夜叉ヶ池

門部:日本の竜蛇:中部:2012.03.24

場所:岐阜県揖斐郡揖斐川町
収録されているシリーズ:
『日本伝説大系7』(みずうみ書房):「夜叉ヶ池」
タグ:蛇聟入り/女人蛇体/ヌシの更新


伝説の場所
ロード:Googleマップ

岐阜と福井の境にまたがり、未だにその所在がどちらともつかない夜叉ヶ池は、さらに滋賀も近く、即ち中部・北陸・近畿の三地域にまたがっている池沼である。そして、その通りその三地域にそれぞれ伝説の流れを持ってもいる。基本的に「蛇聟入り」の典型話のひとつであるのだが、そのそれぞれに独特な面もあるので、みな一緒に扱う事はせず、三つの「夜叉ヶ池伝説」を載せる事にしよう。今回はこのうち岐阜県揖斐川流域に伝わったお話。

夜叉ヶ池
夜叉ヶ池
レンタル:Wikipedia画像使用

揖斐郡春日村──神戸町(岐阜県安八郡)というところに大きな長者があった。その頃ひどい旱魃で、雨が降らず、山も畑も田も、からからになってしまった。長者が困って田んぼにいた蛇に「今雨を降らせてくれたら、私の娘三人のうち好きな者を嫁にしてやる」と願を懸けたところ、間もなく大雨が降り出し、山も畑も田も生き生きとしてきた。
その後、蛇が昔の侍に化けて、約束どおり娘を迎えに来た。娘三人は泣いて泣いて嫌がったが、中の娘が村の為だといって嫁に行った。その時娘は母親の形見の紅おしろいを付け、はたご(機織り機)、白い布を持って行ったという。それらに因んだものが今も横山という所にあって、機織りに必要な道具が形になってくっついているといわれる岩は、今も少しでも触れると人が死ぬと言われ、又谷の真中に川が流れているが、その川の真中には、布のような白い跡がある。
このようにして蛇は嫁をもらったが、蛇には本妻があった。蛇はこの本妻が邪魔になり、勇気ある人間にこの妻を殺して貰いたいと思った。そこで蛇の姿のまま尾根に横たわっていたところ、大抵の人々は恐ろしがって、そのまま帰っていった。しかし中に一人、それを跨いで行った者があった。そこで蛇は、「お前が度胸あるのを見込んで頼みたいのだが、私の本妻を殺して欲しい。本妻は赤い蝶に化けているからそれを弓矢で打って欲しい。」といってその男に頼んだ。男はそのとおり弓矢で打ち取り、その弓矢は今も残っている。

みずうみ書房『日本伝説大系7』より引用

長者は安八太夫安次という名で、岐阜・滋賀では概ね共有されている。時代背景は平安初期、とするものが多いだろうか。色々なモチーフが連なっているので、またひとつひとつ見ていこう。まず、もっとも重要な点は竜蛇が邪なるものとして討たれる話ではない、という点だ。

無数にある類話・派生話でも概ねこれはそうである。数例大本の雄大蛇が死ぬ例があるが、瓢箪千個針千本的な討伐譚ではなく、苧環型の針で死ぬという型である。つまり、この話はタイトルの字面から敷衍するイメージと異なり、かなり正統な神婚譚の面影を残す話なのである。以下の類話を引いておこう。

揖斐郡坂内村川上──山伏に化けた夜叉竜神が池に帰る際、安八太夫の娘を伴い川上にある人家に一泊した。其の後、川上村には再度の失火があった。家が多いため、延焼したが、竜神の泊まった家は隣まで燃え移っても火は消えた。竜神は泊まった翌朝、出発に際し宿料の代りに竹の鞭と扇子一本を置いて「若し日照りの節、雨を降らさんと思う時は此の扇子にて招き鞭にて大地を打つべし」と教えて立ち去ったという。其の後教えの如くしたら雨が降ったので重宝に保存したが、後に扇子が人手に渡り出火に遭い焼失したという。又其の山伏は宿泊に際し、家人に、「願くば我等の寝姿を見る事勿れ」と請われたけれども、家人が怪しんで窃かに戸の隙間より覗き見たところ其の間一杯の大蛇であったという。(『夜叉ヶ池の伝説』)

みずうみ書房『日本伝説大系7』より引用

相当に神としての竜蛇の色合いの強い話である事が分かる。そして、この「夜叉」がそもそも何を指しているのかという事で、「夜叉竜神」というからには竜蛇の事のようなのだが、一方で嫁いだ娘が「夜叉姫」だったとも、夜叉ヶ池に嫁いだ娘だからそう言うようになったのだともされる。この地には別途、源義朝の妾・延寿姫の娘、夜叉御前が平治の乱に敗れた源氏の末路を嘆き抗瀬川に入水し、その魂が川を遡って宿った池だから夜叉ヶ池というのだという伝説もあり、混同があるのかもしれない。しかし、より注目したい点は次の類話にある。

揖斐郡藤橋村──藤橋村東横山より二町計り坂内村に登る途中、路傍に「おやしゃ」の旧跡という標石があり、其の下の河辺に大磐石がある。村人はこれを旅人宿岩という。夜叉姫たちがこの石の下で一夜を明かした所で、夜中に石の上に登って髪を梳いたという。また、髪を洗うためのくぼみもあり、其の形が池に似ているが故に鬢盥池(びんたらい)と名づけられている。(『夜叉ヶ池の伝説』)

みずうみ書房『日本伝説大系7』より引用

「はたご岩・藤橋村」
 (webサイト「ss-info.com」)

先の話にあった機織りの用具一式が岩になっているという「はたご岩」が今も横山ダムの直下にあるのだが(この岩の上で娘は織りかけの機を完成させた後嫁いだとも言う)、同じ岩の事だろう。それが「夜叉姫〝たち〟」が宿とした岩だとも言うのである。

普通に考えれば竜蛇と娘で〝夜叉姫たち〟なのだろうが、内容に一夜の仮宿とは思えぬ節もある。竜神に仕える巫女たち(巫女集団)が拠点とした磐座なのではないか、という線が濃厚である。嫁ぐ娘は類話を見渡すと三姉妹の長女・次女・三女のすべてのパタンがあるのだが、これも相続の話というより巫女集団の話と連絡するのかもしれない。

こうして娘は夜叉ヶ池に嫁ぐのだが、その後の本妻の大蛇を倒すために人間に助力を請うという話はむしろ福井の方でよく語られるモチーフである(本妻と新妻が赤・青竜蛇になって一大バトルを繰り広げる)。その系統は福井の方で述べよう。岐阜の方では多くは単に本妻の大蛇が嫉妬して娘を亡きものとしようと大岩を落とす、というような話となっている(しかし、落とした白石山の大岩は途中で止まってしまい、帰る所のなくなった本妻蛇は以後その岩の下に住んでいたそうな)。

さて、あとははじめに引いた話から洩れているモチーフを一つ二つ追加しておこう。この話はそもそも雨乞い儀礼の話であり、この伝説故に、夜叉ヶ池に紅・白粉・櫛をのせた三宝を浮かせ、沈めば雨を降らせてくれる、というところで完結する。その役を代々行ってきたのが安八太夫の子孫たちなのだ。

池の畔にある奥宮夜叉龍神社
池の畔にある奥宮夜叉龍神社
レンタル:Wikipedia画像使用

そう見ると本妻・新妻の争いもあり(これも一種のヌシの更新の話である)、水利の話なのかという感じもする。もっとも水の出口の「ない」ことで有名な夜叉ヶ池の水利とは何だとも思うが。

また、周辺「竹」のモチーフが見える事も覚えておきたい。

川上の集落より広瀬川の沿岸を登ること二十町計りの地に、夜叉姫の用いた杖から根を出したという竹がある。これは一面に竜のような斑紋があったからである。文化四年の大洪水のため絶えたといわれるが、他に移植したものは今も村内に繁茂している。これを夜叉竹という。(後略:『夜叉ヶ池の伝説』)

みずうみ書房『日本伝説大系7』より引用

竹である点が重要なのか、斑紋のみが重要なのか判然としないが、一応竹を蛇だと見ている例であるだろう。これと併せて、同揖斐郡では夜叉ヶ池のヌシ以外の池沼のヌシ蛇も「夜叉蛇」と呼んでいる節があり、そうなると「夜叉」は単に蛇(神)を指しているのか、とも思える。

とりあえず岐阜側はこのくらいだろうか。ほとんど紹介だけだが、既に大分長くなっているのでこのあたりにしておこう。ともかく、泉鏡花の戯曲「夜叉ヶ池」のイメージが強いのだが、大分趣が異なるということはわかるだろう。大本の夜叉ヶ池の話は、竜蛇が邪に転落する前の竜蛇神と巫女の関係を伝える可能性のある話なのだ。その点を第一に強調しておきたい。

memo

夜叉ヶ池 2012.03.24

中部地方: