錨の溝

門部:日本の竜蛇:中部:2012.02.26

場所:富山県魚津市経田
収録されているシリーズ:
『日本の伝説24 富山の伝説』(角川書店):「錨の溝」
タグ:錨と竜蛇/椀貸し伝説/竜蛇のわたり


伝説の場所
ロード:Googleマップ

米騒動で有名な(?)魚津に少し変わった話がある。変わったと言うより他に見ないという展開だ。竜蛇だけに尻尾がどこにのびるのかは予想のつかないものがある。

経田西町(旧坂下)朝野製材所敷地内海際に五メートル幅の溝があり、かつては片貝川の河口で大きな舟も出入りしていたという。
そのころのこと、ある船が錨をおろしたら上がらなくなった。強く引き上げると錨の綱は切れてそのまま溝に沈んでいき、竜になってしまった。それからこの溝を錨の溝というようになった。
この溝は宇奈月町愛本の竜の住む淵とつづいており、竜同士お互いに行ったり来たりしていたという。そして愛本の女竜との結婚が迫ったとき、錨の溝の竜は武士に化けて経田の茶屋に膳椀を借りに来た。夜、膳椀を出しておくと翌朝にはなくなって、二、三日したらまた戻っていた。よく見ると膳に飯粒がついているので、汚いといって茶屋の主人はきれいに洗ってしまった。それから繁盛していた茶屋はだんだん落ちぶれていったという。

角川書店『日本の伝説24 富山の伝説』より引用

「歴史史跡看板設置事業」
 (webサイト「経田地区のホームページ」)
こちらの資料の写真によると、錨の溝らしき場所に祠が見える。竜を祀った祠かもしれない。また、この看板の文面がマップ上に表示される。興味深いので引用させていただこう。

錨の溝(嵐):
昔々、船乗りたちが角の生えた海蛇を釣り上げ、おもしろがっていじめた。その後、坂の下の港に錨を下ろしたところ、綱が切れて錨が底深く沈んでしまった。そして、突然大きな龍が姿をあらわし、水煙を立て暴れ回り、船を沈めた。高波で海岸が崩れ落ち、港は砂で埋まった。
そして、港は錨の龍が住む「錨の溝(どぶ)」と呼ばれるようになり、寂れてしまった。

錨の溝(婚礼):
昔々、彦左衛門という大金持ちがいた。ある日、武士に姿を変えた龍が訪ねて来て、「私は錨の溝の主だ。愛本の主の娘と結婚するので、祝いに使う道具を貸してくれ」と頼んだ。
返ってきたお椀には米が三粒ついていた。汚いので捨てさせたところ、夢の中に溝の主が現れ「なぜ捨てた。尊い米を流したので貴方の財産は無くなるだろう」と言った。そして、六年程の間にそのようになった。

「経田地区歴史史跡看板」より引用

先に枝葉に関する所を補足しておこう。宇奈月町愛本とは黒部市にあり、日本三大奇橋の「愛本刎橋」がかかっていた所である。この辺りがかつては蒼々とした淵だったそうな(今は消滅)。その淵に竜蛇伝説がある。

愛本刎橋
愛本刎橋
リファレンス:黒部市公式サイト画像使用

これは『大系』にもあり(「愛本橋の大蛇と粽」)、遠からず単独でまとめるつもりだが、簡単に概要を言えば蛇聟入り譚であり、見初められた娘が蛇体になるという重要な話だ。錨の溝の竜が通ったのはこの「愛本淵の男蛇に見初められ蛇になった娘」ということになる。ちなみに愛本の方の娘「お光」は今でも愛本神社姫社に祀られ、祭には大蛇も出る。

「愛本姫社の祭事」
 (webサイト「山行き写真集」)

それはともかく錨の溝の竜である。錨が竜になるという話はイメージではありそうだが聞かない。類例がないのでどのような意味なのかも見当がつかない。あたらずとも……という線では津山のだんじりに出るだんじりの中に「錨龍臺」なるものがあるという。

それは関係ないだろうというくらい遠くでは、宮古島に「天女」が「龍宮」へ青年・伊嘉利(いかり)を誘う目の覚めるような伝説がある。しかし、近江の天人女房譚絡みだとそう遠いとも言ってられないかもしれない。

「錨龍臺」(webサイト「津山だんじり保存会」)

「外間御嶽(プカマ御嶽):宮古島の天女譚」
 (webサイト「神奈備」)

また、「竜蛇が椀を借りにくる」というのも異例だ。引いた角川『日本の伝説』でも、「人間が水神から膳椀を借りる話はよくあるのだが、この伝説は逆に人間が水神に膳椀を貸すことになっているところが珍しい。」と締めくくっている。珍しいというよりも他に無いのじゃないだろうか。椀貸し伝説は富の発生ないし偏在に関してなにがしかを語るものだと思うが(実際この話も茶屋の没落が語られる)、その象徴の椀のベクトルが逆向きになるというのも難しい話である。もっとも現状一例では「へー」と言うしかないのだが。

先頭で宣言した通りに、これらの「異例」がどの方向を指し示すのかはまったく分からないのだが、とりあえずは「そう簡単に類型におさまりはしない」という点は胆に命ずることが出来るだろう。

memo

錨の溝 2012.02.26

中部地方: