に見つかり、父と兄に問われた次郎坊は次第を話す。父は「言い伝えによると、穏やかな秋の日、千草の咲く野原で多くの蛇が縄のようにもつれあっていることがある。蛇のこしきだけというのだが、その中に宝の玉が五つあって五色に輝いており、その玉を持つことができれば長者になれるということだ。」と言い、お礼に行かねばと三人は下男に沢山の土産を持たせ、西谷を再訪した。
しかし、着いてみると昨日の大門は朽ち、家もない。やがて姿を現した谷女児は、実は自分は前世の報いで蛇になった女なのだが、今まさに神の許しで天に昇るのだと言う。その途端に空はかき曇り、大嵐となった。そして女は竜蛇となると舞い上がり、黒雲に飛び込んで行った。
谷女児のいた所には竜の鱗が一片、ひらひらと舞い落ちてきた。次郎坊たちは我れに返ると、五色の玉を投げ捨てて、後をも見ずに逃げ帰った。そしてそこの谷は、たちまち雨水をたたえて大きな池となった。それがこの西谷の池だという。

角川書店『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』より要約

西谷池航空写真
西谷池航空写真
レンタル:Googleマップ:画像使用

上の航空写真に見るように中々ものすごい深い森の中にあるようだが、この西谷池はどんな大雨でも日照りでも水量は増えも減りもしないし、また、ここで釣りをすると大雨が降って作物に被害を与えるとか今も言われているそうな。

さてまず、「五色の玉」というのがなんともハイソである。なんとなれば「龍の頸の五色の玉」といったら「竹取物語」でかぐや姫が大伴御行に出した難題である。竜蛇の玉の話というとたいていは一つの不思議な玉のこととなるが、五色の玉が出てくるというのは結構珍しいと思う。

そしてその五色の玉は「蛇のこしきだけというのだが、その中に」あるというのだ。出雲では海蛇の「竜蛇さん」にとぐろを巻かせて剥製にすることを「甑(こしき)立てる」というが、関係がありそうな話である。

しかし、次郎坊たちは竜女の昇天にビックリして玉を投げ捨てて帰ってしまうので、この五色の玉がどんな効能を持っていたのかが分からないのが悔やまれる。この点に関しては他の「竜蛇の玉」の話を見比べて行った後、「出雲のあの玉は何だったんだろう」と思うことになるかもしれない。

memo

ところで、この出雲市多伎町西谷池から要害山を挟んで南西1.6kmの所に出雲国風土記にあるという「多伎藝神社」が鎮座されているのだが、以下によると「巳乃神と書かれた石祠があり」という……

「多伎藝神社」(webサイト「玄松子の記憶」)

あるいはこの話と関係があるかもしれない。また、多伎藝神社には出雲から石見によく見られる藁縄の蛇の「荒神さま」があるようだ。

多伎藝神社の荒神さま
多伎藝神社の荒神さま
リファレンス:ブログ:浜田屋遼太画像使用

西谷池の竜女 2012.01.06

中国地方: